関根正雄のレビュー一覧
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厳しい罰、生贄、親子や兄弟姉妹間で確執を生じさせるような仕打ち……。
2026年3月に映画『天地創造』(John Huston, 1966)を観て、この頃ようやく読んでみた。劇中での神の思し召しをあまり理解できなかったが、本書を読んでみてもやはり理解できず。
「ノアの方舟」や「バベルの塔」、「ソドムとゴモラ」といったエピソードが意外にも短い!
映画のラストは「イサクの燔祭」だが、本書では全体の⅓あたりのエピソード。さすがに全篇映画化は無理だったか。
よく解らないことだらけだった本書。神と人間とに交わされた契約の物語、というふうに捉えたらよいのか? ——そもそも聖書初心者が最初に読むものではなかったりして? -
Posted by ブクログ
救わない神様の話。
ヨブが信仰を試される話だが、思考実験的な趣がある。
シーンは神様と悪魔的なのが話してるところから。
神「やーヨブ君はなかなかの信心者だよ」
悪魔的「いいえ、彼は恵まれてるからですよ。災難に遭えば、神を呪いもするでしょうよ」
神「ほー、そういうならやってみなよ」
ヨブ君、かわいそう。
大量の家畜は別の部族に奪われたり
火事で燃えてしまい、
使用人も同じく殺される。
また、大嵐によって家は潰れて子供たちはほとんど死んでしまう。
さらに本人も病気にさせられる。
ここに至ってもヨブは神に恨み言を言うことはなかった。
ただ、友達が来てくれるんだけど、こいつらがまたひどい。
おおむね
「君がこんなにひどい目に遭うのはなんかやましい事があるはずだ。」
みたいなノリで割と血も涙もない。
そいつらと討論するパートがあって、
それが終わると後半は神との対話パート。
よくもまぁぬけぬけと出てくるもんです。
最終的に神様は名誉と財産の回復をしてくれますが、
それならなおさら、あの最初の
飲んだ勢いの賭け事みたいな仕打ちの理不尽さが際立ちます。
ただ、ここにある傾向のいくつかは文化の基底にあるものとして興味深い。
・財産のうちに子孫が含まれるという発想。
・真実を話すということへの高い価値。
・絶望的な状況へ転落するイメージの近さ。社会の不安定さ。
特に真実や善についての観念は
全面的に主題化されていることもあって注意を引く。
神と話す時でさえ正しく話す為なら堂々とすべきなのだ。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ古典として旧約聖書を読書。創造の7日間、アダムとイブはあまりに有名だが全体を読むのは初めて。ノアの方舟やバベルの塔は漫画で読んだことがあったが原典ではかなり短かった。他の資料や想像で補って膨らませたのか。人名がとにかく多いが大半は話に関わってこない。重要なのはアブラハムからヨセフの系譜だろう。訳者は創世記を神との約束が問題であるとしている。現代の感覚では矛盾していると思う個所もあるがキリスト教、ユダヤ教の原典でイスラム教にも一部啓典とされている物語のパワーを感じることができた。聖書を読むことで様々な作品の聖書からの影響を知ることができるのも大きい。
しかしドラキュラと子どもが世界の伝説を巡る漫画のシリーズは今でも記憶に残っているなぁ。もう一回読みたいしタイトル調べよう。 -
Posted by ブクログ
原罪とは自己意識のことだ。分裂してしまった自己意識を備えた人間が宿命的に負わされることとなった苦悩、それが楽園追放という物語として表現されているように思う。神に意識の分裂は無い、神は自己反省しないだろう、自己超越する動機も無いだろう。ロゴス(論理/言語/理性/自己意識)の自己関係的機制の中に放り込まれて生きるのが人間だ。神は、自己関係的な在り方をしていない。
ロゴスは神に由来すると云うが、ロゴスは、必然的に自己超越的・自己否定的な機制として在るのであり且つ同時に自己完結的である、という矛盾の中に在る。そして外部が存在しない。人間が生きているロゴスを投影し、同時にそこに孕まれている自己矛盾を抹消したものが――勿論それは本質的に不可能であるが――、神と云う観念か。 -
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ツラかった…!どんな苦行!?
「声に出して読みたい日本語」じゃなくて「声に出さないと意味の取れない日本語」。
以下なんの予備知識ナシで、ナイ頭最大限使って読んだ感想。
ヨブ…可哀そうヨブ。
てか友達!友達…!?なんだよね君たち?皆ヒドくね!?
加虐心と優越感が見え隠れして、イヤ。
ヨブの悪、ヨブの咎とは何だったの?
ヨブはどうしたらよかったの?
黙って耐えて死ねばよかったの?
私から見たら当然の、ヨブの血を吐くような神への問いかけに、神がどう答えるのか、楽しみに読み進めたのですが。
…ごめんなさい、分かんない。
ねえ、なんであれでヨブは納得できるかな?
神の為に神を信じられるか…。
もう、ダメ、本当分かんない。
ただひとつ分かったコトは、私は絶対にクリスチャンにはなれない、ってことです。