あらすじ
罪を犯して神から追放を受けた人類とその人類に対する神の救いが聖書全体をつらぬく問題であるとすれば、旧約巻頭のこの書こそ、その問題への出発点である。天地の創造、人類のはじまり、楽園追放、ノアの洪水、その子孫の増加、そしてイスラエル民族の祖先たちの罪と罰の記録。次々に壮大な神と人類の物語が展開されてゆく。
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なぜヤコブは父を出し抜いたのか。なぜヤハウェはここまで贔屓をしたりと万人に平等ではない人間的な神なのか。後から多くの疑問が湧いてくる傑作であった。
その他、登場人物たちの複雑な血縁関係(それも、妾の子供も入ってきてさらにそれを複雑にしている)の細かい描写から、旧約聖書が書かれた頃の社会はよほど血筋といったものを大事にしていたのであろうことが想像できた。有名なノアの方舟・ソドムとゴモラの炎、バベルの塔の描写は原作ではあまりにもあっさりとしていて意外であった。
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キリスト教については、勉強していたはずなのに実際の創世記を読んでみると「えっ!」と思わされる。
この「えっ!」という驚きは、それまでのイメージの中でのキリスト教とは異なる意外な発見であり、キリスト教を考える上での新たな問題意識である。
特にわたしが感心したのは、リアルな描写。
ヨブ記を先に読んでいたためか、ヤハウェにひれ伏しながら、高齢の妻が妊娠すると聞いて笑うアブラハムに、とても人間臭さ、人間のリアリティを感じました。
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キリスト教なわけじゃないですが、創世記は読みました。
人間を作る話や、アダムとイヴの話。
神様も人間と同じ心を持っていたのね。。と
読み終わって思いました。
人は皆、原罪を背負って生きている。
その言葉の意味がわかる。
誘惑には人は勝てないし、「未知なるモノ」に手を出さない人間はいないでしょう。
何度でも読みたい話です。
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旧約聖書最初の5つの書『創世記』『出エジプト記』『レビ記』『民数記』『申命記』は「モーセの五書」と呼ばれる。
モーセはなぜこの5書を書いたのか?それはエジプトを脱出し、これから約束の地カナンに入る前に、現在の若者たちにこれまでの歴史を知ってもらいたかったからである。当初エジプトで囚われた世代はもはやおらず、現在エジプトでのみ生まれ育った若者は、アダムとイブも、ノアの方舟もアブラハム契約も知らない。
旧約聖書の神は契「約」の神である。特に創世記はユダヤ人に関してというよりは人類全体の始まりを解説している。なぜ神が畏れるべき存在なのか、それはこの世界の創造者であるからだ。神の声を聞いたことのない人々にはそれを伝える必要があったのだ。
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バビロニアの神マルドゥクは、大洪水を起こす竜(海の神ティアマト)と戦い、勝利した。『エヌマ・エリシュ』 シュメール
神々は大洪水を起こすことを決める。すべての人間は土に帰る。しかし知恵の神エアが、人間ウトナピシュティムに四角い船(方舟はこぶね)を作らせて生命の種を救わせた。神々に選ばれたウトナピシュティムは不死を与えられ、楽園ディルムンに住むことを許される▼ウルク王ギルガメッシュ。友人エンキドゥの死を経験し、死の恐怖を抱く。私もいつか同じように死ぬのではないか。不死を求めて旅立つ。楽園ディルムンに辿り着いたギルガメッシュ。「自分も不死にしてください」。ウトナピシュティムは「お前が求めるその生命をお前は見つけるか。六日と六晩、眠らずにいてみよ」。すると、ギルガメッシュの上に眠りが雲のように漂った。ギルガメッシュは目を醒まして言う。「私はどうしたらいいのです。私の体を死神が固くつかんでいる。私の寝室には死が座っている。私が腰を下ろすところはどこにも死がいる」。すると、ウトナピシュテムは「海底に永遠の若さを保つ草がある」と教える。ギルガメッシュは歓喜して、海に潜って草を見つけるが、蛇がやってきて草を食べてしまう。ギルガメッシュの頬を涙が流れる▼古き日々このかた、変わらないものはない。眠れるものと死者はいかに似ていることか。神々は死と生命を定める。死について、その日を知ることはできない。『ギルガメッシュ叙事詩』BC1200年 シュメール、アッカド語
〇エンキドゥ。女神アルルが粘土から作り出した野獣人間。
〇フンババ。杉の森の守護神。ギルガメッシュとエンキドゥにより退治される。
〇イシュタル。女神。ギルガメッシュに求愛するがフラれ、怒ってウルクに天の牡牛グガランナを送り込む。
〇エンリル。都市ニップルの守護神。大洪水を起こす。
〇アヌンナキ。地上と冥界の神々。
〇シャマシュ。太陽神。
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神は天や地を生み出した。地理の記述は中近東のみ▼神は土の塵から自分に似せて人を創造した(1:27)。人よ、地に満ちて地を従わせよ。海の魚、空の鳥、地上を這う生き物を支配せよ(1:28)▼アダム(ヘブライ語で土)とエバ。狡猾なヘビにそそのかされ、知恵の実を食べて神怒る。アダムは労働の苦しみを、エバには出産の苦しみを与えられる。エデンの園から追放される(2:9)▼追放後アダムとエバはカイン(農耕)とアベル(遊牧)の兄弟をもうける。しかし兄カインが弟アベルを殺害。兄カインは放浪の罰を受ける。アダムとエバはその後、新たな息子セトをもうける。セトの子孫がノア▼人間たち堕落。神怒って大洪水。一番高い山(アララト山)も水に浸かる。人類は絶滅。ノアだけは事前に箱舟を作れと命じられ、助けてもらう。神「わたしを崇めるなら、二度と洪水は起こさない。あの虹が約束のしるしだ」。ノアの息子たち、セム(中東)、ハム(北アフリカ)、ヤペテ(欧)。※その他の民族のことは書かれていない▼昔々、世界中の人間は同じ言語を話していた。人間、天まで届く塔(バベルの塔)を作ろうとし、神怒る。言語をばらばらにされる▼ノアの息子セムの子孫アブラハム(ユダヤ人の祖)、一族(父テラ・甥ロト・妻サラ)を連れてウルからハランに移住。神「私が示す地へ行け」。カナンに到着。ある日、90歳の妻サラが息子イサクを生む。アブラハム、息子イサクを溺愛。神「アブラハムよ、イサクを殺せ、神に捧げよ」。アブラハム、息子イサクをモリア山へ連れて行き、殺そうとする。と、その瞬間、神の使い「止めなさい。お前の信心はよく分かった」。息子の命は神から頂いたもの。その命をどうするかも神次第。人間は神に従うのみ。神「セムの子孫、アブラハムよ、カナン(パレスチナ)の土地(ナイル川からユーフラテス川まで)を、お前とその子孫に与えてやる。だから、わたしを敬え、崇めよ」▼神、堕落したソドムとゴモラの人々を町ごと炎と硫黄で皆殺しにする。神の命令に従わないから。ソドムに住んでいたロトは天使から後ろを振り返らないで逃げなさいと命じられるが、ロトの妻が振り返ってしまい塩の柱になる。『創世記』
イサクの息子ヤコブの時代。ヤコブはある日、神と相撲をして勝つ。神(エル)に勝つ者(イシャラー)、神から「イスラ エル」という名前をもらう。飢饉が起きたので一族を連れてエジプトに移住。当時、エジプトはヒクソス族が支配しており、ヒクソス族の近縁イスラエル民族もエジプトに移住。しかし、エジプト人はヒクソス族をエジプトから追い出し、イスラエル民族は奴隷に。過酷な強制労働はもう嫌だということで、ヤコブの子孫モーセがイスラエル民族を連れてエジプトを脱出。シナイ山へ。預言者モーセを通じて、神は言った。以下の契約(十戒)をまもれ。他の神はない(最重要ルール)。神を敬え(像を造るな、神の名をみだりに唱えるな、安息日は休め※エジプトでの奴隷労働の記憶)。道徳まもれ(父母を敬え、殺すな、不倫すな、盗むな、嘘つくな、隣の家をほしいと思うな)。『出エジプト記』
年に1回、山羊(ヤギ、goat)を荒野に放つ。ユダヤ人の身代わりに罪のつぐないをさせる。scapegoat▼女と性交するように男や動物と性交してはならない。忌まわしい行為であり、お前はけがれた不浄の身となる(18)。『レビ記』
神はアブラハムとその子孫にカナンの地を与えると約束された。アブラハムの子孫モーセの死後、モーセの従者ヌンの子ヨシュアがモーセの後継者となり、カナンの地(約束の地)に向けて出発した。カナンの地の都市イェリコ(ヨルダン川西岸)には先住民族がいたが、皆殺しにした。「町にあるものは、男も、女も、若い者も、老いた者も、また牛、羊、ろばをも、ことごとくつるぎにかけてほろぼした」。神の命令に従い、アイの住民も同じく、皆殺し、略奪した。ヨシュアの名声はあまねくその地に広がった。『ヨシュア記』
ヘブライ人は、ペリシテ人(体格が大きく鉄製の武器をもつ)の軍に苦しめられていた。そこに現れた怪力サムソン(ヘブライ人)。サムソンはペリシテ人の軍を圧倒した。ヘブライ人側が優勢に。そこで、ペリシテ人の美女デリラは、サムソンを誘惑して弱点(髪の毛を切ると怪力が出ない)を聞き出し、サムソンの髪を切って怪力を奪う。捕らえたサムソンは両目をつぶされ、ペリシテ人の神殿に連れていかれる。しかし、サムソンが神に祈ると、髪の毛が伸び、怪力が復活。サムソンはペリシテ人の神殿を破壊した。『士師記』
ヤコブの子孫ダビデはペリシテの巨人戦士ゴリアテの眉間に石を当てて倒す▼ダビデ王はある美女に一目ぼれ。兵士ウリヤの妻。ダビデ王は人妻と知りつつも、美女を愛人にして妊娠させる。ダビデ王は、兵士ウリヤに手紙を持たせて戦場へ送り出す。この手紙を現地の将に渡せ。中は見るな。「ウリヤを敵の精鋭の中に孤立させ討ち死にさせよ」。ウリヤは死ぬ『サムエル記』
女王サバ(シバ)は、知恵者ソロモンの噂を聞き、イスラエル王国を訪れ、ダビデの子ソロモンにたくさんの質問をする。ソロモンは女王サバの質問にすべて答えることができた。サバとソロモンはお互いを称えた(10)▼ダビデの子ソロモンは他の神を拝むようになった。重大な契約違反。ヘブライ王国は南北に分裂して衰退。北のイスラエル王国はアッシリアに滅ぼされる。南のユダ国の民はバビロニアの奴隷に(ユダヤの敵・新バビロニアのネブカドネザル2)。これは神によるイスラエル民族への罰(11)。『列王記』
財産と妻子を失い人生どん底のヨブ。神は人々に幸福とともに、苦難も与える。悪いことをしていなくても。どんなに不幸でも神を信じて生きなさい。『ヨブ記』
※海獣リヴァイアサン
ペルシアで暮らすユダヤ人の美女エステル。ペルシア王に気に入られ、王妃になる。ユダヤ人であることは内緒。ペルシア王の大臣ハマンはユダヤ人が大嫌いで、ユダヤ人を皆殺しにするよう王に迫る。そこで、ユダヤ人エステルは、王と大臣を宴会に招待。上機嫌の王「エステルよ、お前の望みを何でもかなえてやろう」。エステル「ユダヤの敵ハマンを死刑にしてください」。ハマンは死刑になる。『エステル記』
生きている犬は、死んだライオンに勝る。『コレヘトの言葉』
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『タルムード』
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※旧約聖書。 BC5。ヘブライ語。アラム語。ユダヤ教徒は「聖書」と呼び、キリスト教徒は「旧約聖書」と呼ぶ。
※日常生活のルール本(タルムード)。日常生活のルールに詳しい先生(ラビ)。集会所(シナゴーグ)。
※より厳格な方から、正統派、保守派、改革派。
※イシュマイル。アブラハムとエジプト人の女奴隷ハガルの子ども。アラブ人の先祖とされる。
※シナイ山。現エジプト領。
※肉体は神から与えられたものなので、(神の命令でない?)他殺・自殺は罪。人間の生き死にを決めるのは神。
※ユダヤ系企業。リーヴァイ・ストラウス(Levi's創業)。レイ・クロック(マクドナルド社)。アーサー・サルツバーガー(NYT創業者の嫁と結婚)。ミハイル・コーガン(TAITO創業)。
※ユダヤ人に多い名前。アブラハム、アイザック、ジェイコブ、モーセス、○○マン、○○バーグ、○○タール、○○フィールド、○○シュタイン。
※祭り。プーリム(仮装)。仮庵(かりいお)の祭(屋外に小屋を建てて過ごす)。
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思ったより読みやすかった。シンプルな文で、わりと淡々とでもすごいスピードで。
始めのほうは、知られている聖書の話!の短編集のように進んだけれど、アブラハムから最後までは、その子孫の話、男女、家族、兄弟の人間関係にまつわる話。
Posted by ブクログ
岩波文庫から出ている日本語訳(所謂「関根訳」)旧約聖書の『創世記』。ビブリア・ヘブライカ(1937年版)を底本としており、詳細な注釈を施している。
本書の特徴は、高等批評に基づく聖書本文の詳細な注である。訳者は文章仮説に基づいて、本文の各節がおおよそどの資料に由来しているのか(或いはそう考えられるのか)を注で事細かに解説している。またそれに合わせて、文意が通るように一部節を入れ替えている箇所がある。無論本文の単語や語句、その背景にある思想についても説明がされており、学問的にもまた文学的にも読みやすいものとなっている。
本書が訳されたのが1956年ということもあり、現代の聖書研究と比べ古い説を採用している可能性があるが(特に文章仮説の問題)、それでも手軽に本格的な聖書読解ができる書として有用だろう。
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物語として主要なエピソードは、だいたいどっかしらで見聞きしてるもの。残りはひたすら氏族の系図。
ユダヤ、キリスト、イスラムという、これらだけで人類のほとんどをカバーしてしまう宗教の、この世の始まりを示した聖典なので、こうして通読すると、なかなかに感慨深い。
Posted by ブクログ
紀元前のもっと昔の
より神に近い時代の話
ヤコブかな?(すでに名前がw)
兄弟をめぐって本人たちや母親が
狡い策を企てたりすると
オホッ!
ってなんかわくわくしちゃう。爆
Posted by ブクログ
「創世記」である。
いや、それだけのものなんだが・・・
それではナンだから、少し書く。
旧約聖書は別に新共同訳と文語訳を持っているけれど、この岩波文庫版は「無教会派」(という、ひとつの教派)の関根正雄氏の翻訳で、教会信仰から距離を置いた訳出と言うことで、それなりの信頼を持っている。
全巻の翻訳が完成されることなく他界されたのは何とも残念なことであった。
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英語の授業が聖書の訳だったのでつい買ってしまった。ユダヤ教の人はこれを信じていると考えていいのでしょうか?あまり宗教心とかは無いんですが、世界一のベストセラーだし、どこかで聞いたことあるような話がポンポン出てくるのでまぁまぁ読み易い。
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これがソフトウェアに入っている人が多数な限りは男女平等って本当に実現不可能なのかも?と思った。
そういうものとして読むしかないねという。
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読んでみて驚いたのは、有名な「(天地)創造」や「ノアの方舟」が、『旧約聖書創世記』冒頭のほんの一部分だったことでした。むしろ、それ以外の記述の方が断然多かったです。「ノアの方舟」など、一部の話だけが有名になっていたことに、本当に驚きました。
また、登場する人間の寿命が異常に長いです。亡くなった時に200歳くらいの人もいたと思います。本当にそうだったらすごいなぁ、と思いながら読みました。
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呼んでいる間じゅう、「男尊女卑」という言葉が浮かんでいた。読みが浅いのかもしれない。もっとずっと後に読んだらまた違うことを感じるかもしれない。
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マンガで一度通読していた。
改めて活字で振り返る。様々な解釈がなされるのにも頷ける。
バベルの塔はやはり興味深い。
またヤコブの角力のエピソードが印象に残っている。
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古典として旧約聖書を読書。創造の7日間、アダムとイブはあまりに有名だが全体を読むのは初めて。ノアの方舟やバベルの塔は漫画で読んだことがあったが原典ではかなり短かった。他の資料や想像で補って膨らませたのか。人名がとにかく多いが大半は話に関わってこない。重要なのはアブラハムからヨセフの系譜だろう。訳者は創世記を神との約束が問題であるとしている。現代の感覚では矛盾していると思う個所もあるがキリスト教、ユダヤ教の原典でイスラム教にも一部啓典とされている物語のパワーを感じることができた。聖書を読むことで様々な作品の聖書からの影響を知ることができるのも大きい。
しかしドラキュラと子どもが世界の伝説を巡る漫画のシリーズは今でも記憶に残っているなぁ。もう一回読みたいしタイトル調べよう。
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ヤハウェが人に対してやたら厳しい
アブラハムの家系だけ優遇されててずるくない?とか思いながら読みました。
解説を読むと何となくその理由がわかるような気がする。
Posted by ブクログ
キリスト教にもユダヤ教にも通ずる、旧約聖書の五書のうちのひとつ。
天地創造とアダムの家系についての話が書かれており、バベルの塔やノアの箱舟などの有名な話も創世記に修められている。
旧約聖書に出てくる聖人とよばれるような人でも、人間らしい過ちを犯したりすることも多く、そこは今も昔も変わらないのだ、と思いました。
~の家系、という内容で数節を使うほどたくさんの人物が出てきたことには驚いた。なぜ言及されていない者がたくさんいるのかは分からなかった。
家系図を見ながらの読書だったので、一連の話は理解することができました。
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原罪とは自己意識のことだ。分裂してしまった自己意識を備えた人間が宿命的に負わされることとなった苦悩、それが楽園追放という物語として表現されているように思う。神に意識の分裂は無い、神は自己反省しないだろう、自己超越する動機も無いだろう。ロゴス(論理/言語/理性/自己意識)の自己関係的機制の中に放り込まれて生きるのが人間だ。神は、自己関係的な在り方をしていない。
ロゴスは神に由来すると云うが、ロゴスは、必然的に自己超越的・自己否定的な機制として在るのであり且つ同時に自己完結的である、という矛盾の中に在る。そして外部が存在しない。人間が生きているロゴスを投影し、同時にそこに孕まれている自己矛盾を抹消したものが――勿論それは本質的に不可能であるが――、神と云う観念か。
Posted by ブクログ
読み終わった…というか、とりあえず最後まで目を通したって感じ。ぐったり。
要再読。メモの準備をして。
目的の為にはまず最後まで読むのが先決と思い、次へ。
前進あるのみ。
第一印象としては。
なんか…「古事記」とよく似てる…。
多分どちらも超表面的にベロッとしか読んでないという共通点からでしょう。
それにしても、久々に「日本語なのに理解不能」って感覚を味わいました。
特に解説。
すみませんおバカさんなんです…。
Posted by ブクログ
試験で必要だから読んだ。
人類誕生は興味はあるけども、自分的に真相を究明したいという願望に駆られるテーマではないですね。
進化論だろーが
神が人間を作り賜うたでもどっちでもいいやん
宗教学って枠組みを重視して、その中にある「なぜ」を真理という言葉に代えてごまかす感があるからあんま好きになれないわー
あ、本書はふつーの創世記です。
Posted by ブクログ
「初めに、神は天地を創造された」という有名な下りから始まる、旧約聖書最初の記。ユダヤ教、キリスト教、イスラームはすべてここから始まる。物語としては正直なかなか面白いが、これがいみじくも3大宗教の「啓典」となっている「聖書」となると、「理不尽さ」を感じざるを得ない場面が多々ある。勧善懲悪もなく、因果律もない。だから「理不尽さ」を感じるのだろう。キリスト教が「予定説」に立っているといわれる所以だ。
Posted by ブクログ
バベルの塔。
11章7節『よし、われわれは降りていって、あそこで彼らの言葉を混乱させ、彼らの言葉が互いに通じないようにしよう』
もしこんなことが無かったら、今頃自分は言語類型論なんてハマってないかも・・・笑