久しぶりに、ダブルバインド的な葛藤を感じた。とてもありがたい。
児童の自主性を大切にしつつ、教師の労力を軽減するというふたつの目的を一挙に果たす、とてもよく考えられた取り組みだと思う。
また、やらなければならないことえをバッチリページ、自由な取り組みをワクワクページと呼び、このバランスを取ること
...続きを読むを促すという発想もすばらしいと思う。
しかし、読み進むうち、カラフルな児童のページをみれば見るほど、この子たちは何のためにこの調べ学習をしているのだろう?、整理して書かれた折り紙の折り方のページを、苦労して作ったあと、学校でみてもらうのはいいが、その後、誰に見せるのだろう、などの疑問が湧き上がる。
そもそも、計算も漢字も何もかもごちゃまぜになったノートを後で何に使えるというのだろう。自分でも、次の学びの参考に見返すというより、昔の自分を遠い未来から振り返るためだと言ったところだろう。
明らかに消費の学びであり、塔のように高く積み上げることにしか繋がらないと思う。
では、どうするか?
まずは、宿題自体をできる限りなくすことだ。ここ実践は、宿題は出さないとならないものという前提に立っている。それでは、保護者が納得しないというのであれば、自己選択の期間を広げて1週間にA4 1枚の計画表を作ってもらい、そこに必ずしてほしいこと、幅のある選択コースのようなものを入れる。
調べるのは、「協力と役割」 など概念によって提示して、選択の幅は提供するが、あくまでも学校でこ学びに繋がるものに限定する。
また、何も書くことに限定する必要もない。
手伝い、運動、自分で書き込む欄を一つくらいいれるのもいい。
以上、かってな主張をしたが、著者の次の実践にも期待したい。