望月市恵のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
セテムブリーニとナフタの論戦が所狭しと繰り広げられるが、肝心の登場人物たちの造形は、いささか記号的人物のように感じられて仕方がない。/
第一に主人公ハンスだが、ショーシャ夫人に心惹かれるが、彼女がいったん山を降りると、手紙のやり取りで恋情をつのらせることもなく、たちどころに夫人を忘却の彼方へと打ち捨ててしまったように見える。
また、『八甲田山』ばりの死の行軍に足を踏み入れるも、肺に浸潤を抱えているにもかかわらず、生還後に深刻な病状悪化があった様子など微塵もない。/
第二に従兄弟のヨーアヒムにしても、明るくて豊満なマルシャに惹かれるが、胸の内を告白するでもなく、ハンスに恋の悩みを打ち明けるでもなく、とうてい血の通った人間とは思えない。
おまけに、彼自身はさほど興味を持ってはいないはずのセテムブリーニとナフタの論争を聞くために、従兄弟に毎回つきあってやるというのは、軍人として生きるのを志す人間にはおよそあるまじき救いがたい主体性のなさだ。
彼はなぜ、ハンスとは別行動をとって、可愛いマルシャが視界に入る範囲内で、時を過ごさなかったのだろうか?
このような彼の行動は、彼がハンスを愛しているという場合以外には、およそ考えられないものだ。
ずっとそういう不満を抱えながら読んでいたので、自らの死期を自覚した彼が、初めてマルシャのかたわらに立った姿は感動的でさえあった。/
この物語、僕はどうしても感情移入して読むことができなかった。
愛すべき人物が一人も見出せないのだ。
マドンナ、ショーシャ夫人にしても、彼女はなぜいつもドアを「ガチャン、ガラガラ」と開け閉めするのだろうか?
少しでも自らの美しさを意識している女性なら、普段の立ち居振る舞いにも当然それにふさわしい細やかな気配りがなされてしかるべきではないだろうか?
キルギス人のような細い眼をはじめとする彼女の描写にも、この女性ならハンスが虜になるのも当然だと読者が納得するだけの魅力は感じられない。/
セテムブリーニとナフタの論戦についても、なにしろ顔を合わせるたびに角突きあっているので、小型犬がキャンキャン吠えあっているようで、もとより『カラマーゾフの兄弟』の「大審問官」には及ぶべくもない。/
【しかし、ナフタの世界とヨーアヒムの世界とになによりも共通していたものは、血にたいする二者の関係で、手に血ぬることをおそれないという原則であった。
ー中略ー
この神殿騎士修道会士たちは、信仰を持たない人々との戦いで死ぬのを、ベッドで死ぬのよりも名誉な死であると考え、キリストのために殺したり殺されたりするのは罪悪ではなく最高の名誉であると考えたのであった。】/
マンは、終盤のハンスとショーシャ夫人の別れにはほとんどふれずに、しまいには「こっくりさん」と降霊術のエピソードにページを費やしている。
彼がいったい何を書きたかったのか、僕にはさっぱり分からない。
どう考えても、あれこれ盛り込み過ぎではないか?
どうやら、マンは「鉛筆」はどうにか借りたものの、「消しゴム」は持っていなかったようだ。/
終盤まで読んで来て、どうしてもビュトールの言葉を思い出さざるを得なかった。/
《偉大な作家とは、登場人物に存在感をあたえられる人、つまり登場人物のひとりひとりにそれぞれ一つの声をもたせられるような人のことです。》(ミシェル・ビュトール『即興演奏』)/
僕には、この物語に描かれた人物たちがそれを獲得しているとは到底思えなかった。/
おそらく作者であるマン自身も、そのことをうすうす感じていたのではないだろうか?
【つづられたこの詩は必ず忘れられてしまうだろう、ちょうど夢をおぼえていることが困難であるのと同じように】(本書第七章) -
Posted by ブクログ
本当に断片的な読後感をつらつらと書いて、後日また書き直すと思う。
・所々に(共感の意味でも反発の意味でも)気に入った言い回しがあったり、自分が好きそうな哲学めいた文章があったのでそこは楽しめた。だが、物語を楽しめた気にはなれなかった。
・長編小説を読んで、思い入れのある登場人物がほとんどいなかった小説は初めてかもしれない。しかし、その希薄さが重要な気がした。主人公の希薄化。(普通の定義は難しいが、)主人公が極めて普通に近いということ。
・最後に主人公ハンス・カストルプに山を下らせたものが何だったのかまだ言い切れない。他にも登場人物の行為でわからないことがある。だから、わからないことが多くてとても引っかかる小説なので、この点ではすごく楽しいと言っていい。
・村上春樹が「魔の山」を意識しながら「ノルウェイの森」を書いていたのが、物語の途中にもたびたび思い出された。
・最後の問いかけはずるい。
こんなに適当なことをコメントしていいのか、いや、まずいのだが、このよくわからない読後感を書き出しておきたい気持ちが強いのだった。 -
Posted by ブクログ
学生から職場に勤務するようになる直前、ぼんやりと無気力に陥っているハンス・カストルプは、気晴らしと療養を兼ねて、従兄弟の居る山奥のサナトリウムに滞在することを勧められる。
魔の山では下界と違った時間が流れ、病人たちが日々独特の生活を送り、その大抵のものは長く留まりすぎて下界に帰るところをなくし、魔の山の住人となってしまう。
山を下りたがる者、山を出入りする者、山で死ぬ者、山で諭す者、あらゆる登場人物がそれぞれ教訓となっている。教養小説と言われてますが、正直難しかったです。大半は山で繰り広げられるドタバタコメディーだと思って軽く読めます。