望月市恵のレビュー一覧
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長かった。オーディブルで、上下それぞれ20時間超え。オーディブルでなかったら分厚さに怯んで読まなかったであろう。読んだとしても完走できなかったかもしれない。オーディブルだったから、よくわからないながらも終わりまではいけた。
主人公のハンス・カストルプ青年は、幼い頃に父と母を亡くし、育ててくれた祖父も間もなく亡くし、おじに後見人になってもらって、経済的には自分が引き継いだ財産がじゅうぶんにある状態で育つ。造船エンジニア見習いとして就職が決まっていたが、従兄の見舞いのつもりで訪れた山上のサナトリウムで自分も病を得て、いつ終わるとも知れない療養生活に突入。
ハンスは、素直で誠実で感受性豊かで、どこか鈍重さもある。地上とは異なる山の上の療養生活に次第に慣れていき、恋もし、精神的師匠にも出会い、喪失も経験する。もともと近親者を喪っていることもあり、地上とのつながりはどんどん薄くなる。滞在するにあたって、カストルプ青年に金銭的不安はないようだ。これは大きい。山の上の人々の暮らしは、申し分なく美味しい食事に、夜毎のサロン、恋もするし、相手のいる人はセックスもしているようだし(もし妊娠したら出産まで面倒見てもらえるのだろうか、それとも追い出されるのだろうか、そこんとこ考えてやってるのだろうか、というのは疑問)、ゴシップにも知的な議論にも盛り上がることができるし、音楽の楽しみもあるし、風光明媚だし、軽いハイキングをすることもできるし、わりかし自由で愉快そうに見える。ただし、死と隣合せであることを除けば。この生活の終わり方は、快癒して「地上に戻ってよろしい」と医師に言われるか、言われないのにやけっぱちの卒業を決行するか、あるいは遺体となってボブスレーで地上に送られるかのどれか。
ハンスの恋の相手、ショーシャ夫人は、地上にご主人がいるのだが、病のために各地のサナトリウムを転々とし、そこかしこで恋愛をしているらしい。病によって自由を得ている、と評される場面があった(気がする)。病によってではもちろんあるけど、そうできるだけのお金があることも条件に入っている。地上の暮らしに比べて、「一見自由で楽しい/または精神的に豊かそうに見えるけど、なんといっても病気なんだから気の毒だ」とも、「病気でかわいそうに見えるがしょせん金持ちの贅沢暮らしだ」とも、どちらとも言い切れない微妙なバランスがある。
健常者と病人、世俗世界で生産的に生きる人と、雲の上で享楽的に消費生活(知的議論だってそんなもんかもしれない)を送る人、というふうに二分して考えようとするからこういうことになるのだろうか。もっと境目をゆるくして、同じひとりの人が、活力のあるときにはせっせと働いて、疲れたら好きなだけ休んで、という行き来をいつでも好きなようにできたら、もう少しやりやすくなるんじゃないだろうか。そうでないと、山登ったり降りたりは大変だし、遠くてお互いの状況もよく見えないし、山にこもるにはお金がかかるし、手離しちゃった職務には簡単には戻れないし。もちろん、このシステムにも一定の利点があるのだろうが。
⋯というのが2026年現在の私の感想。もちろん、従兄ヨーアヒムの美点や、ショーシャ夫人とのあれこれ、セテルブリーニ氏とナフタ氏の論争、それらを相対化してみせたペーペルコルン氏の存在感、なども見どころ。
カストルプ青年は、この山の上の生活をどう終わらせたか。そこには戦争の始まりが関わってくるが、胸中ははっきりとは語られない。殺伐としてきた山の上が嫌になったのか。帰るところはもうどこにもないと思っていたのに、祖国こそが帰る場所だと感じたのか。それとも、やけっぱちな気持ちからだったのか。文学研究の世界には定説があるのだろうか。 -
Posted by ブクログ
30年ぶりの再読。
ダボスのサナトリウムで思いがけず長い年月をを過ごすカストルプの物語。時間感覚の麻痺、そして停滞と思索の日々。セテムブリーニとナフタの思想的対立、ショーシャ夫人と微妙な関係、ヨーアヒムとの別れやペーペルコルンとの出会い、雪山での幻視—カストルプは様々な経験を「通過」していく。
彼は成長も破滅もなく、ただ全てを受け身に取り入れていく。そこに現代的な人間の一つの在り方を感じる。
前半のワルプルギスの夜までの物語的な流れと、後半のテーマごとの深掘りのゴツゴツ感。作品の成立過程を聞くとなるほどなと思う構造の違いも興味深い。
最後、戦場で菩提樹を歌うカストルプ。ベルクホーフでの経験が彼に何をもたらしたのか。答えは明確ではない。人間は生きている限りその時代を通過していくということか。 -
Posted by ブクログ
だいたい、ハンスの行動は最初から変だった。
普通の健康な人間にとって、病や病者とは通常禍々しくて遠ざけるべきものであって、誰も病者の群れの中に三週間も身を置こうなどとは考えないだろう。
そんなことを考えるのは、早すぎた父母の死(二人とも【彼の五歳ど七歳のあいだに死んだ】)から類推して、自らの体内にもすでに死が育ちつつあるのではないかとの不安を抱いている者だけになし得ることではないだろうか?/
【音楽は時間の流れを、きわめて特殊ないきいきとした分割法によって目ざませ、精神化し、貴重なものにします。音楽は時間を目ざまし、私たちが時間をきわめて繊細に享受するように目ざましてくれます‥‥その点で音楽は倫理的です。芸術は目ざますかぎり倫理的です。
しかし、その反対の場合にはどうでしょう?音楽が私たちを麻痺させ、眠りこませ、私たちの行動と進歩とを阻害するとしましたら?】/
前段はロシア・フォルマリズム※1のシクロフスキーの文章を思い出させる。
【生の感覚を回復し、事物を意識せんがために、石を石らしくするために、芸術と名づけられるものが存在するのだ。知ることとしてではなしに見ることとして事物に感覚を与えることが芸術の目的であり、日常的に見慣れた事物を奇異なものとして表現する《非日常化》の方法が芸術の方法であり、そして知覚過程が芸術そのものの目的であるからには、その過程をできるかぎり長びかせねばならぬがゆえに、知覚の困難さと、時間的な長さとを増大する難解な形式の方法が芸術の方法でありー以下略ー】(ヴィクトル・シクロフスキー『散文の理論』)/
【イメージの目的は、その意味をわれわれによりよく理解させることではなくて、対象の独得な知覚を創造すること、つまり、対象を《知ること》ではなくして、《見ること》を創造することなのである。】(同上)/
※1:ロシア・フォルマリズムは、1910年代半ばから1930年代にかけてのロシアの文学運動・文学批評の学派。
日常的言語と詩的言語を区別し、(自動化状態にある)事物を「再認」するのではなく、「直視」することで「生の感覚」をとりもどす「異化」の手法を提唱した。/
トーマス・マンは1875年生まれで、『魔の山』は1924年に書かれており、シクロフスキーが「異化」概念を成立させるべく著した2つの小論、「言葉の復活」と「手法としての芸術」は、それぞれ1914年と17年に発表されているが、当時のマンに、はたしてロシア・フォルマリズムの影響があっただろうか?/
【「(略)あなたは人生の厄介息子です。】/
突然、名前を呼ばれた。/
【ハンス・カストルプは、(略)機会あるごとに不幸な(略)夫人をいくども訪ね、(略)面倒をみてやるようにつとめた。たとえば、粥を食べるときにスプーンを注意ぶかく口へ運んでやり、食物が喉につかえると、吸呑みから水を飲ませ、ベッドで寝がえりをするのにも手をかしてやった。(略)ハンス・カストルプは、食堂へ行く途中や散歩からの戻りに、ヨーアヒムに(略)一足さきに行ってもらい、彼女の部屋を訪ねて、世話をしてやり、ーー世話をしながら胸がひろがるような幸福感をおぼえたが、】/
認知症の母を介護していた頃が思い出された。/
◯ 後部座席の ドアを開ければ 立ちあがる 母と暮らした 黄金の日々/
◯ なにひとつ まともに出来ぬ 者なれど 老母は吾を 頼りていたり/
◯ 生きるには あまりに弱き 者なれど 老いたる母の 世話に生かさる/
【墓地は形が不規則で、初め南に長方形にのび、それから左右へ方形にひろがっていた。いくども拡張する必要にせまられて、隣接する田畑を編入したことが一見してわかった。(略)石碑も十字架も質素なもので、あまり費用のかかったものではなかった。碑銘についていうと、(略)さまざまな名前があったが、数字はどれも同じように若くて、行年(ぎょうねん)はだいたいにきわめて数が若く、誕生から死亡までの年数はどれもほぼ二十年、もしくは、それをあまりこえていなかった。】/
増殖する新しい墓のイメージが、ロシアの墓地を呼び出した。/
◯プーチン発言:
《ロシアのプーチン大統領は25日、「特別軍事作戦」と称するウクライナ侵攻に出征した兵士の母親代表者らと会合し「誰もがいずれは死ぬ。交通事故死も3万人だ」と述べた。
プーチン氏は「近親者、とりわけ息子が死ぬのは大きな悲劇だ。だが交通事故、あるいはアルコールが原因でそれぞれ年間3万人ほどが死ぬ。われわれは神の下にある。大切なのはどう生きるかだ」と出席者に説いた。》(2022年11月27日、産経新聞)/
どうやら、プーチン・ロシアにおいては、生き方と同様死に方までをも国家が決めているらしい。
犯罪者は国のために死すべきであり、少数民族も、貧者も同様である。
これは、プーチン式「生政治」※2であり、いわば「死政治」とでもいうべきものではないだろうか?
そして、それは明らかに全体主義の一つの貌である。/
※2:フーコーの「生政治」:
《私が「生政治」と呼ぶのは、人口として構成された生きる人々の総体に固有の諸現象、すなわち健康、衛生、出生率、寿命、人種といった諸現象によって統治実践に対し提起される諸問題を、十八世紀以来合理化しようと試みてきたやり方のことである。》(ミシェル・フーコー『生政治の誕生』)/
【「道徳?(略)ソウネ、ワタシタチハ考エルノヨ、ワタシタチハ道徳ヲ徳ノナカニ、ツマリ理性、秩序、良風、誠実ナドノナカニモトメルベキデハナクテ、ムシロ、ソノ反対ノモノ、ツマリ罪ノナカニモトメルベキダト。危険ナモノノナカニ身ヲ投ゲコミ、危険ナモノ、ワタシタチヲ破滅サセルモノノナカヘ飛ビコムコトニヨッテネ。ワタシタチハ、一身ノ安全ヲハカルヨリモ、一身ヲ破滅サセ、損傷サセモスルコトガ、ズット道徳的ナコトダト思エルノヨ。偉大ナ道徳家ハ、有徳ノ士ナドデハナクテ、悪ノ、悪徳ノ冒険家デアッテ、悲惨ノマエニキリスト教的精神カラ跪クコトヲ教エテクレル偉大ナ罪人デアッタトネ。(以下略)」】/
思いがけないタイミングで、マドンナ、ショーシャ夫人の口から核心に触れるような言葉が発せられる。/
訳文は「うさんな」「ハシナイ」などの言葉に見られるように、しばしばやや古風でしゃちほこばって響く。
これから読まれる方には他の訳の方が読みやすいのではないか? -
Posted by ブクログ
ネタバレとにかく長い。退屈。特に何も起きないまま上巻が終わる。ちょこちょこ動きはあるのだけれど。サナトリウムでの様々な人々との交流を通した青年の成長物語、とでもいうのかしら。病気、死、宗教、戦争、いろんなテーマを登場人物を通してひたすら討論していく場面が続く。しんどい。下巻、盛り上がりを見せてきたところで終わってしまう。しんどい。小説というよりも哲学書のような。しんどかったけど達成感はあった。これを読めたらもう何でも読めそう。ハンスが遭難しかけて生と死について開眼していくところは繰り返し読んだ。あの部分のために他を読んだのだと言ってもいいレベルで沁み入った。結論、しんどかったけど読んでよかった。しんどいけど読んだ方がいい。
好きだった箇所をメモしておいたので貼っておく。
「人間は死よりも高貴であり、死に従属するには高貴すぎる、頭脳の自由を持つからだ。人間は生よりも高貴であり、生に従属するには高貴すぎる、心の中に敬虔さを持つからだ。」 -
Posted by ブクログ
ネタバレとてつもなく大作。
様々な人が入り混じり
通り過ぎ去っていく…
そしてハンス青年は変わらず…
彼の心はどこか空っぽだったのかもしれませんね。
最終的には強制的に魔の山からは
去らざるを得なくなり、
必然的にこの物語は幕を閉じます。
いつかはやってくるのですよ。
自主性を持つ日が…
結局のところセテムブリーニやナフタのような存在は
机上の空論を食っているだけで
やはりどこか読んでいて違和感を覚えました。
ハンスは彼らにとっては無知の象徴でしたが
染まらなかった点では無知でないと思いましたが。
人には様々な誘惑もあり、
その中には悪のものもあります。
ショーシャ夫人がある種の堕落の
象徴なのかもしれませんね。
この版は読みづらいので
別エディションをいつか読みたいな。 -
Posted by ブクログ
ネタバレこれは読むのに苦労したなー…
なぜならば終盤のハンス青年の
ほのかな思いが成就するときに
他の言語でしゃべっているのを表現するために
カタカナ混じりの会話になってるのよ。
平凡な位置青年であるハンスが
いとこの療養に付き合いうために
3週間の期限付きでサナトリウムに
行くことになったけれども…
…がつく通りでお察しです。
それとページ数で。
結局彼も発熱により
サナトリウムから降りられなくなるのです。
平凡な彼は
やがて様々な患者に感化され
心の成長を遂げていきます。
人体に興味を覚えたり
恋というものを覚えたり
そして、それが成就したり。
下巻、すごく気になるのよね… -
Posted by ブクログ
上巻は3日、下巻は読み終えるのに1ヶ月半もかかってしまった。
なんと切り口の多い作品。。
まだ完全には消化しきれていない状態でこの文章を書いている。
こういった間口の広い作品は、
フィニッシュをどこに持ってくるかという問題があり、
巻末の解説でも書かれているように、
実は作者自身も明確にはそれを決めずに書き始めて
流れに身を任せたようだが、
個人的には最終章の決闘のシーンが終わった時点で
充分な満足感が得られ、
あとはどう結論をつけても何らかの片はつくだろうと感じたので、
それだけに、このフィニッシュには少々不満が残った。
他の人はどう感じたのか気になったので色々とレビューを読んでみたが、
まあ「時間の扱いが見事な作品」「精神論の教養小説」などと
評する人の多いこと。。
これだけ切り口の多い作品に対して、特に印象に残ったのがそこ?
感性が拙いとしか言いようがない。
そのような中学生の読書感想文レベルの感想にしか消化できないような
内容の薄い作品では決してない。
まず、舞台設定の見事さだろう。
標高1600メートルの山上にある高級療養施設。
抑圧の強い地上の現実世界から隔離されていて、
病気と死がいつも隣り合わせ、建物の周辺は自然に恵まれ、
気候変化が激しく四季に捕われない季節感があるという、
筆力次第で様々な非現実性を創出しやすい舞台。
見事な設定だ。
また、この作品を難解と感じさせる要因として、
第6章のセテムブリーニとナフタの激しい会話のやり合いがある。
精神と自然、病気と死、革命と伝統、自由と秩序。
色々詰め込んでいるが、
メルヴィル「モービィ・ディック」のような、
ただ単に詰め込んだだけで、
その事が全く何の効果も成していない駄作とは違い、
この作品は「詰め込み」が作品と綺麗に調和し、
芳醇な広がりを演出している。
しかし何と言っても、この作品の一番の読ませ所は
各シーンの起承転結のつけ方だろう。
過剰なまでの精神論、政治論、宗教論の応酬、
気まぐれに表情を変える美しい自然の描写、
音楽の与える高揚感、
様々な方法を駆使してクライマックスまで持っていき、
感情が最高潮にかき立てられた所ですぱんとシーンがカットされる。
この切り方が実に見事で、この読後感だけでも
読んで良かったと思わせるものが充分にある。
こういった粒ぞろいの各章を全体として俯瞰したとき、
上記「時間の扱い」「精神論」が作品に与える深みにも
唸らせられるのであって、
この作品を「時間に関する小説」「教養小説」などと単純に
一面的な部分を切り取って断定するのはナンセンスである。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ上下巻合わせて1200ページ余りながら、不思議な物語と精神論・宗教論が混ざり合い、非常に難解な物語でした。
読み進めることが、まさにタイトルのごとく「魔の山」を登ることのようでした。。。
と冗談はさておき、
本書は、主人公ハンス・カストルプの結核を中心に、病気という面から「生と死」の考察と、サナトリウムという療養所のある平地と隔離された街を「時間」の考察という、2つの大きな主題から成り立ちます。
主人公のハンス・カストルプは、優柔不断というか、自己主張の少ない青年で、従兄弟のヨーアヒムを見舞うために、3週間の予定でサナトリウムを訪れます。しかし、サナトリウムで結核と診断され、長期療養を言い渡されるも、主人公のハンスはそれほど抵抗なく、療養を受け入れます。そして、時間的に孤立した療養所に留まることになるのです。
病気が人生観を変えたという話は、聞いたことがあると思います。病気は生と死の中間にあるものとも言えますが、病気は生の方向を良くも悪くも修正できる力をもつものなのかもしれません。
もう一つの主題である「時間」についてですが、この時間の魔術は、私達の時代でも容易に想像できるものなのではないでしょうか。普段の社会生活の中でも、時代の潮流に乗れていないと感じたり、世のトレンドとは無縁なコミュニティしか持ち合わせていなかったりと。。。
ある種、ゲーテとは異なる教養小説。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ上巻に引き続き、サナトリウムで過ごすカストルプ
いつのまにか従兄弟よりも施設に馴染み、さまざまなことに興味を持ち楽しんで過ごす
従兄弟のヨーアヒムは、ここの生活、治らない自分に苛立ち、早く普通の生活に戻らなければとあせっていく
やがて、ヨーアヒムはついに医師の忠告を振り切り、軍隊に帰っていく
月日がたつにつれ、季節はうつり変わりにそして、カストルプは植物に興味をそそられ
瞑想にふけり、セテムブリーニやナフタの宗教や、思想に耳を傾け、サナトリウムに溶け込んでいく、怖いくらいに‥
もうこの世界から抜け出したくない
抜け出せなくなっていく
まさに魔の山
雪山で遊びながら遭難しかけたり、周りの人々との関わりの中でさまざまな感情を捏ね回す
どんなにあがいても、サナトリウムの中でのこと
で、守られていることに気がついていたのだろうか
やがて最愛の従兄弟が帰ってきて、最後の別れとなるあたりから、ますます魔の山に飲み込まれていく
サナトリウムの壁のような存在になるまでには
何年もの歳月が必要ではあったけれど
それは
「長き間の束の間」
思想や宗教に関する話にはなかなかついていかれないがそんな話の中にも現実みがないような
狭い世界での討論に聞こえてせつなくなる
そして突然迎えるカストルプの転機
これは、作者の作品の中断にも関わっているのだろうか?
第一次世界大戦と言う悲惨な歴史の中に主人公を放り投げ、物語もまた投げ上げてしまった
当時の世界情勢に飲み込まれていくようで
これもまたせつない
サナトリウムでの、出来事のあれやこれは
なんだか楽しく読めたので、満足
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Posted by ブクログ
ネタバレまさに魔の山
いろんな意味で!
一人の青年が就職の前に少し休養するつもりで訪れたサナトリウム
従兄弟が長い間療養していたため
ほんのお見舞いのつもりで‥
はじめは会う人それぞれの病状をまさに人ごととして捉え、同情し、自分とは違う世界のこととして馬鹿にしたような態度をとる
が、しかし
彼もまた同じように病んでいたのだ!
そしていろいろなものに影響されていく
死を間近に見て、人々やドクターとの関わりから
生命を、人体を学びはじめる
そしてそしてさらに恋も!
もう大丈夫?って思うほどの思いつめかたをして
支離滅裂になっていく姿は怖い
狭い世界の中で
心までも病んでしまいそうな日々
はたしてこの後どうなるのか?
日常に戻れるのか?
かなり時間がかかる読書となったけど
じっくり読まないと理解できなくなるので
また下巻もじっくり読みたい
また時間がかかるんだろうなあ
魔の山に取り憑かれた自分がいる