ランボオのレビュー一覧
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彼の叫びが木霊する。世界は明滅を繰り返す。
生きていることが地獄であると知ってしまうことはどれほど窮屈なことだろうか。社会だとか、貧困だとかで地獄なのではない。そんなものは彼が何よりも嫌ったものだ。生きて死ぬこと、このことを前にしては、そんなもの些末なことに過ぎない。どんなにことばの地獄で汚そうとしても、どんなにことばで新しいものを錬金しても、どこまで行ってもことばから離れられない、そして、それゆえにすべてのことが許されてしまっている。だから、地獄なのだ。もう、ひとにもまれて踏みにじられ、そうやって生活して生きるよりほかないのだ。人生は茶番ではない。
そんな彼の乾いた孤独を誰がわかってくれただろう。あのヴェルレーヌでさえ、結局は腑抜けた腰抜けだった。
筆を折ったのはもう語ることが何ひとつないと気づいてしまったからなのか。『酔いどれ船』で宇宙に飛び出したかと思っていたが、彼が飛び込んだのは実は深い深い土の中だった。その時彼は泣かなかったのだろうか。書くということから背を向けて歩き出す彼の姿が、強く見えて、でも悲しく見える。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ詩集の題名は『 UNE SAISON EN ENFER 』で、直訳すると『地獄時代』になる。「普仏戦争・ランボーが熱狂的に応援した革命政府(パリ・コミューン)の崩壊・ヴェルレーヌとの地獄の旅」を体験したランボーの青春は確かに「地獄時代」かもしれない。ただ、フランス語の「SAISON」には英語と同じく「季節」という意味があり、「比喩」と見て『地獄の季節』という題名でも問題ないと思う。
ランボーは自筆原稿・本の多くを燃やし、小林秀雄が『飾画』と訳した『イリュミナシオン』はランボーが「燃やさずに残した詩を未完成のまま編集した詩集」だった。
このためランボーの詩のテキスト整理に時間がかかり、『地獄の季節』の「gargouilles (怪獣の形をした屋根の雨水落とし・屋根を流れる雨水を受けて、地上や下水道に導くための樋)」を「蛇口」と訳すなど、少し誤訳がある。しかし、これはランボーの責任であり、小林秀雄の不運だったと弁護しておく。
『イリュミナシオン』の原稿が最悪で、「二つの詩が一つの詩に見える・韻文詩が散文詩に見える」という代物だった。こうした悪条件の中で、ランボーの翻訳に取り組んだ小林秀雄の努力は評価すべきだと思う。
ちなみに「『Fairy』と『戦』は一つの詩だった」という説もあり、「ランボーのフランス語テキスト」がまた、変更される可能性もあり。 -
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こんなにも大きく豊かな広がりがあって、強く重く濃い作品をも、ひとは詩と呼ぶのだろうか。より適切な表現は何かないものだろうか・・・とランボーの詩に触れるたびに考えていた私にとって、この岩波書店の文庫は表紙からすばらしい。
「ヴェルレーヌが『非凡な心理的自伝』と評した散文詩」という(私にとっては)衝撃的&心底納得する事実や、その他ランボーに関する大まかな情報が、表紙を使って的確に紹介されているのである。
『非凡』であることは分かりきっていたけど、なるほど、『心理的自伝』とはさすがヴェルレーヌ氏。ものすごくしっくりくる表現である。
そして『非凡な心理的自伝』は、ランボーが、選び抜いた言葉をもっとも魅力的に組み合わせて、ランボーのみが持つ「地獄の季節」という世界を描き切ったものであるが、それを小林秀雄が用いる日本語で置き換えてあるからこそ、なおさら、私を惹きつけてやまない作品となっている。
天才と天才の相乗作用は、計り知れないものがある。
ランボーに強く惹かれているときは、原文を理解できない自分が残念に思えたりもするのだが、ランボー作・小林秀雄訳という形を読めるということには、大変な幸せを感じる。
といっても、どのみち理解できたとはいい難い。
もちろん原文のままでは話にならず、小林秀雄氏の力は先に述べたとおり、充分すぎるほど充分なのだが、それでも熱中して読んでいると理解できない、というより、理解する気にならない、という感覚に陥る。
おそらくランボーの言葉たちは、私の理性にはまったく働かず、感性や本能といった部分を直撃してくるのだろう。 -
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ランボウの詩集ですね。
訳は、小林秀雄さん。
初版は1938年。復刻版です。
ランボウの代表作であり、最後の作品ですね。
散文詩が主です。
「錯乱 Ⅱ 」
夏、朝の四時、
愛の睡りはまださめぬ、
小立には、
祭の夜の臭いが立ちまよう。
向こうの、広い仕事場で、
エスペリードの陽をうけて、
もう『大工ら』は
肌着一枚で働いている。
苔むした『無人の境』に、黙りこくって、
勿体ぶった邸宅を、大工らは組んでいる、
街はやがてその上を、
偽の空で塗り潰そう。
ヴィナスよ、可愛い『職人ども』のために、
バビロンの王の家来たちのために、
暫くは心驕った『愛人たち』を、
離れて来てはくれまいか。
ああ、『殺人たちの女王様』、
大工の強い腕節が、真昼の海の水浴を、
心静かに待つようにと、
酒をはこんで来てくれまいか。
『出 発』
見飽きた。夢は、どんな風にでも在る。
持ち飽きた。開けても暮れても、いつみても、
街々の喧噪だ。
知り飽きた。差し押さえをくらった命。
ーーああ、『たわ言』と『まぼろし』の群れ。
出発だ。新しい情と響きとへ。
「海 景」
銀(しろがね)と銅(あかがね)の車ーー
鋼と銀の船首がーー
泡を打ち、ーー
茨を根元から掘り起す。
曠野の潮流と
引潮の巨大な轍は、
ぐるぐる廻り、流れ去る、東の方へ、
森の列柱の方へ、ーー
波止場の幹材の方へ、
その角は光の旋風に衝突する。
周知のように、この作品はランボウの文学への絶縁状であり、若き天才の圧縮された文学的生涯のすべてが結晶されています。
小林秀雄さんの名訳で、堪能しました(=゚ω゚=) -
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藍色の海峡からオシアンの海にまで、葡萄酒色の空に薄くいろどられた薔薇色とオレンジ色の砂のうえに、幾筋もの水晶の大通りが高まり交叉すると、時を移さず年若く貧しい家族が住みついて、果物屋で命を保つ。豊かなものは何ひとつない。
詩集にはランボオの生い立ち、人生についての記載が沢山あり、解説者もランボオの人生と織り交ぜながら詩を解説しているのに最後のページで村上龍がランボオの人生とこの作品は全く関係ない。暇な日本人が作品と作者の生き方を重ねるというセンチメンタルな愚を犯すのが大好きなだけ。と書いてあって笑ってしまった、きっと深い意味はなくその通りなんだろうな。 -
Posted by ブクログ
ランボー 地獄の季節 。別訳本や解説本と一緒に読むと理解が深まる。詩人ランボーの反抗と挫折、生活、魂の告白と消耗、言葉の破壊と虚無と創造
地獄=キリスト教的な地獄。私とは一つの他者→イロニー=自己からもう一つの自己を生み出すこと→自己を批判し、笑い、突き放すこと
「私は美を膝の上に座らせた」〜錯乱Ⅱ末尾「今、美にお辞儀できる」とつながっている
*美=既成の詩→詩に関わる前は 毎日が饗宴
*美→苦々しい奴→醜い内実をつく→ランボーの真骨頂
*私は正義に対して武装した=キリスト世界への反抗
*親愛なる悪魔=ヴェルレーヌ?
悪い血=自分探しの旅に出てはいけない
*ゴール人=自分のルーツ→悪い血の第一確認
*白人的な生や存在を拒否→黒人、獣としての生きる力
*黒人=非キリスト教的な野生の人、理想的な黒人
*自然のままの光の黄金の花火となって生きる
地獄の夜=キリスト教との戦い
*地獄にいることが 恍惚であり、悪夢
*火の雫(しずく)=地獄の洗礼を意味→地獄の季節の核心的表現→火と水の結合概念
*俺は疲れた=魂の費消
*キリスト教の観念、道徳に対して 偽りの回心
*ゆえに我地獄にあり=自分の弱さに我慢ならない→地獄の苦しみ
錯乱Ⅰ
*語り手は 狂気の処女へ。狂気の処女=初期のランボーの魂(キリストを信じていた)
*二人の共同性の破綻→憎しみ合う
錯乱Ⅱ言葉の錬金術
*語り手は 地獄の夫へ。地獄の夫=現在のランボーの魂
*母音に色=異教徒の言葉(フランス語ではない)
「最初は試作(エチュード)だった〜沈黙を、夜を書いた」
*かき出す術のないものも書いた=言い表せるものの限界を越えようとした
「私は 魔法の詭弁を 言葉の幻覚によって説明した」
*詩人の物語が詩人の挫折の物語へ反転
*言葉自体が幻覚を起こす→言葉が勝手に動き狂う
*一番高い塔の歌=狂い始めた言葉たち
「永遠」という詩
*永遠=太陽に溶け込んだ海→火と水の結合概念
*空無の詩
「私は架空のオペラになった」
*多声的演劇構造
*架空のオペラ=意義の小さい仕事
*道徳とは 脳髄の衰弱である→見栄を切っている
「私は虹の橋に呪われていた」
*虹=旧約聖書の神との契約→それにより 地獄に堕ちた
*幸福の詩
不可能、閃光、朝 は 地獄の夜から 朝へ。最後の別れへ -
Posted by ブクログ
≪サイコパス・PSYCHO-PASS≫で引用されている著作を探しているときにたまたま偶然手に取る。
詩集でした。うん詩集。
≪十六歳にして第一級の詩をうみだし、数年のうちに他の文学者の一生にも比すべき文学的燃焼をなしとげて彗星のごとく消え去った詩人≫というおもしろいアオリに惹かれて購入したら、これがとんだ間違いでした。
いえ、間違いと言いますか、なんというか、途中、何度生欠伸を噛み殺し船をこいだことか。
ランボオと彼のファンにぶん殴られそうだ。
しかしながらそれ、陰鬱なる叫びがだだもれてびくびくする。
なんというか、これは、若い感性があるうちでしか書けない作品のひとつだったのだろうと穿ち過ぎかもしれないけれどそう感じられるような吐露で、嗚呼、若いうちからこんな吐露をしていたらすべてが青く見えるだろうなあと。