多様性の尊重が当然視される現在、「みんなちがって、みんないい」という考え方は、どこまでの多様性をどのように認めるのかという難題を生み出している。
かつて民俗誌研究は、前近代社会を近代的な枠組みの中で語ろうとした。その結果、対象社会を正しく理解できていないのではないかという批判が生まれた。前近代を「近代の発展段階」とみなす進化論的な立場と、文化ごとの価値を相対的にとらえる立場が対立し、研究の方向を問い直す必要が生じた。
単純な相対主義は「異なる文化は異なる世界の中でしか理解できない」という立場に行き着き、外部からの議論や理解を不可能にしてしまう。こうした課題に対して、進化論にも相対論にも依らず、動的な関係性を重視する新たな思想が登場した。本書はそれらの系譜を整理し、最終章では著者自身による再構築が示される。そこでは、多様性の有無(進化論的)でも、多様性の広狭(相対論的)でもなく、「多様性そのものを捉える枠組み」に視点を移す発想が提案される。
解説部分では各研究者の思想と具体的な事例が紹介されており、示唆に富む箇所も多い。ただし全体として難解であり、特に最終章は総論の方向性は理解できても、各論の展開は把握が難しかった。
特に印象に残った部分。
「人間も動物である」とは、人間と動物を肉体的に連続的なものと見なし、その差異を精神に求める近代的な考え方である。
一方、「動物も人間である」とは、人間と動物を精神的に連続的なものと見なし、その差異を肉体に見出す考え方であり、これはアニミズム的である。アメリカ先住民が動物の仮面をかぶる行為は、肉体的に異なる姿をとることで異なる世界を理解しようとする実践とされる。
この構図を現代のAI観に重ねると、AIの計算力と人間の知性を同列に扱う見方は、「人間もAIである」というナチュラリズム的視点ではなく、「AIも人間である」というアニミズム的世界観に近い。ただし、アニミズムが「かつて人間と動物の差異はなかった」と過去に向かうのに対し、AI観は「いずれ人間とAIの差異はなくなる」と未来に向かう点が異なる。
アニミズムは以前は別世界の思考と感じていたが、過去の思想体系として理解するだけでなく、これからの世界観の変化を考えるための手がかりにもなり得るという、文化人類学の面白さを知った。建築や政治など、異なる領域にアニミズム的視点を適用すれば、現代社会への新たな示唆が得られる可能性がある様に感じた。