加藤浩子のレビュー一覧
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加藤 浩子
東京生まれ。慶應義塾大学文学部卒業、同大学大学院修了(音楽史専攻)。大学院在学中、オーストリア政府給費留学生としてインスブルック大学に留学。音楽物書き。著書に『今夜はオペラ!』『モーツァルト 愛の名曲20選』『オペラ 愛の名曲20選+4』『ようこそオペラ!』(以上、春秋社)、『バッハへの旅』『黄金の翼=ジュゼッペ・ヴェルディ』(以上、東京書籍)、『ヴェルディ』『オペラでわかるヨーロッパ史』『カラー版 音楽で楽しむ名画』『バッハ』(以上、平凡社新書)など。著述、講演活動のほか、オペラ、音楽ツアーの企画・同行も行う。
ただ、バッハの音楽についてよくいわれる「心を落ち着かせ -
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「音楽家一族の家に生まれ、ごく自然に音楽家になり、当時の音楽家にならって宮仕えをし、家庭用営み、一生を終えた」との記述が、バッハの生涯を端的に表している。バッハ一族はルター派の音楽家で、彼らの職場はルター派の教会だった。
1703年、18歳の時、アルンシュタットに新造された教会のオルガニストとして、初めての定職を得た。
ヴァイマルに着任して間もない頃からイタリア人作曲家の声楽曲や協奏曲を書き写しており、とりわけイタリア風の協奏曲はバッハを魅了した。
バッハが人生後半の四半世紀を過ごしたライプツィヒは、ワーグナーが生まれ、シューマンが大学に通ってクララと恋に落ち、メンゲルゾーンがゲヴァント -
Posted by ブクログ
子どもの頃、ピアノのレッスンで登場するバッハが、苦手だった。
両手がバラバラに動くようなフレーズも難しかったし、同じ強さで淡々と弾くように言われて、もっとドラマティックなメロディが弾きたいと、つまらなく思っていた。
音楽室に肖像画がかかっている、その程度の印象しかなかった人は、当時の私にとっては2次元で、何世紀ごろの人、と筆記試験のためにマル覚えするような対象でしかなかったのだ。
宗派のこと、時代のこと、政治のこと。
こういうことを知っていれば、バッハの音楽がもっと面白く感じられていたかなぁ。
少なくともバッハが、現代を生きる人間と同じように悩んだり、恋をしたり、仕事に情熱を燃やしたり、まる -
Posted by ブクログ
今まで色々なバッハについての本を読んできたが、今回ほどバッハが住んできた都市を体系的に理解出来た事はなかった。当時の社会に於いて自分の住む所が生活の全てであって、その都市を離れるというのは生活環境を全く変えてしまうという事と想像出来る。その中にあってバッハは、収入・仕事環境改善と宗派的理由から何度も居住地を変えている。それが、本人の才能を活かすため、現代語でいう「リア充」を求めてなのか、家族の幸福(教育)の為なのかは、分からない…残っている資料は基本的に公のものばかりだから。今でも会社を辞めるときには「一身上の理由により」と書かれるが、その一身上の裏には多くの理由があるのと同じだ。
個人的に