スティーブンスローマンのレビュー一覧
-
Posted by ブクログ
トイレについて知っているかと聞かれたら、僕は“知ってる”と答える。
では、トイレが流れる仕組みは?と聞かれたら、答えは一変“知らない”。
他にも、トイレの作られ方は?歴史は?、、、全く知らない
せいぜいトイレなんて見たことがあって、使ったことがあるくらいなもの。
毎日使ってるから勝手に知り尽くした気になってるが、ほとんど何も知らない。
トイレの部分を身の回りの別のものに置き換えて考えると、ほとんどのことについて無知の部分が圧倒的に多いと気付かされる。
それなのに僕らは物事を“知ってる”と過大評価して思い込んでしまう、その理由を本書は解説してくれる。
中でも以下の説明は個人的に面白かった。
-
-
-
Posted by ブクログ
ネタバレ人間は外部に知識をアウトソーシングして生活している(自分がいる空間を把握しているつもりでも、ライトの形ひとつ見直さないと思い出せない)。知識不足を漫然と自信でカバーしている。専門分野が違うもの同士で協力して初めて人間の能力を超えた推論能力を獲得する。人間は直感と熟慮の二つを行ったり来たりしているが、日常生活の大半は直感で処理するために誤謬が生じることが多い。人間は表層的にしかものを知らないが、それでも十分生きていけるのは知識のさまざまな部分の責任をコミュニティ全体に割り振るような認知的分業が存在するからだ。「知らないと言うことを知らない」を知ることが大切で、そのためには自分が知っていると思って
-
Posted by ブクログ
ネタバレとても興味深い内容だった。
人間はみんな無知であること。
ほとんどの人間が知識の錯覚を起こしてること。
知能は、知識のコミュニティという所属するコミュニティに依存、依拠するものであること。
どれも分かっているようで、指摘されることで少し受け入れ難く、読み進めることで納得してしまうものばかりである。
また、本書の素晴らしいところは、知識の錯覚によって人間が繁栄してきたこともちゃんと認めた上で、危険性についてもまとめている点である。
"実力も運のうち"を読んでいたときにも個人の能力は、その人の努力のみで生み出されるものではないことにも通ずる考えのように感じる。
我々人 -
-
-
Posted by ブクログ
全国の高校生の課題図書にするのが良いのではないか。
反知性、反科学がなぜ隆起するのか、その原因の一端が腹落ちする形で説明されている。
個人の知識の限界と、それを拡張する人間に備わった補完機能、またその危険性を解説している。
人は日頃使っている道具(例えばファスナーや自転車)すら、その機能や原理を詳細に説明することはできない。
しかし、殆どの人はそのことを自覚しておらず、自分はそれを知っていると考えている。
人は個人の知識に限界があるからこそ、周囲の環境や道具、あるいは別の個人を使ってそれを補完している。これは人間固有の特徴であり、人類が発展してきた原動力でもある。だが、そこには危険性もあ -
Posted by ブクログ
もっとライトなものかと思って読み始めたら、間違いなく骨太本。説明深度の錯覚も興味深かったが、個人的には知識はコミュニティに蓄えられる、という主張がしっくりときて納得。個人の能力より、コミュニティの知をいかに上手く使うか、の方が大事という主張は個人の能力至上主義的な考えをしている自分には目から鱗だった。
フレーズ
人間は自分が思っているより無知である、
文明が誕生した当初から、人間は集団、一族、あるいは社会のなかではっきりとした専門能力を育ててきた。農業、医療、製造、航行、音楽、語り部、料理、狩り、戦闘をはじめ、さまざまな分野にコミュニティの専門家がいた。一人が二つ以上の専門能力を持つ -
-
-
Posted by ブクログ
スティーブン・スローマン他が取り組んだ、壮大な問い、私たちはなぜ自分の知識を過大評価するのか。知ってるつもりになって、平気で生活しているのか。トイレの水の流れる仕組み、自転車が動く仕組み、など日常的に使っているのに、簡単に説明できないことがたくさんある。
我々は、分かった気になっているだけなんだと気付かされる。認知科学の観点では、極端な意見を持っているひとは、実は中身を理解していなかったりするんだと。これは、非常に気づきの多い本だと思う。てっきり知ったかのように振る舞っているけど、それは強がりであり、虚勢であり、実は完全に理解していない。
我々は、わかっていないということさえわかっていない -
-
-
Posted by ブクログ
本書の結論は、「知能は特定の個人ではなく、コミュニティの中に存在する」です。
個人は驚くほど無知であり、人類を発展させたのは、集団(コミュニティ)がもっている知性であることをいっています。
巻末に、本書の三つの主題、「無知」、「知識の錯覚」、「知識のコミュニティ」が書かれています。
「無知」
・個人が処理できる情報量には重大な制約がある
・人間は、自分がどれほどわかっていないかを自覚していない
・知識を全て足し合わせると人間の思考は驚嘆すべきものとなる、ただ、それは、コミュニティとしての産物であり特定の個人のものではない。
・たった一つのモノについてさえ、そのすべての側面に精通することは不可 -
Posted by ブクログ
タイトルから自分が勝手にイメージした内容とは異なっていましたが、「読んでよかった」と思えた本です。
「ヒトは、自分自身が思っているほど、物事を理解していない」ということについては、自分自身のこととしても何度も体験したことがありますし、他人を見ていても何度も経験したことがあるので、ヒトにはそういう傾向がある、と思ってはいましたが、もっと一般的というか普遍的であることを、この本を通して確認できました。
そもそも、人間どうしがコミュニケーションに使う道具である「言葉(言語)」自体も、まだまだ完成してはいないことを考えると、ヒトが物事をあまり理解していないことについては、まったく違和感ありません。
-
-
Posted by ブクログ
ネタバレこの本は
①、我々の知識の殆どは他人(環境)任せ
②、我々はその事を理解出来ていない
③、しかし①である方が効率的
④、しかし②を理解していないと問題が多発する
と言う事を、例を挙げて解説する内容が終始延々と記述されており、恐らく誰しも何となく思っていた事が殆どに感じます。
それでも良い本だと思うのは、あとがきに書いてあるとおり、『改めて考えてみるまで、こうした考えを明らかだとは思わないから』。
内容は具体的な事柄に対しての対策と言うよりも人生の各事柄(生活、勉学、人間関係)のどの事にも言える汎用的なもので、且つふわふわと思っていた事が明確化された事で各事柄に対するより良い選択や方向性の決 -
-
Posted by ブクログ
人間は自分の知識を過大評価する生き物である。
人は全てのことを理解することは不可能である。
人間は知識のコミュティーに生きている。自分の無知を自覚し、適切に周囲から正しい知識を求めることができれば、賢い判断が出来るだろう。
個人でどれだけ賢いかはあまり意味がなく、ひとつの集団内でどれだけ賢いかどのように自分が貢献できるかが大切なのかと思った。
最近、仕事であまりに理解力がない自分に嫌気がさしていた。また、私は理解したつもりになることが多く、何を持って理解したことになるのかというのが分からなかったので、少しでもこんな自分の自分の助けになればいいなと思い、この本を手に取った。
結論としては、私