ジョルジュ・バタイユのレビュー一覧
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Posted by ブクログ
読む前から一度読んですんなり理解できるとは思わなかったけど、やっぱり読んでみて明確に理解することはできなかった。『同性愛の経済人類学』という論文を読んで、そこにエロティシズムと労働の関係について書かれていたので、おかげで少しは入って行きやすかったかも。
先に論じたことを後でも繰り返し述べられているような形になっているので、そのあたりは理解しやすかった。
あくまでこれは男性視点のエロティシズムだな、というのは感じた。女性のことははなから無視されているような。そこになんとなく違和感があった。確かにエロティシズムという問題を論じるときに、男性主体になるのは仕方ないのかもしれないけど。これが書かれた時代もあるだろうし。
でも興味深いことがたくさん書かれてたのは確かだと思う。一貫して語られていたのは「禁止は侵犯されるためにある」ということ。つまり規則は破られるためにある。ただし、そのとき禁止は乗り越えられるだけであって、消滅するのではない。しかも禁止の侵犯は動物的なものではなく極めて人間的。
『汝殺すなかれ』『肉の交わりは、ただ結婚においてのみ果たされるべし』聖書においてこの二つの命令がなされているのは改めて考えるとおもしろい事実だと思った。
そのうち『バタイユ入門』でも読んで出直してくる。 -
Posted by ブクログ
ネアンデルタール人に道具、すなわち労働が、埋葬すなわち死が観念として発生し、クロマニヨン人により洞窟壁画などの宗教観念が認められるものが現された。
根源的に不連続であるインディビジュアルな人間の存在。聖なるもの、エロティシズム、死への経験、供犠などはそこに連続性、無限定性を介入させる。その暴力、不安、そしてそれを緩和させようとする笑い。
存在を外に投げ出す経験。
エロティシズムの本質は汚すことだという意味において、美は第一に重要なのだ。
/禁止に対する侵犯がエロティシズムである。
禁止と侵犯は相補的関係。/
糞便、腐敗、生活動
「私たちの嘔吐感とは空無感なのだ。吐き気で気を失いそうになるとき、私たちは空無感を感じている。」
「生は本質において過剰さだ。生とは生の浪費のことだ。生は限りなく自分の力と資源を使い尽くす。生は、自分が創造したものを際限なく滅ぼす。」
眩暈、強度、風穴、
性なるものよ!
聖なるものよ!
生なるものよ! -
Posted by ブクログ
久しぶりにバタイユの著書を読んだけどやっぱ理解するのに手間取る手間取る。
バタイユもニーチェと同様、掴み損ねると火傷しそうな思想家。二項対立の図式から抜け出でる手段を常に模索してる感じ。
本著の主題は経済学における既存の捉え方にコペルニクス的転回を加え、全般経済学という新たな地平を提示すること。
生産的生活のなかに余剰を通し現れる蕩尽という非生産的消費活動。
現代の消費主義とも深く共鳴するバタイユの鋭い視点にうなづく点が多い。
初期イスラム、プロテスタンティズムあたりの分析は複雑すぎてあんま覚えてないけど、面白かった記憶はある。
人は自分の欲望を大っぴらに語りたくないが、根本的な部分で人は自分の生命エネルギーを生産し、ゆくゆくは全て発散しようとしてるのではないか。
そこから始まるのが人間の実存そのものな気がする。 -
Posted by ブクログ
「エロティシズムとは、死におけるまで生を称えることだと言える。」
ということを説明している本です。
エロティシズムというどちらかと言えば人間の暗部について考えぬかれた本です。バタイユさんが60歳で出版されてます。書き上がるまでにおそらく二十年以上かかっているんじゃないでしょうか?
エロティシズムは死や暴力と関係が深いようです。しかも理性から逃れ去る性質があります。ですからエロティシズムそのものを意識化して言語化するのは不可能みたいです。そういうところをしつこく粘りに粘って書こうとされています。
考えてみれば性衝動は大脳よりも下位の脳(視床下部とか?)が関与しているところのようですから意識化できないのは当たり前といえば当たり前のような気もします。しかも、性衝動による意識や行動は大脳皮質で処理されますから、エロティシズムの根本は不明でその表層的なものだけが意識に上るという結果になります。ですからわけわかんなくなるんです。
だから、「わけわかんないんだ。」で終わらせることもできるのでしょうが、バタイユさんはそこを執拗に追求します。まるで、養老さんが『唯脳論』で身体にこだわり続けられたのとパラレルです。バタイユさんの前に養老さんを読んでいたのもやはり何かの思し召しなのかもしれません。
バタイユさんは西欧のキリスト世界の方なので、宗教について語られるときに重苦しさがあります。その重苦しさを和らげるためにはこれまた養老さんの『カミとヒトの解剖学』を読まれておくと、ちょっと気が楽になると思います。
自分はエッチのことばかり考えて変態なんじゃないか?大丈夫だろうか?と心配になっておられる方には、きっと救いになる書物です。
Mahalo -
Posted by ブクログ
バタイユの珠玉の一冊。エロティシズムの起源を生物学的に定義付け、その後にエロスと禁止、禁止と侵犯、そして宗教との関連について考察する。
日本では高群逸枝が似たような考察を先んじて行っているが、生物学から演繹して人間の情念を論じるということは近代において避けられてきた部分もある。今日では恋愛感情は自律神経の働きによって分析されているものが最も「科学的」と思われているのだろう。心理学によって実際の行動のパターンは分析されうるものの、それの社会的機能、基盤についての考察においてはこの『エロティシズム』を超える論述は未だお目にかからない。私の勉強不足であるかもしれないが……
情念論はデカルトあたりを発端に考えるのがよいのかもしれないが、哲学的には今日相当に未開拓の分野であるといえよう。今後の研究が——性という「宗教的」タブーを越えて——進むことが期待される。 -
Posted by ブクログ
_専門家_はけっしてエロティシズムのレヴェルにはいない。すべての問題のなかでエロティシズムは、最も神秘的で、最も一般的で、最もかけ離れた問題である。/最高の哲学的な問いはエロティシズムの頂点と一致する。/労働と比較すると侵犯は一つの遊びである。遊びの世界では哲学は解消する。/言葉だけが、限界で、もはや言葉が通用しなくなる至高の瞬間を明示するのである。だが、語る者は、最終的には自分の非力さを告白する。
エロティシズムとは、人間の意識のなかにあって、人間内部の存在を揺るがすもののことなのである。/タブー〔禁忌〕は冷静さと理性の世界を可能にするが、その大元では恐怖の震えなのだ。/女は男の欲望に対して自らを対象(客体)として提示する。(フェミニストが聞いたらブチキレそうw)/低俗な娼婦は禁止と無縁なるがゆえに動物に堕落する。/サドを讃えれば、サドの思想を緩和することになる。(だから江頭2:50は嫌われる努力をする)/どのような神秘体験も、場を移された性体験に過ぎない。
人間存在が自分自身に寄せる省察、存在一般に寄せる省察が、もし最も激しい感動の状態に無縁なら、いったいその省察は何を意味しているのだろうか。/哲学は、特殊専門化した作業として、一個の労働になっている。つまり哲学は、気付かぬまま、激しい感動の瞬間を排除している。/哲学は言葉を死刑に処する。