確かにハーバート・スペンサーは評判が悪い。私も実際には著書を読んでこなかったものの、キーワード「適者生存」に基づいて社会進化論を押し進めた思想家として、あちこちで批判的に論及されており、そのイメージはすこぶる悪い。
そうした「読まず嫌い」はスペンサーに対する誤解によるものであり、彼は弱者への思いやりを常に持った自由主義者だった、とイメージを刷新するべく、訳者はこのアンソロジーを編んだのだという。
だが巻頭に置いた文章が悪い。
「政府の適性領域」(1843)はスペンサー若干23歳の若書きで、こんなものをこの紙幅の限られたアンソロジーに入れるべきではなかったと思う。
これの最初の方で、「救貧法」という当時のイギリスの制度を批判している。要するに貧乏極まって食うに困るような人々を社会が救済しようという、今日われわれの知る「生活保護」制度と似た仕組みのようだが、これの財源を負担しているのが貴族でなく労働者階級だというのがいけないという。そのように貧乏に陥った者は、何らかの過誤ないし「悪」に原因があり、その「悪」の結果としての貧窮を彼自らが吞み尽くすのでなければ更生はありえない、というのがスペンサーの考えだ。働かざる者食うべからず。さらに、親がその「悪」によって貧困に陥ったことにより、その子どもが、自らの責によらずとも親の「悪」への罰としての貧困を舐めるのもまた、「悪」の責任が子へと引き継がれるのは当然だから、それを安易に救ってやってはならない。
このようなスペンサーの考え方は、我々にはあまりにも非情であるとともに、世間知らずの幼稚な考えだと思われる。これは生活保護受給者をひたすらバッシングし、その受給額を減らせ!食わせるな!と攻撃しまくる、我らの時代のネトウヨ的反知性的大衆(および安倍政権)と同じ幼児的情動に他ならない。
もっとも、現在のような、「働くことが出来ない特殊な事情」を前提とする生活保護制度と、スペンサーの時代の救貧法制度がどのように違うのか、ここでは全くつまびらかではないので、あまり現在のネトウヨ世論とスペンサーを同一視するべきではないだろう。ただ、読んでいてすこぶる不愉快になったのは確かだ。
一口に貧民と言っても、様々な事情を各人は抱えているのであり、なかには抗いがたい事情により飢えている者も少なくないはずだ。そうした現実をロクに知りもしないでひとまとめに語った青二才スペンサーは、軽蔑すべきだと思う。
もっとも、この若書きの駄文の他に収められた「社会静学」(1850)、「人間対国家」(1884)はぐっと思考が成熟しており、読むに値する、なるほどなという点が多々ある。自由主義思想、ルソーに近いような民主主義思想、多数者の決定は常に正しく、かつ常に従うべきものであるわけではない、と指摘する視野の広さなど、本書には優れた部分が多くあった。
しかし、本書をもってスペンサーの実像にじゅうぶん迫ることができたとは思えない。もっと読まなければ、スペンサー思想を語ることは難しいだろう。
それにしても、巻頭の文章を、入門としてのこのアンソロジーに収録したのは不要であったと思う。