小国士朗のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
ネタバレ収入を得ることが目的の常設のお店ではない。
以下、本文より
和田さんは「認知症になっても、最後まで自分らしく生きていく姿を支える」ことを信条にした介護を、30年あまりにわたって実践してきたパイオニアの一人。
間違えることを受け入れて、間違えることを一緒に楽しむ。そんな新しい価値観をこの料理店から発信できたら・・・
それまでの日々を、緊張感と充実感をもってお仕事をされていたヨシ子さんには、人に喜んでもらえる仕事ができないことへの、ふがいなさがあったのかもしれません。
私は病気になり、外見的なもの、生きていくうえでの選択肢、できていたことができなくなるなど、いくつもの「失う」経験をしました。
ガンだから、あきらめなくちゃいけない。
認知症だから、あきらめなくちゃいけない。
世の中はときに、悪意なく、そういうイメージを押しつけてくることもあります。
「認知症である前に、人なんだよな」
「認知症の小国さん」と「小国さんが認知症」では、意味がまったく違ってくるんだということを伝えたかったのだと思います。
毎日市場まで、5〜6人が連れだって買い物に行きます。おばあさんたちが普通にお買い物をする姿を見て、「あ、普通だ」と思うようになったんだそうです。「厄介者」だと思っていた認知症の人たちを「あ、普通だ」と受け入れるようになる。ここにとても大事なヒントがあると思いました。
大企業をスポンサーにつけられれば話は早いのかもしれませんが、それよりも多くの人の少しずつの善意と応援をもらって立ち上げる方が、このプロジェクトらしい広がりが得られると思ったからです。
「ま、いいか」という寛容さ
「(認知症の状態にある)ホールスタッフのみなさんにとって、今日のこの”疲労感”がいちばんの報酬だと思います。こんなに心地よい疲労感を得られて、みなさん今夜はぐっすりですよ」 -
Posted by ブクログ
餅は餅やというけれど、この料理店もテレビ番組のディレクターというエンタメのプロの方が仕掛け人となって、さまざまな分野のプロが「非利益」で情熱をかけたプロジェクトであり、そうゆう努力と葛藤の末の一歩は、世界をひとつ変えるんだなっと思った。ひとつの分野に置けるプロ・職人気質の日本という国が、平成の最後頃になって、「〇〇×〇〇」といった、コラボレーションによるシナジーに一目を置くようになった気がしている。
そんな小難しいことを考えた一方で、私は発達障がいの当事者でもある。どうしたって間違えを起こしてしまうことへの自己嫌悪、「てへぺろ」で生きていくことへの(それば自分なりに身につけた自己防衛だとしても)やるせなさがある。
この料理店のコンセプトの中で、間違えても大丈夫、許してもらえるという安心感は大きい一方で、間違えたくないという気持ちにも主催者の側が気づいてくれてくれた(当事者を企画に巻きこむ)という場面があり、それが大事だと思った。
ひとって本来はグラデーションで、おんなじようなことを皆抱えているはずなのに、「支援をする」となると、カテゴライズされてしまう。「障害者」とか。それは分断であって繋がりが見えにくくなってしまう。利便上の言葉が一人歩きして、わたしとあなたの、どこがどんな風に違う?どこが同じ?という本来の「ひと」という生物が見えにくくなってしまう。
そんな時、こんな料理店のように関わり方を第三者が仕掛けてくれ、コミュニケーションが取れる場を作ってもらえたら、再確認して近づくことができる。入りは「エンタメ」が最適だと思うし、でもその「間違えたくないと本人は思っているんだよ」というのを無視せずに方向性を見つけていったのが成功の秘訣だったと思う。茶化されたくないもの、困っているんだもの。そこを知って、歩みよる一歩になれる料理店なんだろうなと思った。