【感想・ネタバレ】注文をまちがえる料理店のレビュー

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Posted by ブクログ

認知症の方々が、「間違えたくない」と思っていると言うことに気づけたのって重要だったんじゃないかなと思った

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2023年09月06日

Posted by ブクログ

認知症はあって、出来ないことも増えたけど、出来ることも沢山あるという当たり前の事に気付かされました。要は社会が寛容かどうかというだけ。それは、認知症ではない人にもとても暮らしやすい社会になるのだと思います

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2023年08月03日

Posted by ブクログ

認知症と共に生きる方々が飲食店の従業員!?

本屋で手に取って即買いして一気に読んだ。

少子高齢化の日本では(日本以外もそうだが)今後認知症患者が大きく増加するのは間違いないので、こう言った取り組みがもっと簡単に実現できる社会になって欲しいと切に願う。

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2022年06月12日

Posted by ブクログ

昨年『注文をまちがえる料理店のつくりかた』というプロデュースする側としての本を読み、とても共感しました。
こちらは、認知症の当事者…は、料理店で働いた出来事を次の日にはすっかり忘れてしまっているので、サポートするスタッフ、家族、そしてお客さんとして来た方々から見たイベントの様子、認知症のスタッフの方たちの様子について語られています。

このレストランを通して、認知症が特別視するべきものではなく、できないことばかりではない、たとえ間違えてもカリカリする必要はない、間違いも含めて受け入れていくことで、みんなが笑顔になり、丸く収まることもある、ということを教えてくれる。
認知症の方だって、もっと人の役に立ちたいと思う人だっているし、色んな人と触れ合いたいと思っている人もいる。

プロジェクトを成功させるための裏方さんの料理、介護、サービス提供諸々のプロのサポート体制も素晴らしすぎる!

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2022年06月06日

Posted by ブクログ

『手の倫理』で知り読んでみた。

認知症の方々にホールを担当してもらい、間違ったとしてもそれで良いという設計がなされた、心理的安全性が目指す一つの形なんじゃないかと思う。

しかしそれを目指すには、やはり様々な人の協力や関わり、綿密な準備や計画、そして何より「やりたい」という意思が必要なのだと感じた

こういう素晴らしい活動があることをもっと早く知っておきたかった。

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2022年05月17日

Posted by ブクログ

こんな素敵なストーリーがあったなんて!
マスコミで話題になったと書いてあったが、この本に出合うまで、全く知らなかった自分を恥じた。
しかもこの本が紹介されていたのは、『デジタル社会のマーケティング』という大学の教科書としても使われそうな、超固くて真面目な本。”デジタル社会”というテーマとは、まるで関係ないことのように思うのだが。
デジタル社会にあっても、ある意味普遍的と言える、人の心に訴えるマーケティングというものに共通するものがあるのだろう。
ピアノを間違えながらも、ご夫婦で演奏される場面は、涙がとまらなかった。難しい演出はいらない。感動はシンプルな中にこそあるのだと。

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2021年10月09日

Posted by ブクログ

素敵過ぎる。こういうお店を自分も作りたい。
また、『あたたかい』というのは自分にとっても重要なテーマなので、とても共感できた。

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2021年01月22日

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認知症の人だって、人の役に立ちたいと思っている。忘れてしまうこと、間違えてしまうことを許容する場所でなら、認知症の人も活躍できる…。
登場するお客様もスタッフもみな温かい心で、このレストランを楽しむ。認知症である前に「人」である。基本的には人と人との触れ合いである。
とてもあたたかく微笑ましいエピソードの裏に、実現させるための努力と理解の大きさも見える。
認知症の人も当たり前に受け入れられる社会、それは理想的でそうあってほしい。けれど、認知症の家族を持つ身にはなかなかそこまで優しくおおらかになれない部分もあり、反省しながら読み進めた。

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2020年06月28日

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間違えることを受け入れてくれる
あたたかい料理店。
失ったものではなく
今あるもの、
できることに目を向けていく。
とても素敵だと思いました。

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2020年02月22日

Posted by ブクログ

現代社会は、社会の問題点を解決すること自体が価値あると思う。例えば本作で対象とした認知症の方である。彼らを得体の知れない人々と判断して封じ込め作戦をした過去から抜け出し、認知症の方でもできることをサポートしつつ社会に組み込んでいく、これ自体が価値があり、今後目指していくべき社会なのではと思う。
他の社会問題として、障害者、高齢者、性的マイノリティー、ほか沢山ある。これからはそれらの問題に注目しつつ、いかにしてその問題を解決しつつ、社会活動をするべきかをよく考えていきたい。

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2019年10月09日

Posted by ブクログ

「ま、いっか」という寛容さ。大らかさを改めて考える本。
所々涙したり、心に刺さったりしながらあっという間読めます。クラウドファンディングという仕組み、上手く使えると何でもチャレンジできるんだろうなー、と前向きになれました。

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2019年09月18日

Posted by ブクログ

ニュース番組の特集で見て、気になっていたので読みました。
前半は、この料理店を作った人たち、働いた人たち、お客さんとしてきた人たちの、それぞれに感じたことやエピソード。後半は、仕掛け人である著者がどんなことを考えて、そしてどういう人たちと一緒にこの料理店を作ったのかの紹介でした。

認知症の人であったり、障害を持った人であったり、高齢の人であったり。そういった人たちに対して、社会が少し”寛容”になるということ。「認知症」「高齢者」というようなグルーピングでとらえるのではなく、「○○さん」という個人でとらえるということ。そんな社会は、社会全体にとって生きやすい・過ごしやすいものになるんじゃないかなぁと感じました。

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2018年02月02日

Posted by ブクログ

間違えてもいいというコンセプトはもちろん、異業種のメンバー同士のコラボが面白い!

ただ、当事者の方の「間違えるのはつらいこと」は忘れてはいけないなと思う。

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2018年01月19日

Posted by ブクログ

いい本でした。
「注文をまちがえる料理店」のロゴマークの「てへぺろ」は、「あ、間違えちゃった、ごめんごめん」というお気楽な気持ちを表しているのではない。
「間違えることは、つらいこと」
未熟だから間違えるのではない、そうではなくて間違えてしまうことのせつなさを感じながらの「てへぺろ」。そのせつなさに寄り添うデリカシーが、著者でありこの料理店の発起人である小国さんにあったからこそ、このプロジェクトは成功したのでしょう。
終盤で語られる小国さんのこれからの展望が形になっていくのを楽しみに応援したいです。

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2018年01月06日

Posted by ブクログ

認知症を知ったふりをして、勝手に決めつけていた。出来ることがあったり、出来ないことがあったりと、それは普通の人と変わらない。注文を間違えるかもしれない、それを温かく受け入れれば、世の中はもっと寛大になり、認知症の人に限らず、人同士が認めあえる世の中になる

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2023年07月13日

Posted by ブクログ

認知症である前に、人。の感覚。
楽しむためのクオリティは下げない。
ここでも、やるなら徹底的に、だな。

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2023年05月05日

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数年前にニュースで「注文をまちがえる料理店」のことを聞いたことがあった。
認知症を抱える人たちがホールスタッフとして働くレストラン。

まちがえることを受け入れて
まちがえることを一緒に楽しむ

斬新なアイデアで、私も行ってみたいなと思った。
認知症に限らず、病気や障害があっても役割があるということの大切さが再認識できた。
できることを見守る、まちがえても受け入れる、そんな寛容な世の中になったらいいと思う。

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2022年11月26日

Posted by ブクログ

認知症の人たちが配膳をするレストラン。
だから「注文をまちがえる料理店」。
正確には、注文をまちがえるかもしれない料理店だろう。(必ずまちがえるわけではないから)
私はとても素敵なアイデアだと思った。
もちろん認知症の程度によるけれど、認知症があっても周りのサポートがあれば働くことは可能だし、働くことによって人の役に立ち、彼らの活力になると思う。
また、お客さんの方も認知症について知ることができ、その垣根が低くなると思う。
認知症の人が輝いていれば、自分は絶対に認知症になりたくないといった気持からくる嫌悪は多少薄らぐのではないだろうか。
認知症の人々だって、好んで認知症になったわけではない。
だから余計に、嫌悪したり、偏見を持ったりしてはいけない。
それだけではなく、注文をまちがえる(かもしれない)料理店では、いつもと違う時間が流れていたようだ。
そのような場所に身を置くことで、普段の慌ただしい生活や、自己責任をことさら強調する風潮のある昨今の世間から一歩遠ざかって、新たな価値観に気付くこともあるだろう。
自分が出来るように他の人も出来るわけではなく、様々な時間軸で、様々な能力があるということに気付くことは大切だと思う。
世知辛い世の中でオアシスとなりそうな料理店。
是非続けてほしいと思う。

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2022年07月07日

Posted by ブクログ


間違いが前提のお店なら

間違いで人が笑顔になる

過去の栄光は生き続ける

記載されたエピソードには

認知症がかなり進行した方が多く、

昨日、お店で働いたことすら思い出せないほど。

それでも働くという社会活動を通じて

過去の栄光がどんどん滲み出てくる。

みんなそれぞれが昔、

何かを頑張り、何かが好きで

それによって育んだ価値観は

どんな形になっても最期まで生き続ける。

今努力していること、好きなことを大切にします。

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2021年07月01日

Posted by ブクログ

長いこと放置していた少し前のビッグ・イシューで紹介されていた。なぜかすごく気になって、読んでみた。

「注文をまちがえる料理店」とは、「認知症の方がホールスタッフをするレストラン」。
間違えちゃうかもしれない、でも同じ人間同士、その人らしい姿で、社会の一員として、役割を果たし合いながら共にある感じ。そんな場として「注文をまちがえる料理店」を作るという企画の全貌をまとめた本。それを発想するまでの経緯や、プロジェクトで大事にしたこと、準備中のあれやこれや、開催中に実際にあったじーんとくるエピソード、今後の展望、等。

ちなみにそのレストランは2017年ごろにイベント形式で複数回営業を行ったもので、常設店がどこかにあるわけではないようだ。

こういうことは、偽善だとか不謹慎だとか、批判しようと思えばいくらでも突っ込みどころは挙げられる。けど、やっぱりそれよりこの素敵な(ネーミングが特に秀逸)思いつきを、なんやかんやありつつも実現したことに対する敬意を表したい。発起人自身、「これこそ正義だ!」と信じて疑わずに猛進したというよりは、いろいろ葛藤しながら、多くの立場の人と議論を重ねて進めていったそうだ。その過程は、実践した人にしか語れないことだ。
道義的にこの企画の是非をあれこれ言う前に、まずはこの人たちのおかげでこの世界は「これをやったことのある世界」なんだ、ということを噛み締めたい、そんな気持ちになった。


自分用にしかならないが、心に残ったキーワードメモ。
・COOL JAPANより、WARM JAPAN。
・寛容な気分にさせる仕掛け。
・レストランのプロと介護のプロのせめぎあい。
・認知症の○○さんではなく、○○さんが認知症。
・当事者の姿が、世の中を変えていく。

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2021年05月08日

Posted by ブクログ

人として尊重され、生き生きとした人生を最後まで送ることができれば最高の人生だよね 
相手が認知症と分かっていてもどうしてもイライラしてしまい、なかなか大らかになれない私
相手のペースに合わせて歩くことがとても大切だよね

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2021年01月23日

Posted by ブクログ

ネタバレ

テレビで紹介されているレストランの書籍化。料理店に参加することになった認知症の家族の人、お客さんの話が中心。

単に認知症でまちがえるというだけではなく、間違いを許容する寛容さの空間づくりという点が新しいことが分かる。

今の時代は少しでも間違えるとクレームとなる不寛容さが当たり前になってきて、それで弱者ははじき出され、息苦しくなっているのではないかという指摘は大きい。

知的障害があって、路行く人みんなに挨拶するような子が、かえってヘンに思われて、本人も外に出なくなる。そんな子が料理店ではのびのびしている。『私たちは何も無理することなく、自分らしいままで、一緒にその場の空気に溶け込んでいました。』

『長男が不必要に他人に触れないように、隅の席や個室を確保しようとしたり、座る位置に気を使ったりすることは常でした。トイレに行くにも、何をするにも、彼について回らなければまりません。うるさくしないように、迷惑をかけないように、人の目を気にして緊張していました。きっち私たちはいつも強張った顔で息子をみていたでしょう。でも、「注文をまちがえる料理店」では、私は妻もゆったりした気持ちで、笑顔で、彼と一緒にテーブルを囲むことができたのです。」

ガン患者の方

『失ったものは確かに多い。でも、できることだって、私たちにはたくさんある。そして失くしたって、周りと社会ともっと関われる。関わっていい。それをひとつの形として明らかにしてくれたのが「注文をまちがえる料理店」ではないか』

『和田さんは、認知症を「くっつき虫」にたとえます。人に認知症というくっつき虫がくっついただけで、その人がその人であることには変わらない。』

『コストが価値にかわった。これまで間違えるという行為、あるいは認知症という状態は、社会的には”コスト”と考えられてきました。しかし「注文をまちがえる料理店」という存在が登場することによって、その間違えるという"コスト"がぐるんっとひっくり返り、大きな"価値"に変わってしまったのです。』

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2020年02月18日

Posted by ブクログ

ネタバレ

あ、間違った。

タイトルの印象から思わず『宮沢賢治』関連の本かと思って借りたが、賢治は一切出て来ず。(笑

内容は
認知症の人に働く場を与えたくて開いたレストランでのエピソード集。「だから、注文間違えちゃうこともあるけど大目にみてね♪」がタイトルの由来。

以前『世界の果てまでイッテQ』の番組内で
女優業にも手を出し始めたイモトに内村さんが
「イモト!お前の居場所はここだからっ♪カン違いすんなよ」と一喝したシーンを思い出した。
あの時
(イモト、居場所があっていいよなぁ~)なんて羨ましく思ったものだが、
認知症の人達にとっても、どれだけ嬉しい事であっただろうか。
働く場を与えられて、お給料をもらって♪

広い心と温かい目をもって、訪れてくれるお客様も素敵♪

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2018年06月02日

Posted by ブクログ

ネタバレ

認知症の方がホールを担当し、「間違えても許してね」というコンセプトで期間限定で開店した飲食店の物語。

祖母が認知症ですし、身内に認知症を患っていた方が何人もいます。
身近に接していれば、笑ってすませられないこともありますし、朗らかに接する事ができなかったりもします。
でもこの本を読んで、「良いな」と思いました。
間違っても、忘れても、「まあいいか」と容認できる場所があるというのは素敵です。
それにやはり人は、働いたり、誰かの役に立ちたいと願うもの。
認知症になれば仕事は無理。人の役にも立てない。と決めつけるのではなく、こうして活躍できる場があれば、本人も嬉しかったり楽しかったり、やりがいを感じたりできるのではないでしょうか。
我が家の祖母は、デイサービスで洗濯物を畳んだり、掃除をしたりして職員さんを手伝う事で、達成感というのか、満足感を得ているようです。

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2018年04月02日

Posted by ブクログ

読みやすいし、なんかほっこりする
ただ、実際介護をされている家族や介護士さんにとってはやっぱり大変なことで・・・
一部分だけのほっこり感なんだろう
介護してる母は「もう一度子育てしてるみたいなものよw面白いw」とは言ってるけど、体力的にも大変だろう・・・

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2017年12月02日

Posted by ブクログ

NHKディレクターが個人のプロジェクトとして実施した、認知症の人が働くレストランのお話。
みんな一生懸命働いているけど、オーダーを忘れて間違えてしまうことがある。メニューを3つにして、値段をすべて1000円にすることで、お客さんの許容しやすさを助ける。一流のプロがかかわって、料理はおいしいものを提供する。
同じような人たちが同じような暮らしをしている気がしてしまう日本で、違う雰囲気の空間が提供されるのはとても大事だと思う。

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2022年06月13日

Posted by ブクログ

Cybozu daysの登壇者が書かれていた本なので読みたくなりました。
認知症になっても、働くコトを望む方を、おおらかに包み込む様な食堂。行ってみたくなりました。

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2021年11月30日

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ネタバレ

収入を得ることが目的の常設のお店ではない。

以下、本文より
和田さんは「認知症になっても、最後まで自分らしく生きていく姿を支える」ことを信条にした介護を、30年あまりにわたって実践してきたパイオニアの一人。

間違えることを受け入れて、間違えることを一緒に楽しむ。そんな新しい価値観をこの料理店から発信できたら・・・

それまでの日々を、緊張感と充実感をもってお仕事をされていたヨシ子さんには、人に喜んでもらえる仕事ができないことへの、ふがいなさがあったのかもしれません。

私は病気になり、外見的なもの、生きていくうえでの選択肢、できていたことができなくなるなど、いくつもの「失う」経験をしました。
ガンだから、あきらめなくちゃいけない。
認知症だから、あきらめなくちゃいけない。
世の中はときに、悪意なく、そういうイメージを押しつけてくることもあります。

「認知症である前に、人なんだよな」
「認知症の小国さん」と「小国さんが認知症」では、意味がまったく違ってくるんだということを伝えたかったのだと思います。

毎日市場まで、5〜6人が連れだって買い物に行きます。おばあさんたちが普通にお買い物をする姿を見て、「あ、普通だ」と思うようになったんだそうです。「厄介者」だと思っていた認知症の人たちを「あ、普通だ」と受け入れるようになる。ここにとても大事なヒントがあると思いました。

大企業をスポンサーにつけられれば話は早いのかもしれませんが、それよりも多くの人の少しずつの善意と応援をもらって立ち上げる方が、このプロジェクトらしい広がりが得られると思ったからです。

「ま、いいか」という寛容さ

「(認知症の状態にある)ホールスタッフのみなさんにとって、今日のこの”疲労感”がいちばんの報酬だと思います。こんなに心地よい疲労感を得られて、みなさん今夜はぐっすりですよ」

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2021年09月20日

Posted by ブクログ

餅は餅やというけれど、この料理店もテレビ番組のディレクターというエンタメのプロの方が仕掛け人となって、さまざまな分野のプロが「非利益」で情熱をかけたプロジェクトであり、そうゆう努力と葛藤の末の一歩は、世界をひとつ変えるんだなっと思った。ひとつの分野に置けるプロ・職人気質の日本という国が、平成の最後頃になって、「〇〇×〇〇」といった、コラボレーションによるシナジーに一目を置くようになった気がしている。

そんな小難しいことを考えた一方で、私は発達障がいの当事者でもある。どうしたって間違えを起こしてしまうことへの自己嫌悪、「てへぺろ」で生きていくことへの(それば自分なりに身につけた自己防衛だとしても)やるせなさがある。
この料理店のコンセプトの中で、間違えても大丈夫、許してもらえるという安心感は大きい一方で、間違えたくないという気持ちにも主催者の側が気づいてくれてくれた(当事者を企画に巻きこむ)という場面があり、それが大事だと思った。

ひとって本来はグラデーションで、おんなじようなことを皆抱えているはずなのに、「支援をする」となると、カテゴライズされてしまう。「障害者」とか。それは分断であって繋がりが見えにくくなってしまう。利便上の言葉が一人歩きして、わたしとあなたの、どこがどんな風に違う?どこが同じ?という本来の「ひと」という生物が見えにくくなってしまう。

そんな時、こんな料理店のように関わり方を第三者が仕掛けてくれ、コミュニケーションが取れる場を作ってもらえたら、再確認して近づくことができる。入りは「エンタメ」が最適だと思うし、でもその「間違えたくないと本人は思っているんだよ」というのを無視せずに方向性を見つけていったのが成功の秘訣だったと思う。茶化されたくないもの、困っているんだもの。そこを知って、歩みよる一歩になれる料理店なんだろうなと思った。

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2019年10月30日

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