エレナ フェッランテのレビュー一覧
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Posted by ブクログ
2010年代に世界(特にイタリアと北米)でベストセラーとなった「ナポリの物語」の第1巻「リラとわたし」。
1940年代生まれのリラとレヌー(語り手)の子供の頃からの友情の物語。
二人ともナポリの貧しい町で育ち、小学生の頃からリラは物凄く悪い子だったが物凄く頭が切れ、想像力豊かで、レヌーはずっと憧れ、追いかけ、ライバルでもあり、大親友であった。
リラはどれくらい悪い子であったかというと男の子と石を投げ合って喧嘩したり、ナイフを忍ばせているレベル。大人たちの世界も殺人疑惑とか?で亡くなったり、片足や指が飛ぶほどの大怪我を負ったり、不倫事件などで頭が可笑しくなったり、借金の取り立てなどで恨みを買ったり…ととにかく普通ではないレベル。イタリアの南部はマフィアなどもいて治安が悪いと聞くが、ナポリで生まれ育った語り手による描写はリアルである。
だけど恐ろしく頭の良いリラもリラを追いかけるレヌーも成績が抜群なので、学校の先生は期待し、進学を勧めて二人の親を説得した。レヌーの親は渋々進学を認めてくれたが、リラの親は絶対に進学を許してくれなかった。
家業の靴工房を手伝いながら「自分のブランドの靴を作る」という新たな夢を追いかけるリラ。
レヌーは進学を許された自分よりもリラのほうが輝いて見えてしまう。
親に進学させたことを後悔させないように、そしてリラを見返すために必死で勉強を頑張るレヌーもレヌーとしての輝きを放つようになり彼氏も出来る。
だけど、子供のころ痩せぎすで汚かったリラは振り向かない男の子はないくらい美しくなっていた。
レヌーは女性としてリラに嫉妬するが、早くもリラが16歳で結婚する時、リラを自分から奪っていった花婿にも嫉妬する。
結婚披露宴は盛り上がりながらも家同士の対立や若い血が騒ぐ男女の中で一波乱目前!
続きをすぐに読まないわけにはいかない。
このリラとレヌーの物語1巻がまだ彼女たちが16才で終わっているのも驚きだが、私には海と洗濯物とカンツォーネの知識しかなかったナポリの若者の生きた語りに目から鱗。
次の「新しい名字」が一番人気があるみたい。楽しみだ。 -
Posted by ブクログ
このシリーズの濃密さを食らってしまうと、他の小説が物足りなくなる。土地の特性、生まれの特性、時代の流れを、2人の幼馴染の関係性を語る物語に組み込んだ超大作。とにかくエネルギーがすごくて読むとナポリという混沌に否応なく引き込まれ夢中になってしまう。読むと感情が引っ張られてしまうから、危険。
辛くて、悔しくて、なぜこんなことが起きるのか、なぜ。と思ってしまうこと、自分の思い通りにはならないことばかりが起きる。こんなに小説で揺さぶられるのは、初めての体験かもしれないと思った。
このなぜ。には最後まで安易な答えや理路整然とした説明なんてものはなくて、最後まで混沌としたまま終わる。人生ってカオスだ。
この4巻には、人生って、こうだよね…が詰まっていた。
4巻にもなるとこのエレナの語りで語られる物語の限界にも気づき始め、幼い頃に描いたことすべてを叶え手にしているのはエレナで、エレナが持ち上げ続けるリラは地区で一生を終える一人でしかない。りらの視点が一切含まれておらず、1人の視点で人生を語ることの限界・傲慢さを感じることができる。でも同時に、実際の現実だって、人の思っていることなんてわからなくて、1人語りなんだよね。エレナは性格上何か事実に対して原因や背景を辻褄合わせたがるけど、実際の現実はそんな綺麗にまとまるものではなくて、推測でしかないんだ。
そして時代・時間は誰にとっても平等に流れ、争うことはできず飲み込まれるということ。登場人物たちは、善人悪人に関わらず、時代の流れによって持ち上げられ、落とされ、殺されていく。これは個人が云々できるレベルを超えたうねり(時代とか時間とか)のなかに、人がいるということではあるまいか。憎い、何かしてやりたいと思う時は無力さを感じるけれど、時の制裁というのがあるのかもしれない。ニーノみたいなやつもいるけどね。
子供は親世代の思う通り、望む通りにはならない。エレナ自身も親の望みからは逸脱した人生を送り、彼女の子供たちも同様に自分たちの欲望・真実に従い新しい時代を世代の価値観で生きる。その繰り返しなんだ。
書くということは、どうしたって自分の視点で書くということ。けれどその自分というのは様々な人に影響を受けた結果の自分というものなんだ。実際エレナはリラを強烈に意識して(リラならどう書くか)、作家の道を歩んできた。そうやって人というのは、本人が望む望まないに関わらず、生きているだけで他者に影響を与えるもの、相互に関係するものなんだ。
語られなければ消えてしまう者たちを、一人称で語り尽くした物語。だからこその偏りはあるけれど、それが故に結果的にたくさんの読者に対して人生を映し出す鏡になった。
一人称から街を、歴史を、人を、物語ること。その強さ・意義を示した傑作なんじゃなかろうか。それは、人が小説を書くこと、物語を書くことに対する希望にそのまま結びついた。文学に対する希望に。 -
Posted by ブクログ
分厚さに最初は怯んだものの、一気に読み終えてしまった。それくらい空気感が自然で、引き込まれる。リラとエレナの女の友情のゆらぎ、地縁や階級に縛られた人間関係。自分とは違う国、時代を生きているのに、自分の小中時代を思い出して重ねてしまった。それくらい感情がリアル。夢想しては現実を見つめて、リラと近づいては遠のいて…相反する感情のせめぎあい。周縁消滅-ズマルジナトゥラ-という感覚も、なんとなくわかる気がする。青春期、今までと見える世界が変わって、家族を全く違う他者として認識する感覚…。2巻以降でもこれについては触れられるのだろうか。まだまだ序盤なので、これからさらにこの世界観にトリップできるのが楽しみ。
2025.12.12再読
一度登場人物たちの顛末を知ってから一巻に戻ってくると、まだ何者でもなかった、可能性と選択肢に溢れていた幼少期の登場人物たちがまぶしくて愛しくて。どうしようもないニーノにでさえそう思える。人生って後から振り返るとそうかのかなあ。
4作の大長編で脇役含めた登場人物たちにそれほどの厚みを与えた作者に大感謝。
「女性2人の美しい友情」という物語から解放し、幼年期から老年期までを描き切った。決して読み心地の良い作品ではなく、抑圧されている怒りや不平等に対するモヤモヤを起こさせる作品だけれど、それだけ読者の感情を揺さぶり、没頭させる。人生について考えさせられる、エネルギーに満ち満ちた小説だった。
初読はどうしても物語の筋を追うことに精一杯になってしまうので、再読でいったりきたりすることで深く読めるなあ〜と思った。 -
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ネタバレエレナはナポリを離れ結婚生活を始めるが、思い描いていた結婚生活を送ることができずにいた。そこで何十年も思い続けているニーノとの再会を果たす。国内の情勢の変化に伴い混沌とした環境で苦しむリラを支え、自らの著作活動も進まず、夫への愛情も見失い、子育てにも苦しむエレナはニーノと愛人関係に落ちてしまう。家族との訣別を決心しニーノと旅行に出かけるシーンで今回は幕を閉じるが、エレナとリラの人生はどのような顛末を迎えるのか。最終巻も楽しみにしたい。
かつて暮らした街から逃れてもなおリラの幻想からは逃れられず、どれだけリラから離れようとしても節目節目でエレナの前に立ちはだかるリラ、死んでくれとまで願うほど憎む一方でリラを求めてしまうエレナ自身の葛藤がよく描かれている。
これだけ主人公の心理描写がされている物語も珍しく自分自身もこのように振り返ることで自身が無意識に感じていた感情などについての理解が深まるかもしれない。 -
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HBOでドラマ化もされたイタリアのベストセラー、ナポリの物語全4巻。とにかくはちゃめちゃに長い本なのだがあらゆる時間を削っても読ませるドライブがある。貧困と暴力にまみれたナポリのある地区。幼馴染みの女の子二人の幼少期から60年以上に渡る愛憎の物語。
このお話は主人公のレヌーとリラの友情物語として紹介されることが多いようだけど、ただの友情物語では終わらず、猟奇的な「地区」に翻弄され縛り付けられる人間たちを群像劇的に描いた物語として読んだ。
主人公はレヌーでありリラであるけれど、同じ地区に暮らす女たちの物語であり、ソラーラ兄弟の物語でもある。
地区での日常が書かれる中に、イタリアならではの家族関係の濃さと愛の深さに時には救われながら、同時に首をまかれるような描写が随所に見られて面白い。
一巻でリラの結婚式と前後して唐突に(そこに至るまでの話はほぼなかったと思う)兄リーノと義妹の結婚エピソードが挟まれるのも、家族関係という鎖がじわじわと、かつあくまでも自然に自由を奪っていくような感覚にさせられる。
三巻に描かれる、努力と優秀さによって地区を抜け出せるかに見えたレヌーがソラーラの食事会に巻き込まれる部分はより象徴的で、うすら寒いような怖さがあった。
正直、レヌーの結婚後のリラがあまり出てこない辺の描写とか、いろんな人が道ならぬ愛に突き進みすぎるところとかついて行けなくなりそうな場面もいくつかあったのだが、4巻に入ってから幼少期や青年期の体験が伏線になっていることが分かったりなど、加速度的に盛り上がり、読み通してよかったと感じられた。
(一巻、ほぼ最初のドン・アキッレの家に行くくだりにすらも!)
一巻ラストの靴をめぐるエピソードは本当にドラマチックで続きが気になりすぎる仕掛けがあるし、上手い書き手の人なのだと思う。いくらなんでも多すぎる、そして名前が似すぎている登場人物たちを分かるように読ませる翻訳も素晴らしい。
私が一番お気に入りの登場人物はアルフォンソです。彼にまつわるエピソードの全てが美しく哀しい。
超貴重な常識人だし…
レヌーとリラの関係性については、二人を一つのものから分かれたもの、アダムとイブの挿話さながらにリラが自分から分離して作り出したものとしてとらえたときの愛憎や葛藤を追っていくと面白いと思うが、これは再読時の課題としたいと思う。 -
Posted by ブクログ
終わってしまった…読み終わったばかりでまだ咀嚼しきれていないけれど、とりあえず読みながら考えていたのは、これほど女性の友情をリアルに率直に描いた作品を読んだのは初めてかもということ。全く違う個性の他人同士がお互いに惹かれ合い、気が合い、友達になる。相手への共感や憧れ、好意、信頼だけでなく、相手には負けなくないという気持ちや嫉妬、反発もある関係。お互いに相手の全てを受け入れられるわけではなく、嫌悪感を持つところもあったりする。長い人生の中で親密な時もあれば離れる時もある。それでもお互いが唯一無二の存在である。とてもとても複雑な、一筋縄ではいかない関係。ある意味、恋愛関係よりも濃くて深いかもしれない。リナが特別に複雑なキャラクターを持った人だから、エレナとの友情は余計にこんがらがって見えるけれど、多くの女性が経験したことがあるはずの女友達に対する様々な感情がとてもリアルに描かれていると思った。
時代や地域性や社会、家族との関係、男性との関係もきっちり描かれていて、骨太な、読み応えのある一作。 -
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3年がかりで刊行された「ナポリの物語」が、遂に完結した。してしまった。最終巻を読みながら、残り少なくなっていくページが惜しくて惜しくて。ずっと、このなかにいて、リラとエレナを見ていたかった。
最終章を読み終えて、一巻の冒頭へ戻り、また反芻して。。面白い本は、読み始めて数秒でブラックアウトする感覚があり、このシリーズはずっとそんな幸せな感覚のなかで読んだ。ページを開くと、私もナポリの町に居る。貧困と、暴力と、噂話と、男達女達の駆け引きと、金と、クスリと、ありったけの生にまみれたあの「地区」へ、私も運ばれていく。
リラと私、ことエレナの手記として始まるこの長い物語。リラは極端で、野生動物のように獰猛で美しく、身を持て余すほどの知性がある。エレナは幼い頃からそんなリラに対して、憧れ、友情、嫉妬、恐れ、時には憐みと、非常に複雑な感情を常に抱きながら、1950年から現代までを離れたり戻ったりしながら共に生きる。
「本」はこの作品の重要な媒体で、リラの溢れる知性のはけ口も、エレナの生涯の糧も、「若草物語」を二人で読んだことから始まる。
本心をなかなか語らないリラ。苦学に次ぐ苦学の末、作家としての地位を確立したエレナに、自分の物語を託したのだろうか。きれいさっぱり、自分は、跡形もなく(では、なかったのは最終巻でわかる)消えることを望みながら。
この物語には、わかりやすい人間関係はない。混沌は時代の空気と土地の空気を混ぜこぜにしながら進む。悪人と善人には分つことができない人間性。時代によって、環境によって変わる価値観。愛でさえ絶対なんていうことは無い。
エレナが、母の臨終のとき、やっと分かり合える場面の描写にはぐっときた。フェミニズム的要素も多く、いかに女性は女性であるだけでかくも辛い思いをするのか、その時代にあってエレナの自立は胸を熱くする。それでも、わかりやすく原因と結果は書かれない。常に登場人物はみんな迷いの中で混沌として生きている、だからこんなにも深く入り込んでしまうんだろう。
リラとエレナはもちろん、それ以外の登場人物全ての姿形、バックグラウンド、声や話し方が頭の中で出来上がっている。それを読む者に伝える描写力が素晴らしい。全員が本当に、生きて、ある者は死に、狂い、再び返り咲きを繰り返す。
読み終えて思うのは、世の中だれのなかにも物語がある、それが形を成していなくとも。どんな人にも全て、だということ。 -
Posted by ブクログ
12.25再読。
エレナは作家として成功し、ナポリからの脱却を叶えるが、男性社会を目の当たりにして自信が揺るぐ。女性としての自分の地位、女性として社会に発言するということの意味とは、その言葉を獲得すること…それはまさに多くの女性が現代でもぶつかり葛藤することだ。
リラとの関係性は社会と育児がプラスされてさらに物語は加速するが、エレナはリラの影響下から抜け出して、自分自身に「なる」ことを試みる。
全巻を通してだが、エレナはリラを意識するあまり自分自身を見つめることができていない。
「なりたい」から「なる」へ、誰もが直面するアイデンティティの探究として、第3巻も面白かった。 -
Posted by ブクログ
4部作を一気に読んだ。長く濃密な旅路だった。
世界的ベストセラーになったのは、あらゆる境遇の人の共感を得やすいからだろうか。二人の主人公と言うべきエレナとリラは共にナポリの貧しい地区出身で、中学にすら行く子供が珍しい環境で育つ。しかし、共に素晴らしい頭脳を持ちながら、教育を受ける機会を獲得し都会に出て徐々に知識人・中流階級へ仲間入りしていくエレナとは対照的に、リラは進学を阻まれ10代で商店主と結婚し、以降の人生もナポリの地に根を生やし続ける。しかし2人の友情は、互いへのごく繊細な愛情・羨望・憎悪・嫉妬をない混ぜにしながら、一種の複雑な共依存の様相を呈し、生涯にわたって続くことになる。
一巻の後書きには「女の友情」を特有のものとして触れる文もあったが、私はこうした関係が女性同士に特有なものとは思わない。深い愛情と敵対心と相手の上の立場にありたいという見栄や欲望が両立した複雑な「男の絆」を描く作品は古来より数多いではないか。一般的に女性は男性よりも人間関係への観察力や洞察力が発達する傾向にあるため表層の仕方に性別による差異はあれ、女の友情は醜い、ドロドロしている、という手合いの話は大嫌いである。
高い教育を受け、作家として成功し、有力な政治家一家と婚姻し、インテリ階級の一員になってからも、ナポリ出身地区の「階層」にアイデンティティのかなりの部分を有しているエレナの視点は、土着の故郷を持たない身には新鮮であり、地方出身者と東京出身者の視点の違いについても考えさせられた。
それにしても、エレナの結婚生活の顛末の何とも言えぬリアリティよ。インテリ階級出身で紳士的、高い教養と知性を持ちリベラルな思想に共感を示すが、実は根が保守的なピエトロには、思わずあるあると呻いてしまった。一方で、博識で(一面的には)フェミニストで人間として非常に魅力的だが、配偶者や父親としての責任はほとんど果たすことがないクズ男のニーノ。「正しい選択」とは何なのか、エレナの選択を追いながら自分でも考え込んでしまった。人生は難しい。しかし、結局のところピエトロとニーノのその後を比べると、誠実さと責任感が最も肝要なのだろう。