ボストンテランのレビュー一覧
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とある犬と、人々の物語。
ディーン・クーンツの「ウォッチャーズ」が人を犬好きにする一番の作品って思ってましたが、そこに一石を投じられることになるとは。
も、最後の方は涙で字がにじんでたよ。
生まれた環境によって虐げられた人間が、自分の力で足で歩きだそうとする姿や、どうしようもなく傷ついた人が、やはり自分の力で再び立ち上がろうとする、そこに寄り添う犬。
純粋なものの存在は、無垢であるからこそ、シンプルに力になるのだろうか。
シンプルだからこそ、自分自身の内なるものを見つめ、結局のところ、自分自身が行動を起こすしかないのだと、悟らせる。
無垢なものの意味は、そういうことなのかもしれない。
「暴力の教義」もそうだったけれど、テランは人の根底にある暖かいもの、柔らかいもの、を信じているのだろう。そしてそれをきっと<心>と呼ぶのだろう。 -
Posted by ブクログ
三種類の女がでてくる。
ナチスの迫害を生き抜いたものの、女としては致命的な傷を心身に負った孤高の女・フラン。暴君のような夫に虐げられる生活の中でも良心に根ざす信仰を失わず、障害を持って生まれた娘に無償の愛情を注ぐクラリッサ。
そんな二人に慈しまれ、銃の代わりにカメラを武器にしなやかに成長していくイヴ。
女と女の友情の話である。
イヴと名付けられた希望の種を巡る、女たちの静かで激しい戦いの記録でもある。
中でも魅力的だったのはクラリッサ。横暴な夫の虐待を耐え忍び、幾多の悲劇を乗り越え強く在ろうとした姿が感動をよぶ。
立場と性格は違えど同じ逆境を体験した者同士、相通じるものがあるフランと共に屋上で鳩を抱く場面の無垢なる美しさは言葉にできない。
文章は類稀な詩情に溢れ繊細で美しく、灰色の現実の中でも決して色褪せない真実の宝石を写真の如く切り取っていく。
撃鉄を落とすようにシャッターを押し、自分を弾圧する人生への対し方を学んでいくイヴ。
冒頭、イヴと恋人が手話で交歓するシーンに溢れた素朴な信頼と愛情は、物語を追ってイヴという少女の過酷な前半生を知ればこそ、それがどれだけ得難き価値のあるものか得心がいく。そしてイヴが撮った写真、肌の色が異なる家族が食卓で手を繋ぎ輪になる情景にこそ聖俗併せ呑む愛の核心が集約されるのだ。
本作には素晴らしいもの、尊きものが散りばめられているが、それらを脅かす唾棄すべき悪の存在もまた容赦なく描かれる。しかしだからこそ、弱き女たちが自分よりさらに弱きもののために戦いに挑む姿は、精神の気高さから生まれた崇高な美しさを保ち得るのだ。
「自由の女神が聾唖でもいいじゃないの」
これは母と子と希望の物語だ。 -
Posted by ブクログ
子供を産んで育てることがむつかしい時代になってきている。母性が本能とは別な道を歩き始めたのだろうか。ペットや家族愛のドラマを見て、やくざが泣いているシーンは喜劇でしかなくなったのだろうか。
ブルックリンの極貧家庭に生まれた、耳の不自由な少女イヴが勇気のある女たちに守られ成長していく物語。
母のクラリッサは、耳が聞こえないという障害を持つイヴを、将来味わうだろう人生の荒廃から救うために、教育を受けさせようとする。
そこで教会で顔見知りになっただけのフランに相談する。
イヴを育てることでクラリッサとフランは親友になる。
フランには過酷な過去があった。
彼女の愛した青年も耳が不自由だった。
フランの両親は傷害のある子供たちを教育する私立学校を経営していた。
そこに彼は入学していた。
家系に障害のある子供がいると、優生保護のために断種手術を受けなくてはならなかった。
彼女は青年と逃げるが、子宮を摘出され、恋人は射殺された。
その後、彼女は一人小さな店を持って暮らしていた。
三人の女性が、運命と卑劣な男たちに翻弄されながら勇気を持って生き抜くものがたり。
文章は繊細でダイナミック、時には詩的で、上質な文学的な香りを持っている。
彼女たちが、過酷な出来事に打ちのめされながらも、立ち上がるたびに、読んでいても何度か胸が一杯になる。
ストーリーを思い出しながら、もって生まれたイヴの障害について母親がとった手段や、フランを襲う過酷な社会通念や国の方策について考えてみた。
優性保護については、今でも法以外では解決されているとは言えない。法的に問題がないとしても、子供の誕生について親の根源的な愛情を計ることはできない。
アメリカの一女性が提唱した優性保護のあり方をWikiで調べてみた。深い学問的な理論はわからないながら、人の生きる権利、産むことの自由を強制的に定めることは、産み育てる苦しみよりも育てることができない苦しみも様々な形を含めて深いのだと言える。
今なら宇宙論かと思える意見を見つけた。
「遺伝的に不適当な」人物をターゲットとして優生学者がすすめた社会的介入法としては、選択的な生殖、断種、安楽死が含まれた。例えば1932年にサンガーは、「悪い家系」を断つための断種と隔離を行う「強固なポリシー」について触れている。
20世紀初めのアメリカ合衆国では、サンガーも強力に押し進めていたこの優生学運動は強い影響力を得た。アメリカの優生学者の努力の結果、何万人単位で断種が行われたり、コロニーに強制隔離される人が出たりしたほどの力があった」
「大家族の子供に対してできる最も慈悲深いことは、殺すことである」
「(黒人)は遺伝的に劣った人種である」「人間の雑草(黒人・移民・障碍者など)を駆除しなければならない「向こう見ずに繁殖する者たち、、、子供をうじゃうじゃと産みつける、、、決して産まれるべきでなかった人々がいる」
Wikipediaより -
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無償の愛と優しさが犬の形をしてやってきて、ともに歩き始めた。 ボストン・テランの二冊目。
傷ついて息も絶え絶えの老犬がたどり着いたのは古い「セント・ピーターズ・モーテル」だった。そこには夫と愛犬を事故で亡くしたアンナがいた。
アンナは人生に深く痛めつけられ、かつての無邪気さなどとっくに失い、目的のない旅をしていた。辿り着いたモーテルの老婆から家と母親をもらった。老婆は石にただ「母」と彫ってほしいと言いこの世から去っていった。アンナは傷ついてやってくる犬を集め始めた。
傷ついた老犬は犬の匂いを感じてモーテルにたどり着いた。アンナは首輪からその犬がギヴという名だと知る。そこには盲目の犬エンジェルがいた。そこでギヴは妻と子供を持った。生まれた子供は7匹で末っ子だけが男の子だった。
ギヴはギヴの流儀を我が子に教えた。知識と知恵を、さらに生まれたときから伝わり流れている生存のための極意を。
或る夜、老ギヴは決然と迷いなくアンナに別れを告げた。アンナは石にギヴの名前を掘っているときに決めた――あの子犬も父親と同じ名で呼ぼうと。
モーテルに兄弟が来た。兄はジェム弟はイアンといいギタリストだった。彼らはセッションやバンドに加わってきたが、ベガスで遊びすぎ借金や契約を踏みつぶして逃げてきていたのだ、アンナは兄はろくでなしだと思った。気の優しい弟はギヴと気が合った。兄は夜盗みに入って失敗し機嫌が悪かった。翌日アンナが留守の間に忍び込み日記を盗み見た。そこには弟には才能があると書かれていた。
出発の時兄はギヴを車に乗せて連れ出した。
ふたりはダラスに着いた。ロスで知り合ったストーナーのところにいて、オーディションに受かるために猛練習をしていた。しかしオーナーは二人を受け入れてくれなかった。ジェムは日記の言葉が頭を離れず荒れていた。弟は街で知り合ったルーシーのことで頭がいっぱいだった。
兄は止めても夜の仕事に出て行った。イアンはルーシーにギヴは盗んだ犬だと打ち明けた。
ギヴにはちゃんとわかってるんだよ。
「きみの愛は正しい愛で……そのちがいっていうのは……」彼は上体を前に倒すと、考えながら両手を広く広げた。「正しい愛とほとんど正しい愛の違いっていうのは……そう……完璧な和音(コード)と……ゴミみたいな音との違いだよ」
イアンはギヴを通して自分自身を見た。
ジェムはギヴを殴りつけ心の底の少しの恥を歪んだ喜びで押さえつけた。
惨めな人生を目いっぱい長びかせれば、みじめさなんてそのうち消えてなくなるかもしれない、だろ?
ルーシーとの約束の場所にイアンは来なかった。
ここまでがギヴの旅の始まり。
二年後、海兵隊に志願して帰還したディーン・ヒコックとギヴの出会いの話になる。
9・11で姉をなくし戦友の死にざまを見ながら生き残り、虚無満載で走っていた車の前をよれよれのギヴが歩いていた。
ディーンは救急に連絡し、犬と共に治療を受けた。それからはこの犬が彼を癒し、周りを癒し慰め時には自己犠牲も顧みず生き抜く様子を読む。
ボストン・テランはその畳みかけるような表現で目的の言葉に導いていく。詩のような言葉が続いてそれを読むのも快い。
出会ったとき逃げようとしたギヴを抱き、彼はギヴの鼻づらを撫で、手を背中に回してその鼓動を感じた。
意志の強いやつ。
彼はマイクロチップに書き込まれた名前と飼い主を知った。ニューオーリンズへ行って飼い主を探そう。
自分と同じ何もかも失ったようなぼろぼろの犬を生き返らそう。
賢く勇気のある犬物語のようで、犬を見ることで心の奥底をのぞいてしまう。それが犬の生き方の反映のように。ボストン・テランの手のうちに落ちる。
ひとのあるべき姿を犬を通して見せる。
ありふれた話のようで、引き込まれて涙さえにじむような美しい話を作り上げている。 -
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アメリカ国民に広く根付き、意識せずとも行動規範となっているキリスト教。このことは一神教を持たない日本人には理解し難いことも多々あると思うが、一方でキリスト教の教えとは程遠いモラルの中で病んでいるアメリカ。
この作品に登場する元ジャンキーのケイス、サイコキラーのサイラスが語る言葉は、哲学的で、現代を反映した過激だが新しい宗教的な響きがある。
それは世界中に広まったキリスト教やその他の一神教が、世の中をパラダイスにするどころか、血みどろの世界を創っている元凶なのではないかという疑念さえあるからではないか。
心底、神を畏れ、その教えに従うものはもうアメリカには少ない。しかし一方で銃弾の力を信じ、それに取り憑かれた社会がアメリカということなのか。 -
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邦題は詩的で印象的なタイトルである。
原題は簡潔にGiv(ギヴ)。物語の軸となる犬の名である。副題はThe Story of a Dog and America、1頭の犬と「アメリカ」の物語。
原著発行は2009年。つまり、9・11の同時多発テロを経たアメリカだ。心を病んだ多くの帰還兵を抱え、ハリケーン・カトリーナの甚大な被害にも見舞われたアメリカだ。
そのアメリカを1頭の犬が流転する。犬はあるときは奪われ、あるときは自ら選んだ人に寄り添う。犬は時に人を救い、時に人に救われる。
彼の数奇な運命は人と人とをつなぎ、奇跡と言ってもよいような希望をもたらす。
物語の語り手はディーン・ヒコック。
イラク帰りの退役軍人だ。分隊でたった1人の生き残りである彼は、心に大きな傷を負い、生きる意味を見失っている。
雨の中、車を走らせていた彼は、道路で1頭の死にそうな犬を見つける。その犬、ギヴを助けたことで、ヒコックの人生は動き出す。
物語はギヴの「犬生」を追う形で進む。
最初の飼い主はハンガリーからの移民の女性。次の飼い主はミュージシャン志望の兄弟。それから兄弟の弟の恋人となった娘。そして帰還兵。
移民の国であり、映画や音楽の国でもあるアメリカを、ギヴは旅し、さまざまな人々と出会う。
物語はどこか寓話めき、時に神話のようにも映る。
物語の鎖には、欠けている部分もある。エンデの『はてしない物語』で「けれどもこれは別の物語、いつかまた、別のときに話すことにしよう」と語られるように、物語はところどころ、完結しないのだ。
ギヴがいかにして悪徳業者に虐待されるに至ったのか。また、ギヴの父親がどのような人々と出会い、どのように彼らに寄り添ったのか。
語り手であるヒコックはいずれその物語に辿り着くのかもしれないし、辿り着かないのかもしれない。
それもまた1つの余韻となっている。
著者は作中人物の多くについて、実在の(時には行きずりの)人々からヒントを得たという。彼らの多くに血肉が通っていると感じられるのは、そのためだろう。彼らの視点はよくも悪くもアメリカの外へは向いていないとも感じるのだが、一方で、本作に描かれるような「よき隣人」がいるのもアメリカの美点ではある。
悲惨な事件が描かれないわけではない。だが、一方で、多くの善意の人々もいる。そしてそこに寄り添うまっすぐな犬もいる。
そんな世界で生きていくのは、案外悪くはないかもしれない。