上村勝彦のレビュー一覧

  • バガヴァッド・ギーター

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    まえがきの家系図の理解に半日以上かかり挫折しそうになったけれど、時間をかけた甲斐があった。身体がある以上行動しなければならない。その中で結果や欲望や執着を手放すことが大切なんだなぁ。ヨーガを健康のためにやりたいと思っているけれど、心の垢を手放すためにやってみたいと思った。もう少し理解できるようになったら、また読みたい。

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    2020年03月22日
  • バガヴァッド・ギーター

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    ヴァルナ、ジャーティー、ダルマ、ヨーガ、アートマン、ブラフマン、ニルヴァーナ、バクティ、カルマ、プルシャ、マナス、等々、仏教を含むインドの思想で学ぶ言葉が、ヒンドゥー教の聖典では実際にはどのように用いられるのか。それを垣間見ることができる。内容は繰り返しが多いので、言わんとしていることの大枠が理解できていればさほど難しくない。訳注、巻末解説も有用。

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    2016年08月03日
  • バガヴァッド・ギーター

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    この世に生まれたからには、定められた行為に専念する事。

    あらゆる者の身体にあるこの主体(個我)は、常に殺されることがない。それ故、あなたは万物について嘆くべきではない。

    もしあなたが義務に基づく戦いを行わなければ、自己の義務と名誉を捨て、罪悪を得るであろう。

    相対を離れ、常に純質に立脚し、獲得と保全を離れ、自己を制御せよ。

    あなたの職務は行為そのものにある。決してその結果にはない。行為の結果を動機としてはいけない。また無為に執着してもならない。

    執着を捨て、成功と不成功を平等のものと見て、ヨーガ(実践)に立脚して諸々の行為をせよ。ヨーガは平等の境地。

    愚者が行為に執着して行為するように、賢者は執着する事なく
    、世界の維持のみを求めて行為すべき。

    賢者は専心して行為しつつ、愚者達をして一切の行為にいそしませるべき。

    諸行為は全てプラクリティ(根本原質)の要素によりなされる。我執(自我意識)に惑わされた者は、「私が行為者である」と考える。しかし、要素と行為が自己と無関係であるという真理を知る者は、諸要素が諸要素に対して働くと考えて執着しない。

    思考器官(マナス)は諸感官より高く、思惟機能(ブッデイ)は思考器官より高い。そして、彼(個我)は思惟機能よりも高い。自らの自己(アートマン)を確固たるものにして、欲望という難敵を殺せ。

    自ら自己を克服した人にとって、自己は自己の友である。しかし、自己を制していない人にとって、自己は敵のように敵対する。

    梵天(ブラフマー)の世界に至るまで、諸世界は回帰する。だが、
    神に達すれば、再生は存在しない。

    非顕現なものに専念した人々の労苦はより多大である。全ての行為を神のうちに放擲し、神に専念してひたむきなヨーガによって神を瞑想し、念想する人々は、生死流転の海から救済される。

    神に知性を集中せよ、それができないなら常修のヨーガによって神に達する事を望め。もし、それもできないなら、神の為の行為に専念せよ。神の為に行為をしても、あなたは成就に達するであろう。もし、それもできないなら、神へのヨーガに依存して、自己を制御し、全ての行為の結果を捨てよ。

    知識は常修より優れ、瞑想は知識より優れ、行為の結果の捨離は瞑想より優れている。捨離により、直ちに静寂がある。

    全ての者に敵意を抱かず、友愛あり、哀れみ深く、「私のもの」という思いなく、我執なく、苦楽を平等に見て、忍耐あり、

    常に満足し、自己を制御し、決意も堅く、神に意(こころ)と知性(ブッデイ)を捧げ、神を信愛する事。

    苦楽を平等に見て、自己に充足し、土塊や石や黄金を等しいものと見て、好ましいものと好ましくないものを同一視し、冷静であり、非難と賞賛を同一視する。尊敬と軽蔑を同一視し、味方と敵を同一視し、一切の企図を捨てる。このような人が要素を超越した者と言われる。

    世界には二種のプルシャ(人間)がある。一つは可滅のもの。可滅のものは一切の被造物。不滅のものは揺るぎなき者と言われる。しかし、実は三つ目のプルシャがあり、それは最高のアートマンと呼ばれる至高のプルシャ。

    なすべきであると考えて、定められた行為を、執着と結果とを捨てて行う場合、それは純質的な捨離である。

    最初は毒のようで結末は甘露のような幸福、自己(アートマン)の清澄さから生ずる幸福は純質的な幸福である。感官とその対象の結合から生じ、最初は甘露のようで結末は毒のような幸福。それは激質的な幸福である。最初においても帰結においても、自己を迷わせる幸福、睡眠と怠惰と怠慢から生ずる幸福、それは暗質的な幸福である。

    何ものにも執着しない知性を持ち、自己を克服し、願望を離れた人は、放擲により、行為の超越の最高の成就に達する。

    神に最高の信愛を捧げ、神の信者達の間にこの最高の秘密を説く人は、疑いなく神に至るであろう。

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    2015年10月07日
  • バガヴァッド・ギーター

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    有名なインド叙事詩『マハーバーラタ』の一部。インド思想は多様で複雑だけれど、ここにエッセンスがギュッと凝縮されています。
    ヒンドゥー教と聞くととっつきにくいけれど、行為の結果に執着することをやめよ、ただ神のために心を注ぎ、正しい行いをせよ、という教えは、仏教よりも分かりやすく受け入れやすいもののように感じます。
    読み物としても面白く、人間の姿(仮)をしていたクリシュナが最高神であるところの真の姿を現わす場面はシビれます。インドの神様は説得力がすごい。強い。

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    2014年12月02日
  • バガヴァッド・ギーター

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    これを読んで人生を考え直すことは思いつかないが、主張を授業で話すことは可能。解説部分や、ドッグイヤーの部分に主張の根幹がある

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    2013年05月10日
  • バガヴァッド・ギーター

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    バガヴァッド・ギーターは、マハーバーラタの一部。
    聖バガヴァッドとアルジュナとの対話。それをサンジャヤが王に報告している様子。
    聖バガヴァッド=ヴァースデーヴァ=クリシュナ(人間の姿)、ということでよいのかな。

    結果に執着せず、行為に専心せよ。
    やたら聖バガヴァッドを褒め称える内容で、だんだん滑稽に思えてくる。私の理解が浅すぎるからかもしれないが。注釈をちゃんと読まないと理解には遠そうだ。
    ヒンドゥーのカタカナ語が多いので、もっと意訳してほしいとも思ったが、それを岩波文庫に期待するのはナンセンスか。

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    2025年01月25日
  • バガヴァッド・ギーター

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    戦いに疑問を持つアルジュナに対し、教え諭し戦えと檄を飛ばすクリシュナの対話集。マハーバーラタの一部。本編は難解でここだけではよくわからないけど後半にある解説を読むことでかなり理解しやすくなる。

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    2026年03月10日
  • バガヴァッド・ギーター

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    基本的に難しいし、ヒンドゥー教をこの一冊で理解なんて出来ないけど、なんだかアルジュナくんが可哀想な感じでした、、

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    2020年11月17日
  • バガヴァッド・ギーター

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    東洋的な知恵。という観点からは、タオイズムなんかとあわせて、読んでなきゃ話しにならない的なムードが漂う古典。

    その影響は、インド文化圏にとどまらず、広く世界中で愛読者がいるらしい。60年代のヒッピームーブメントでも、結構、人気の本だったんじゃないかな。 John Lennonの歌詞の中に「私はギータを信じない」というのが確かあったはず。

    というわけで、前から気になっていたのだが、なんとなく読んでみることに。

    戦争で親戚一同を敵にまわして戦わなければならない状況で、悩み戦意を喪失したアルジュナにクリシュナが、究極の教えを授けて、戦いの赴かせるというシチュエーションは大変ドラマティックだし、社会的な現世の努めを果たす事と悟りに至る道が両立することを示していて、その辺は、とても共感するのだが。。。。

    けど、なんだかやっぱり分からないなー。解説を読んで、なんとなく分かったように気になるけど、本文を読んでもそれ以上の感想はでてこない。

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    2017年05月02日
  • バガヴァッド・ギーター

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    行為の結果を動機とするのはやめて、ひたすら行為そのものに集中しなさい…。

    こんな至言をあんな昔に思いついたインド、やっぱ哲学的にはチートだと思う。みんな救え!とか見捨てるな!とか言ってる時に「救われるかどうかに意味はない、ただ宇宙のあるがままと同一になりなさい」とか…。頭では解るけど難しすぎ。読んだあと無性にマニカルニカー・ガートに行きたくなった。あそこはヒンドゥー教の聖地だけど。

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    2013年07月31日