上村勝彦のレビュー一覧
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活動とその停止、行うべきことと行うべきでないこと、危険と安全、束縛と解脱を知る知性は、純質的な知性である。
その知性により、人が美徳と不徳、行うべきことと行うべきでないことを、不適切に理解する時、それは激質的な知性である。
その知性が闇に覆われて、不徳を美徳と考え、またすべてのものごとを顚倒して考える時、それは暗質的な知性である。
ヨーガによって不動となった堅固さにより、人が意と気息と感官の活動を固持(抑制)する時、それは純質的な堅固さである。
また、人が成果を期待して、その堅固さにより、美徳と享楽と実利を、執着して固持する時、それは激質的な堅固さである。
また、愚者がその堅固さにより、睡眠、恐怖、悲しみ、嘆き、酔い(驕恣)を捨てない時、それは暗質的な堅固さである。 -
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ヒンドゥー教の聖典「バガヴァッド・ギーター」(神の歌)。
本書を正しく理解するには、ヴェーダやウパニシャッド哲学、ヨーガの知識が必要不可欠。ゆえに難しい。
けれど、「果報を意図して、偽善のために祭祀を行う場合、それを激質的な祭祀であると知れ」「捨離により直ちに寂静がある」「欲望、怒り、貪欲。これは自己を破滅させる、三種の地獄の門である」といったあたりは、なるほどと思わせる。
老荘思想は、形ばかりで真心の伴わない儀礼を批判する。また、ありのままを受け入れる姿勢は、故加島祥造さんの詩集「求めない」を想起させるし、万物に宿るとするクリシュナ(本書ではシヴァ神と概ね同義)は、まさに八百万の神と似た性質を持つ。以上浅薄な理解だけど、こう考えるとヒンドゥー教も案外身近に感じられる気がする。
一回挫折した「リグ・ヴェーダ」も通読したい。 -
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まずもって、一読したくらいで全容を理解できるような書物ではない。いや、理解できる日など来るのだろうか。それでも、このバガヴァッド・ギーターには現代を生きる私達にとっても活きる教訓のかけらたちが散りばめられている。
たとえばサンニャーサ(放擲)行為者は行為にのみ意識を注ぎ、行為の結果は行為の根源であるブラフマンに返すという考え方。
とかく「成果を出さなければ」という圧力が、外からも自分の心の内側からも湧き上がってくる。その結果、「成果が出せそう」な手元のこじんまりとした範囲でできることを探してしまうことになる。
そうではなく、ひたすらに行為に意識を注ぐことこそが行為の結果、成果につながるのかもしれない。賽は投げられた、果報は寝て待て。
この岩波文庫版は解説が充実している。また、本書の背景となるマハーバーラタについてもかいつまんだ説明がなされている。バガヴァッド・ギーターとはなんぞや、という興味をもったときに手に取る一冊として最適なのではないか。 -
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『バガヴァッド・ギーター』(श्रीमद्भगवद्गीता)は、700行(シュローカ)の韻文詩からなるヒンドゥー教の聖典のひとつであり,ヒンドゥーの叙事詩『マハーバーラタ』第6巻にその一部として収められている。パーンダヴァ軍の王子アルジュナと,彼の導き手であり御者を務めているクリシュナとの間に織り成される二人の対話という形をとる。
本書は日本語で読めるものとしては定番であろう。本文はともかく,巻末の解説のまとまりが良い。
以下解説よりメモ:
知性のヨーガ,行為への専心,知性,ブラフマンの境地,行為の超越,プラクリティ,祭祀のための行為,知識の重要性,行為の放擲,行為のヨーガ,平等の境地,ブラフマンとの合一,ヨーガに登った人,専心した者,常修と離欲,理論知と実践知,神のヨーガ,真の知識は信愛により実現する,至高の知識 -
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空洞化のうそ、ザ・フィフティーズおよびタオ自然学など、リファレンス多数。「神の歌」と訳されるタイトルのついた本書は、十八巻よりなる大叙事詩 マハーバーラタの第六巻に編入される、ヒンドゥ教でもっとも有名なインド古典とされている。
まえがき部分からどんどん神様が出てきて、がんがん子孫を産んでいく展開には、一瞬固唾を飲んだが、本編ではあらゆる迷いを断ち、本性から生ずる自己の行為にのみ専念することの重要性を説く。
オッペンハイマーも救いを求めた本書は、どこかアントニオ猪木の「行けば分かるさ」でも有名な清沢哲夫(暁烏哲夫)の「道」、あるいは般若心経と強い繋がりがあるように感じられた。 -
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『バガヴァッド・ギーター』は、古代インドの壮大な叙事詩『マハーバーラタ』第6巻に編纂された、全18章、約700の詩節から成る哲学的聖典(神の歌)である。
読解にあたっては、多岐にわたる人物相関や用語の定義に、初読では戸惑うかもしれない。特に同一人物が多彩な敬称で呼び分けられるが、その呼び名一つひとつに「二人の心の距離」や「教義の意図」が込められていると気づけば、当初の戸惑いは奥深い面白さへと変わる。
その核心は、「結果(成否や賞罰)に執着せず、今この瞬間に課せられた自らの義務(ダルマ)を全力で遂行せよ」という実践的な指針にある。この真意を紐解くと、執着を捨てるべき理由が「三つの側面」から浮かび上がる。
1. 行為のヨーガ:執着からの自由
クリシュナは、「汝には行為そのものに対する権限はあるが、その結果に対する権限は決してない」と説く。結果という「未来」を過度に憂慮すれば、心に不安や迷いが生じ、現在のパフォーマンスは低下する。また、期待が外れれば苦しみ(ストレス)も生まれるだろう。結果への執着を断つことで初めて心は静まり、状況に左右されない「不動の心」が確立される。
2. 義務(ダルマ)の遂行:社会秩序の維持
これは放縦な行動を推奨するものではない。各人が「自らの本分(ダルマ)」、すなわち親、職能、あるいは市民としての役割を私利私欲なく果たすことが、社会、ひいては宇宙全体の調和を保つことに直結する。アルジュナにとって、それは「戦士として義のために戦うこと」であった。
3. 至高の真意:神への献身(バクティ)
さらに深遠な段階として、すべての行為の結果を至高の存在へ捧げる生き方がある。「私が成し遂げた」という執着、すなわちエゴ(慢心)を捨て、「自分は大いなる生命のうねりの一部(道具)として動いている」と自覚することだ。自身をその流れに委ねきることで、個人の矮小な悩みから解放され、究極の安らぎである「解脱」に至る。
『バガヴァッド・ギーター』が数千年を経てもなお読み継がれる理由は、ここにある。結果を恐れて立ちすくむという経験は、時代を問わず人間の本質的な弱さといえるだろう。そこから一歩踏み出す勇気を授けてくれる本作は、単なる古典の範疇を超え、現代を生きる私たちのための実学的な哲学として響き続けるはずだ。 -
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難しそう、、と勝手に読む前に思っていたがアルジュナとクリシュナの質疑応答形式になっているので、読みやすく内容も理解しやすかった。
最初は私もアルジュナと同じ迷い(なぜ人は殺し合わなければいけないのか。こんなにも良心が傷んでいるのに)があったが、聖バガヴァッドの言葉に勇気づけられた。自分のなすべきことに従い、知力を持って専心して行為を成せ。
常に万物が自己にあることを意識し、迷いを無くすことを求めよ。
善悪の価値観や、今まで信じていた自分の良心なんて捨てたとしても、この世は何も変わらない。
それならばなすべき事を一心に行為に移し、精一杯生きよ、と私はこの本から学んだ。
もちろんこれからも良心の葛藤や、こうなってほしいという願いは次々に出てくるだろう。
でも少しだけ、始まりも終わりも無く、全ては無に帰ると思えたら、心の乱れも少なくなるのかも。 -
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ネタバレ難解だが興味深かった。「行為の『放擲』」、すなわち行為の結果にあれこれ期待したり思いめぐらせたりしないことが善であり、また、行為は、成されることが決まってあるからその行為に専心すべしという考え方は、私の勝手な結びつけだけれど、ライプニッツと少しだけ通ずるものがある気がする。そしてこのギーターにてクリシュナは「私」を名乗っているが、専心によってクリシュナにたどり着いたものはかれに等しい、というのもなんとなくだが広がりを感じるなどした。他の神に対し信心、「行為の『放擲』」を行っているものも、じつはあらゆる神の基であるクリシュナに捧心している、というのも、私には、寛容に思われるような、気はした。以上はすべて主観であることをお断りしておく。