マックス・ヴェーバーのレビュー一覧
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禁欲(清貧・純潔・服従)を守りながら、勤労にはげめ。祈り、働け。『ベネディクトゥス戒律』539 ※モンテ・カシノ(伊の中部)の山の上にある修道院。
あなたが神に救われるか、救われないか。それは神によってすでに決められている(カルヴァン予定説)。あなたの運命はすでに決まっている。この世での善行は関係ない。儀礼(サクラメント)をしても救われる保証はない▼人は自分が救われるのか分からない。不安。孤独。自分は神に選ばれた人間だと確信したい。欲望を克服し、自然からできるだけ遠い地点に行くことができる。それは選ばれた(救われる)人間にしかできないはず▼禁欲に勤めよう。職業労働を頑張ろう。安息日以外は週 -
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マックス・ヴェーバー(1864~1920年)は、ドイツの政治・社会・経済学者。社会学の第二世代を代表する学者で、「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」(1905年)は、社会学の名著として有名である。
本書は、第一次世界大戦(1914年7月~1918年11月)終戦直後の敗戦国ドイツの革命的状況の中で、著者が死去する前年の1919年1月に、ミュンヘンで大学生向けに行われた講演(更にパンフレットとして出版され、死去後『科学論論集』に収められた)の邦訳である。(姉妹編の『職業としての学問』もほぼ同じ時期のものである)
本書でウェーバーが言わんとしたことは、大まかにいえば以下である。
◆「政治と -
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ネタバレライフワークやキャリアデザインという言葉がもてはやされている。少し違和感があったし、日本と西洋の企業の職務分担がどうしてこうも違うのか不思議だった。
本書では宗教改革により、腐敗した教会・修道院に反する立場から世俗の労働が尊重されるようになり、カルヴイニズムでは救済されていることを常に自己審査し証明するために労働が信仰の手段として組織化・合理化をたどった説く。
富の追求を目的とすることは邪悪だが、敬虔な労働に勤しんだ結果富を成すのは神の恩寵だという!
西洋の労働観がどのように生まれ資本主義に組み込まれ現在に至るのかその源流を紐解いてくれる。そしてアメリカでこの禁欲的労働観は救済の証明という宗 -
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タイトルから感じる印象ほど読みにくい本ではなかったです。すごく読みやすくもないけど。
冒頭で、平たく言えば
「カトリックの支配は、プロテスタントの支配にくらべればかなりユルかった。
ユルい支配に対して『こんなんじゃヌルい!』と宗教改革が起こった。 でもこれってよく考えると不思議じゃないですか?
キツい支配に対して『うるせーほっとけ!』と反乱が起きるならわかるけど・・・」
という問題提起があります。
確かに不思議だ!と問いに引き込まれて、そこから先は一気に読みました。
天職義務を全うして職業労働に邁進することは、最初はプロテスタントたちにとって「救いへの道」だった。 だからがんばれ -
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自らが、神によって救われる人として「選ばれている」という確証を得るために、ひたすら禁欲的態度で日々の労働に打ち込む。そして、その労働によって対価が得られれば得られるほど、「選ばれ」が確実なものになるという信仰。プロテスタンティズム諸派の歴史的変遷を追いながら、その生活様式が日々の労働とどう結びついていったのかということが丁寧に考察されている。
さらには、労働によって利得したものを生産的に利用するために、さらに投下資本として活用していくことが、初期資本主義と結びついていったという考察は、前半のプロテスタンティズムについての論考から、たいへんに説得力のあるものとなる。
今まで読もうとして何度か挫折 -
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初の古典。とにかく日本語が意味がわからない。最後の解説から読めばよかったと読み終わったあとに気づく。
解説いわく、宗教的な強制的禁慾という精神が、本当の意味での資本主義を形成していき、最終的にな宗教的倫理観に基づく禁欲行動が形骸化してしまい、鉄の檻として、自分たちを資本活動に邁進させてしまっている。そんな分析をしている本だと分かった。
鉄の檻という言葉を使っているから、ヴェーバーは資本主義の活動自体を、生活を制限するものとして考えていたのかな?とか考える。
ただの漢字と平仮名に目を通す作業だったが、背景がわかったうえでもう少し読んでみても面白いのかもしれない
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