今、会社に一番足りないことが書いてあった。サービス開発に携わる人は、本書を絶対読むべきだ。なぜ、コンサルを使ってもいいサービスが生まれないのかを教えてくれる。楠木センセの「好き嫌いと経営」話に繋がる内容で、大変面白かった。
1.現在のイノベーションの主流な方法では、アイデアに埋もれてしまう。どれだけたくさんのアイデアを持ったところで、ビジネスと顧客にとって取るに足らない価値を増やすだけである。多くのアイデアを区別できなくなり、モノゴトが曖昧になることで、価値を破壊してしまうことになる。
2.モノゴトの価値は、どの方向性がより意味を持つかというというビジョンから生まれる。多くのアイデアは必要とせず、意味のあるビジョンが1つあればいい。モノゴトをいかに改善するかではなく、なぜ私たちがそれらを必要としているかが重要だ。勝者は既存の問題を過去のものにし、シナリオを再定義する。そして、よりよい何かではなく、「より意味のある何か」を提供することで顧客をほれさせるのである。
3.意味のあるモノゴトをつくりだすには、近年のイノベーションの議論において人気の、外部から多くのアイデアを得る方法論とはまったく反対のの原理を持つプロセスを必要とする。それには「批判精神」と「自分自身から始めること」が必要だ。
▫️2つのイノベーション
私たちが製品やサービス、ビジネスモデルについて語る時、常に2種類のイノベーションが存在している。既存の問題解決を目指すイノベーション(以下、問題解決のイノベーション)と、意味の創造を志向するイノベーション(以下、意味のイノベーション)だ。
・問題解決のイノベーション
これは、すでに存在している問題を解決するためのよりよいアイデアが関心の対象となる。「どのように(How)」を考えること、つまり市場ですでに明らかとなっている問題に新たに立ち向かう方法である。新たなソリューションは漸進的な場合も急進的な場合もあるが、常に方向性は同じである。「今以上(でしかない)」イノベーションだ。
サーモスタット業界の例で考えてみよう。ネストラボが現れる前にサーモスタットを扱っていた企業は、ユーザーが家の温度をよりよく管理できるという価値を提供していた。そのため、彼らはこの目的を常に頭に入れた状態で新しい製品を考えていた。ユーザー宅で、「どのように」温度をよりよく管理させるかという考え方である。そこから生まれるイノベーションは、デジタルでブログラミングが可能なサーモスタットで、ユーザーがより正確にカスタマイズできる機能や曜日設定、ユーザーによる細かい温度調整など)を持っていた。これらは確かによりよいソリューションであり、人々もこの新しい製品を購入してきた。しかし、「意味がある」モノだろうか?人々はプログラムできることに本当に愛着を持つのだろうか?
・意味のイノベーション
これは取り組むべき問題自体を再定義する、今までにないビジョンの創造が関心の対象となる。意味のイノベーションはイノベーションのレベルを一段階押し上げる。新たな「どのように」だけでなく、新たな「なぜ(Why)」を追求する。人々がモノを使用するための新しい理由を提案するのだ。新たな価値創造であり、市場において必要とされ、意味のある新たな解釈であり、新たな方向性である。
例えば、ネストラボはサーモスタットに今までにない意味を与えることに成功した。人々は温度を管理したいのではない。できれば温度管理などすることなく、ただ快適に過ごしたいのである。ネストラボのサーモスタットは、スマートかつ簡単という特徴がある。プログラミングの必要はない。ユーザーの好みの温度や節電方法をサーモスタットが自ら学習するからだ。ユーザーに求められるのは、単純なマニュアルでサーモスタットを起動させることだけだ(わかりやすい回転式スイッチをオン/オフするだけ)。3日経てば、ソフトウェアが自動的に家族の温度の好みを理解する。
内蔵センサーで、誰も家にいなければ自動的にスイッチを切ってくれる。このソフトウェアはオープン化されており、サードパーティーがこの新たな意味を活用することができる。例えば、ジョウボーン[Jawbone]は、ユーザーがサーモスタットにワイアレス接続できるUP24というブレスレット型端末を開発した。これにより、朝いつもより早く起きても、ブレスレットがそれを感知し、自動的にヒーターのスイッチをオンにすることができる。ファデルは言う。「テクノロジー好きな人は、スマートフォンですべてをコントロールしようとする。しかし、家は家族のためのものだ。家族全員のためにデザインされなければならない。誰か1人のためのものではない。子どもや妻、祖父母など、すべての人が使えるようにならければならない」
ネストラボのビジョンは、この業界で長くビジネスを続けてきた企業とはまったく違う方向に向かっていた。ネストは技術を見せびらかすような製品ではなく、「家庭的な」製品をデザインしてきた。このビジョンは、プログラミングよりも「快適性」、管理のしやすさよりも「信頼性」、洗練さよりも「簡易さ」といったように、市場におけるモノの意味を再定義した。
これらの新たな特徴の大半は、ユーザーに温度管理をさせようと考えていた企業は認識できなかった。
なかには、そのアイデアを突飛なものとして拒絶していた企業もあった(特に、タッチパネルの代わりに、単純な回転式のインタフェースにすることはためらわれた)。しかし、顧客はネストの新たな解釈を目にした時、そこに意味を見いだし、愛着を感じたのである。
意味のイノベーションをつくりだすことは、顧客との交流をより高いレベルに引き上げる。人々が本当に価値を感じていることは何なのかに焦点を当てる。人々が優れた性能に対して愛着を持つわけではない。それは時代遅れだ。人々が愛着を感じるのは、対象が人であっても何であっても、「意味」から生まれる。
意味のイノベーションをうまく表現するメタファーとして、「贈り物」を考えるとよい。ネストのサーモスタットは、ファデルとロジャースのチームから顧客への贈り物である。ユーザーのニーズや問題に応えたものではないし、顧客が自ら考案できるものではない。ネストは、人々が予想もしなかったが、意味があると感じる新たな可能性を提供したのだ。
▫️意味のイノベーションによる価値創造
・原則
1つ目は、イノベーションプロセスの「方向性」である。クリエイティブな問題解決は「外から内へ[outsidein]」向いている。まず外に出て、ユーザーが既存製品をどのように使用するかを観察する。それから外部者を巻き込み、新しいアイデアを提案する。そこに自分たち自身で考えられる可能性があっても、外に出て考えろとアドバイスされる。
2つ目は、その「考え方」である。問題解決のイノベーションは、アイデアづくりの能力を基盤とする。アイデアをたくさん生み出せば生み出すほど、よいアイデアを発見できるチャンスが増えることを前提としている。
本書では、意味のイノベーションはそれとまったく反対のプロセスから生まれることを示す。意味のイノベーションでは、方向性は「内から外へ[insideout]」向かい、アイデアづくりではなく「批判精神」に根差している。
・内から外へのイノベーション
ネストのトニー・ファデルはサーモスタットの開発において、すべて自分自身の考えから始めた。彼は人々が愛着を持つサーモスタットをつくりだしたかった。彼にとって「人々」とはまず、自分自身と家族を指していた。もし自分が愛着を持てないなら、誰がそれを愛してくれるだろうか?もちろん、サーモスタットの開発プロセスの後半では、昔ながらのユーザー分析を行っている。しかし、ユーザー分析がスタートではない。自分自身の内から始めたのだ。
もっと正確に言うと、彼は内に秘めていた「不満」から考え始めている。既存のサーモスタットすべてを嫌っていたのである。今でも、彼が新製品を考える時には、不満がその原動力となっている。
「サーモスタットを考えた後、家の中にある他の愛着を持てない製品に対して同じようなことを考え、それらをすべて魅力的なものにした」とファデルは言う。インタビューの最中、彼はタホにある自宅の外壁に設置されたプールの温度を管理するための醜いベージュの機器を指差してこう言った。
「あの愚かなモノは、僕ら家族がここに来る前からそこについていたよ。ここになじもうともしてないよね。そのうち替えるよ。ほら今度は、あそこの恐ろしい監視カメラを見てよ!」
彼はユーザーから考え始めない。アイデアを得るために、ここ10年競合他社が行ってきたように外部者から始めない。では、なぜ彼は成功し、競合他社は成功できなかったのだろうか?
近年人気の外から内へのイノベーション(オープンイノベーションやユーザー主導のイノベーション)は、下記の強い前提に基づいている。つまり、見つけるのが最も難しいことは、新しいアイデアである。しかし、たとえそれが奇抜で外部者によってもたらされたアイデアであっても、目の前に現れれば、それが何なのか私たちは容易に認識できる。確かに問題解決のイノベーションにはこれが当てはまる。なぜならそれは、与えられた問題を解決しているかどうかが「判断のものさし」となるためである。
しかし、意味のイノベーションには当てはまらない。意味は、問題解決とは異なる性質を持つ。意味とは、何がよくて、何が悪いのか、に対する新たな解釈である(ネストのケースでは、快適さと簡便性であり、温度制御や完璧なプログラミングではない)。イノベーションすべきことは判断の善しあしでなく、「判断のものさし」そのものである。新たな意味、新たな解釈の提案は比較的単純である。世界は可能性で満ちているからだ。難しいのは、その中のどれに意味を与えるかを理解することだ。選択肢が多いほど、どれも似たような面白さに見えてしまうし、個人の好みにも依存する。外部者が新たなビジョンを持ち込んだとしても、多くの選択肢の中で、自分に見える(そして見たい)ものだけを結局見てしまう。
サーモスタット業界について考えてみよう。ネストのサーモスタットに盛り込まれたアイデアの大半はすでに知られたものだったが、誰も気づいていなかったのだ。
ネストラボが設立される2年前の2009年、米国のグリーン・ビルディング・カウンシルとインテリアデザイナー協会、ホスピタリティー産業ネットワーク[The Network of the Hospitality Industry,NEWH]は、サステナブルな部屋をテーマにしたデザインコンペを行った。勝者は、部屋に人がいることを感知するスマートなサーモスタットのアイデアを展示した。そのアイデアは公開され、権利もフリーだったが、どの企業も取り入れなかった。
2012年には、ハネウェル[Honeywell]が特許侵害でネストを提訴した。これは、ネストのアイデアが、すでにハネウェルの目の前にあったことを意味している。しかし、ハネウェルはこれらの価値に気づいて、特許で価値をつくりだすことができなかった。顧客も意味を見いだす助けにならなかったのである。ハネウェルの環境燃焼制御部門の幹部はインタビューで、ハネウェルがすでにネストラボと似たようなソリューションをテストしていたが、「私たちは消費者がサーモスタットに管理されるよりも、管理する方を好むと考えていた」と述べている。
ポイントは、ある組織に属している人はみな将来進むべき方向性をはっきりと、あるいはこちらの方が多いが、暗黙のうちに感じているということである。この方向感覚は、私たちの気づきにおいて否応なくフィルターとして機能する。私たちはどうしても自分の聞きたいことだけを聞き、自分の考えを支持してくれる消費者を選んでしまう(ハネウェルの部門の名称自体が、それを大いに語っている)。これは、既存の「判断のものさし」に沿ってよりよいソリューションを探している場合は問題にならない。
しかし、意味のイノベーションとは、進むべき方向の変化、判断のものさしの変化である。私たちが外部者のアイデアから考え始めると、たとえ目の前に価値のある提案があったとしても、それに気づくことはできない。こわごわととつびな方法を試そうとしても、すぐに退けられてしまうだろう。
ソリューションを探すことは外部に頼めるが、ビジョンをつくることは他者に頼めない。ビジョンとは、モノゴトを見るためのレンズであり、世界に意味を与える魂である。他の誰かのメガネを借りることはできない。当然、魂も同じだ。ネストラボがユーザーや群衆からのアイデアを使わない理由はここにある。その代わりに、ファデルとロジャース自身から生まれたもの、それがビジョンである。
自分自身、人々に愛してほしいと私たちが考えるものから始めることには2つの利点がある。
まず1つには、私たちは方向感覚、つまり「人々が愛するであろうもの」に対する暗黙の仮説を育んでいる。そこから逃れることはできないのだ。その仮説を人々にほのめかすことで、私たちは自分の認知の枠組みを明確にし、それをターゲットにして挑んでくる他者から見えるようにすることができる。
内から始める2つ目の理由は、さらに深い。最初の仮説はネガティブな先入観ではなく、とても大切なものである。私たちが最も必要としているもので、意味を築く基礎となる。自分にとって意味のない方向に進むことはできない。ソリューションは外から借りられる。目標を達成すればよいからだ。しかし、目標や方向性は自分で見つけるしかない。
アップルの共同創業者であるスティーブ・ウォズニアックへの最近のインタビューで、ApplelとⅡを開発した時、彼の態度はどのようなものであったかを尋ねたところ、彼はこう答えた。「人々はあなたが愛着を持てない製品を決して愛してくれないだろう。もし、あなた自身が愛せないのであれば、彼らはそれに感づく・・・・・・・」
確かに、私たち自身が愛着を持てない贈り物を人々は愛さない。贈り物は、贈り手と受け手の2つの愛の出会いである。受け手が愛着を感じるであろうもの(贈り物はもちろん贈り手のためのものではない)、そして贈り手が相手に受け取ってほしいもの(例えば、相手の人生をよりよくできる方法だと私たちが心から信じていること)である。意味のある製品を創造することは、贈り物をする際の責任ある行動と喜びである。
そう、責任。なぜなら、贈り物を通して、私たちはもっと意味のある世界を創造できるからだ。人々の生活に貢献もする。そして喜び。なぜなら、私たちが愛する贈り物は、それをつくりだすこと自体が喜びになるからた
そのため、贈り物は受け手のためのものだが、贈り物をする行為は私たち自身のためのものだ。意味が創造されるのは、このような時である。人々はモノ自体を見る前にそれに感づくだろう。そして、愛着を持つのである。
・批判精神
問題解決のイノベーションと意味のイノベーションの2つ目の根本的な違いは「考え方」である。クリエイティブな問題解決は、アイデアづくりを基盤とする。一方、意味のイノベーションは「批判精神」を必要とする。その理由は2つある。
1つ目の理由は、そのプロセスが内から始まるためである。自分自身が設定した仮説から始めるので、そこから生まれるものが他の人々にとっても意味のあるものなのかを確かめなければならない。自らが古びた解釈に縛られているかもしれないからだ。批判は、自分自身の認知の枠組みへの挑戦である。自分がどのように周囲のモノゴトを理解しているのかを確認する方法である。批判精神によって、余計なものを振り払い、もはや意味を失った過去を取り除くことができる。
精神を必要とする2つ目のさらに重要な理由がある。それは過去を超えるためだけではなく、新しいものを創造するためでもある。新たなビジョンの提案は、単に仮説をほのめかすことから始まる。最初の提案は不鮮明で、曖昧である。価値や影響が不明確で、単に進むべき方向性を予感させるに過ぎない。他人に対してだけではなく、自分自身にとってもである。批判によってビジョンを深く掘り下げ、自らの
仮説と他者の仮説を対決させて、根底にある新しく、より強靭な解釈を見つけることができる。
「批判「criticism]」という言葉はギリシャ語の「krino」が語源で、「判断し、評価すること」を意味する。英単語としては、しばしばネガティブな印象を与えるが、実際にはネガティブでもポジティブでもない。むしろ、モノゴトを解釈する時に、より深く考えて実践することを意味している。映画の批評家は必ずしもネガティブな批評をするわけではなく、作品内容のよりよい理解を助ける。評論は時にポジティブで、時にネガティブで、両方の時もある。しかし、優れた評論には必ず深みがある。それは表面には現れてこないものを明らかにしようとする試みである。
批判の力によって、レストランでの会話がファデルとロジャースを刺激し、ネストラボの創業につながった。彼らの会話は、2人の信頼し合ったペア(彼らはアップルで共に働いたiPodの生みの親であ)の間で行われた。それはアイデアを潰すためではなく、より優れた解釈を狙ったものだった。
かつてファデルはスティーブ・ジョブズと「クリエイティブな批判」をやり合った。「ジョブズは私が質問し過ぎだと思っていた。私は、それはどうなんだ?あれはどうなんだ?とただ尋ね続けた。するとジョブズは『もういい』と言った。ずいぶんいらついたんだろう。今度は彼が私に山のように質問を浴びせてきた。私はいらいらして『スティーブ、放っておいてくれ』と言ったんだ」
ファデルは、ネストラボをクリエイティブな緊張感で満たした。彼の同僚は彼のスタイルを、人気ドラマ『ゲーム・オブ・スローンズ』の登場人物であるグレガー・クレゲイン、通称「マウンテン」と比較する。マウンテンは敵を倒す時に、元の形をとどめぬほどにすることで知られ、非凡でけんかつ早い人物である。「あなたが誰かを心底うろたえさせるのであれば、それはあなたが正しい道にいることを意味している」とファデルは説明する。しかし、彼の目的は、アイデアを打ち砕くことでも潰すことでもなく、深く掘り下げ、強力なビジョンを構築し、安易なアイデアを超えていくことだった。「ファデルはテーブルを拳でたたき、怒鳴り、卓越したアイデアを要求する。しかし同時に、非常に面倒見がよく、開発に信じられないほどの情熱を傾けている」とロジャースは述べている。
批判精神は、古びた解釈を超えることと、新しくビジョンをつくりだすことに貢献する。もし批判精神が正しく使われたなら、逆らわずに批判を受け入れるアイデアづくりの会議よりもはるかに、人々を勇気づけ、イノベーションを生み出す活力の源泉となる。
それゆえに、今までにない意味のある解釈を得るプロセスは、よく知られたアイデアづくりのプロセスとはまったく異なっている。新しい意味は、できるだけ多くのアイデアを出し、その中からベストなものを選択するという、量的な発想からは生まれない。その代わり、質的な発想から生まれる。まず初期のビジョンを幾つかぶつけ合う。より深い新たな解釈のためにそれらの違いに焦点を当てることで、それぞれのビジョンの向こう側にあるものを説明できるようになる。それは必然的に自分たち自身の中に避けがたく存在する異なった視点を衝突させ、融合するプロセスである。ブレインストーミングは、アイデアづくりに焦点を当て過ぎることで、モノゴトの判断を先延ばししてしまう。一方、意味のイノベーションは判断を通して創造する。批判の技術によって、当初はぼやけていた1人の仮説を、最終的には人々が愛する強固なビジョンに変えることができるのだ。
批判精神は残念ながら、簡単には養われない。緊張感に根差しているので、注意深く扱われる必要があるからだ。誤った批判は、単にプロセスを潰し、可能性のある素晴らしいビジョンを破壊してしまう。では、深い解釈を得るために私たちはどうすべきか。創造性と批判をどのように結びつければよいのか(この2つは明らかに矛盾している)。これは簡単なことではない。イノベーションを生み出し続けているフアデルでも、いつもうまくいくわけではない。実際、意味のある製品を生み出してきた人々は、成功と同じぐらい失敗している(スティーブ・ジョブズが良い例であろう)。私たちはこれらの成功と失敗から何を学べるのだろうか?
・プロセス
問題解決のイノベーションの限界を指摘するには、2つの原則(「内から外へ」と「批判精神」)の提示することにとどまらない。私たちは、企業が実際にどのように意味のイノベーションを起こすかを理解したい。これらの原則は、いったいどのようにすれば強固で実行可能なプロセスにつながるのだろうか。
そのために私たちは長い旅に出発した。人々が愛着を持つ製品を開発する方法を探す、ほぼ10年にもおよぶ旅である。最初に私たちは過去に成功した企業から学んだ。その後、私たちが学んだうちの最良の例から、異なるコンテクストや業界、文化でも使えるようなプロトタイプとなるプロセスをつくり上げた。
最後に、さまざまな組織と幾つかのプロジェクトを起こし、このプロセスをテストした。
私たちは運がよかった。新たな方法を試し、パイオニアとしての恩恵を受けようとする経営者に出会ったからだ。数年間にもおよぶそのプロセスは初期の青写真から変わり続け、強固になった。もちろん私たち自身も学習し、実験し、改良し続けた。
読者のみなさんが参加してくれることを期待して、本書でこのプロセスを共有する。本書の内容は、読者の目的やコンテクストに合わせて利用していただいてよい。さらに異なる手段に挑戦し、適用範囲を拡大し、新しい発見を共有することもできるだろう。私たちが改善し共有すればするほど、他者にも意味をつくりだす力を与えることができる。
図1-5は意味のイノベーションのプロセスを要約したものだ(その詳細とすぐに使えるツールは後述する)。ここまでに紹介した2つの原則、「内から外へ」と「批判精神」から得られる自然な帰結である。
内から外へのプロセスは、個人としての自分自身から始める。を心に思い描くことから始めるのである。これはロジャースとファデルがレストランで会う前に、彼らの心の中で起こっていたプロセスである。組織の中には、意味のある仮説を思い描く人々に愛着を持ってもらいたいことにつを持ってもらいたいことについて、自分自身の仮説素晴らしい可能性を持った人々がいる。本書では、そのような個人をチームとしてまとめるガイドラインを提供する。そして、自分自身の洞察を養い、活用する方法を提供する。
この最初のフェーズでは、クリエイティブな問題解決のプロセスとは反対のことを行う。ユーザーから始めないし、仮説を立てる際もアイデアづくりでなく、自己批判から始める。アイデアを数多く出すより、数少ない仮説をしっかりと描き出すことが必要である。どのように問題が解決され得るかでなく、自らの提案の意味や、なぜ顧客は愛着を持つかに焦点を当てる。
また、チームで働くより、自分自身の仮説を個人で自発的に思い浮かべる必要がある。これにより、ビジョンの内容を薄めることなく、より深く掘り下げる能力を高めることができる。自発的に行うことで、自分自身が最も適切だと感じる方法(例えば、直感的に、質的に、量的に。本書では選択肢を広く提示する)を、個人的に選択できることも意味する。そうすることで提案の異質性が高まり、進むべき方向性が広がる。すぐにできるブレインストーミングより、むしろ仮説に反映するためには十分な時間を必要とする(おおよそ1ヵ月)。おそらく直感的に思い浮かべる幾つかの仮説から離れるのではなく、そこからスタートするのである。これらをじっくり時間をかけて熟考した後に、直感がより良いかたちになるまで、新たな方法を試し、まだ確証のない仮説を疑い、改善し、少しの間そのままにしておく。
この最初のステップの後、自らの仮説に縛られないようにするため、プロセスは自分自身の外に向かう。その目的は、顧客が愛着を持ってくれる何かを創造するためである。そこで、批判精神が必要になるが、注意深く行わなければならない。初期の仮説は自分自身にとっても不明確で、もろい。特に、今までにない仮説であればなおさらだ。そのため、徐々に批判にさらしていく必要がある。
批判を実践するための最良な方法は、ペアを組んで行うことである。ペアには、似たような方向を向いた2人が必要である。互いに疑問をぶつけることで、ビジョンを潰さずに、自然と深く掘り下げることができる。これは前述した、レストランでファデルとロジャースがやっていたことである。互いを信頼し、尊敬し合えるペアが行う厳しい批判である。これはファデルがスティーブ・ジョブズと行っていたことでもある。
これはボクシングで、ビッグマッチを前にしてスパーリングを行うパートナーのようなものである。彼らは明確に互いの弱さを探し、強く打ち合う。しかし、相手をノックダウンすることが目的ではなく、強くすることを目指すのである。同様に、意味のイノベーションでは、スパーリングパートナーが互いの仮説の弱さを責めるが、そこに恐怖はない。なぜなら、根幹では似たようなシナリオを信じているからだ。ための強力な(そしてこれまで無視されていた)ペアで批判し合うことは、イノベーションをもたらす方法である。私たちが今までにないまったく新しいことを信じようとする時には、自分自身でさえもその理解に苦しむ。そのような中途半端な状態で新たなビジョンを大人数のチームにさらすには、私たちは脆弱過ぎるし(恐怖さえも覚える)、ビジョンは一瞬で潰されてしまうだろう。しかし、信頼できるスパバーリングパートナーであれば、私たちはまだもろい考えを共有して批判を受け入れ、後のさらなる厳しい批判に対抗できるように考えを強化することができる。
スパーリングパートナーからの批判によって初期のビジョンを十分に深掘りできたら、次のステップは新しい方向へ向かうことである。私たちは前例のない解釈を探索するために、異なった仮説を比較し、結合していく必要がある。この目的のため、複数のペアが集まって、「ラディカルサークル」と呼ぶ大規模なグループをつくっていく。新たなビジョンを開発することを目的とし(ラディカル)、参加者が注意深
く選ばれた熱心なワークショップ形式で密接に一体となって活動する(サークル)ことから、ラディカルサークルと名づけた。
互いに明らかに違いのある仮説を持つ複数のペアが集まれば、ワークショップで行われる批判は耳障りなものかもしれない。しかし、これがこの段階で求めていることである。個人の仮説はより強く、明確になり、潰されることはない。むしろ、ラディカルサークルでの議論はそれぞれのビジョンの間にある明白な差異の背後にあるものを描き出す。それが、個人とペアでの視点からは見えなかった、今までにない意味である。これが衝突と融合のプロセスの核心である。イノベーションのためには、差異と緊張があると好都合だ。批判を通してイノベーションを起こす原動力の助けになる方法を提示する。例えば、「共通の敵の発見」「シナリオの開発」「喜びを与える人への焦点化」「メタファーの利用」などである。
批判のプロセスの次のステップでは外部者、つまり組織外の人々に範囲を広げる必要がある。まずは「解釈者」である。解釈者とは、私たちと共通のビジネス戦略やコンテクストを持ちながら、異なった視点を持つ、広範囲に及ぶ領域の専門家である。彼らは、私たちが考え出したビジョンをさらに深める手助けをしてくれる。
そして最後に「顧客」である。顧客とは、私たちの提案に愛着を持ってほしいと願う人々である。ファデルとロジャースは、このプロセスのより進んだステージで外部者を招き入れた。彼らの考えた方向性が本当に意味のあるものかどうかをチェックするために、最後は実際に人々の家に入り込んだが、その時点ではすでに実際に試してみたいと思う強いビジョンを持っていた。
意味のイノベーションでももちろん外部者の有用性を活用する。しかし、それは最後のプロセスであり、外部者のフィードバックと気づきを解釈するための新たな認識の枠組みを私たちが手に入れてからである。よって、外部者の関与は、オープンイノベーションやクラウドソーシング、ユーザー主導のアプローチとは根本的に異なっている。
意味のイノベーションにおける外部者の主な役割はアイデアの提供ではなく、むしろ私たちが提案し、強く深くしてきた革新的な方向性に疑問をぶつけることである。外部者がもたらすべきことは「優れた質問」であり、優れたアイデアではない。言い換えると、彼らはアイデアをつくりだすことではなく、批判に貢献するのである。
▪️意味のイノベーションの位置付け
次に、戦略理論と新しい価値提案の創造との関係である。例えば、チャン・キムとレネ・モボル二ュが提唱した「ブルーオーシャン戦略」や、クレイトン・クリステンセンの「破壊的イノベーション」がある。ここでも私たちは同じ立場を取る。意味のイノベーションは、これまでの考え方の方向性を完全に変えることであり、ブルーオーシャンへの旅である。キムとモボルニュは、顧客が製品に価値を与えるためのパラメーターを変化させることによって生み出すイノベーションを「価値のイノベーション」と呼んでいる。
同様に、意味のイノベーションは、クリステンセンとアルウィックの「ジョブ理論(顧客が本質的にやりたいこと)[jobs to be done]」や、オスターワルダーの「バリュー・プロポジション[value proposition]]にも関連する。これらとの違いは、単に用語の違いだけではない(私たちが「意味のイノベーション」と呼ぶのには理由がある。ジョブ理論やバリュー・プロポジションでは、人々や顧客の考えや感情が考慮しないが、意味のイノベーションでは考慮する。それゆえ、意味の観点は、顧客に共感するのに役立つ)。主な違いは、これらの枠組みが「戦略」の範囲である一方、私たちは深く掘り下げ「実行」の領域に足を踏み入れていることである。本書では、新しい意味(つまり新たなブルー・オーシャン、新たなジョブ、新たなバリュー・プロポジション)を作るのに使えるプロセスを解説する。私たちが協働しているこれらの戦略的枠組みをよく使うマネジャーからも、本書が描く戦略を実行に移すプロセスを高く評価してもらっている。
よって本書では、これらの戦略的な枠組み(狩野の価値モデル、仮説志向/発見ドリブンイノベーション、経験デザイン、リードユーザー法なども同視点にある)を、実際に企業が実行できるプロセスに統合する方法を示していく。
最後に、リーン開発(スプリント、最低限の機能を持った製品[Minimal Viable Product, MVP]、反復的開発など)との関連についても述べておこう。リーン開発の実践は、製品とサービスの開発プロセスに大きな効果を発揮する。
ソリューションは外から借りられる。目標を達成すればよいからだ。しかし、目標や方向性は自分で見つけるしかない。
今までにない意味のある解釈を得るプロセスは、よく知られたアイデアづくりのプロセスとはまったく異なっている。新しい意味は、できるだけ多くのアイデアを出し、その中からベストなものを選択するという、量的な発想からは生まれない。その代わり、質的な発想から生まれる。まず、初期のビジョンを幾つかぶつけ合う。より深い新たな解釈のためにそれらの違いに焦点を当てることで、それぞれのビジョンの向こう側にあるものを説明できるようになる。それは必然的に自分たち自身の中に避けがたく存在する異なった視点を衝突させ、融合するプロセスである。ブレインストーミングは、アイデアづくりに焦点を当て過ぎることで、モノゴトの判断を先延ばししてしまう。一方、意味のイノベーションは判断を通して創造する。批判の技術によって、当初はぼやけていた一人の仮説を、最終的には人々が愛する強固なビジョンに変えることができるのだ。
現在人々は、かつてないほどロウソクを購入している。ロウソク産業は意気軒昂で、1990年代に売り上げが急上昇し、2000年に頂点に達した。
その年成長率は少なくとも10%である。2000年代になっても、景気の後退にかかわらず、人々はロウソクを購入し続けた。ヨーロッパでは、2008〜2013年のロウソク消費量は年間約60万トンと安定していたが、利益は13億3200万ユーロから15億6700万ユーロへと18%増加した。
なぜ人々はロウソクを買うのだろう?電球よりもお金をかけているだって?ロウソクは不便で持ちが悪く、高価で危険、そしておそらく健康に悪い。しかもこの期間、家計所得は伸びず、古きよき時代を思い出させてくれるだけの
実用性の乏しいぜいたく品に割く余裕はなかったはずである。
しかし、今やロウソクは無駄で古めかしいものではない。現代的で意味があるものなのだ。人々はロウソクを愛している。つまるところ、ロウソクの目的は多いに変化したのである。停電への備えや宗教的な理由ではない。光源としてより質が高いとか、持ちが良いといったことでもない。こういった目的のための市場はもはや存在しない。人々がロウソクを購入するのは、友人を自宅に招いたり、一人で過ごしたりする時に、ぬくもりを感じられるようにするためである。
米国ロウソク協会によると、ロウソクの使用者10人中9人が、ロウソクを用いる理由は、部屋を快適でくつろげるようにするためだと回答している。細かく見ると、71%がロマンティックな雰囲気をつくるため、67.7%がいい気分になりたいため、54.4%がストレスを軽減させるために用いると答えている。また、普段使わないタンスの中に放置したりはしない。米国の消費者の大半が、購入後1週間以内にロウソクを使用するという。
さて、この問題をどう解決しようか。いったい誰が正しくて、誰が間違っているのか?ブラウンか、ジョブズか?ケリーか、ウォズニアックか?
実は、両者とも正しい。彼らは単にイノベーションの2つの異なるタイプを示しているだけである。外から内へのプロセスは、「新しいソリューション」を見つけるために非常に効果的である。一方、内から外へのプロセスは、「新しい意味」を見つけるのに、実に効果的なのである。
別の言い方をすれば、意味のイノベーションについては、外から内へのイノベーションの神話は機能しない。内から外へという正反対の方向を取る必要があるのだ。これには3つの理由がある。
まず、意味は解釈であり、解釈は他者にアウトソーシングできないからである。解釈は私たちにしかできない。第2に、私たち自身の解釈は貴重であるからだ。自分自身が愛していないものを、他者が愛することはない。第3に、世界をもっと理にかなったよい方向に進める責任が、私たちにはあるからだ。これは人類のため、ビジネスのため、そして私たち自身のためによいことである。もし私たちが放棄してしまえば、この世界で誰がその責任を担うのか?世界における私たちの役割とはいったい何なのか?
…人が既存のものに逆らう画期的な方向を探ろうとすると、他者から嘲笑されたり懐疑的な目を向けられたりする。ほとんどの場合、目新しい提案は、最初はほとんど誰にも理解されない(それを提案する人自信さえも、自信がない)。これが普通だ。
しかも、新たな挑戦に失敗はつきものだ。ラディカルサークルは、そのような不安と失望に手を差し伸べてくれる。ラディカルサークルにおいて自分の意見をさらし、他の誰かが自分と同じ方向を向いているということが確認できれば、自分の考えに確信を持つことができる。
ビジョンをつくりだすフェーズに関わる個人には、次の3つの特性を必要とする。
1.既存の状況に満足していないこと。
2.変化を恐れず期待をもっていること
3.批判と熟考を楽しめること