プラユキ・ナラテボーのレビュー一覧
-
-
Posted by ブクログ
仏教瞑想がどういうものか、普通の人の生活でどう活かすことができるのか、付き合い方を知ることのできる本。
瞑想にも多様性があり、目的と方法が多様であり、自分に合う合わないもあるとのこと。唯一の真実があるから、自分をその瞑想合わせなくてはならないと考えるのではなく、自分の目的、適した方法を考えて、合わない時は別の方法を探すという柔軟な対応もあって良いというスタンスを知る。方法によっては、逆に問題を悪化させることもあるとのこと。
瞑想することと、リアルの物語の中での人格陶冶は別物なので、その指導者の為人をみることも重要ということも、目から鱗だった。
第三の軸を立てるというイメージや、抜苦与楽という -
購入済み
実存を震わせるという仏教瞑想
悩みを抱えた人たちの相談を長年引き受け、解決へと導いているタイ仏教僧プラユキ・ナラテボー師(日本人)の対談本。
仏教とその瞑想による強烈な効能について深く語る。
対談形式なのでわかりやすく、プラユキ氏の人となりも大変柔らかで安心して読める。
特に注目なのはプラユキ式の瞑想法というのが、目を開けたまま行う手動瞑想というシンプルイズベストな手法なので非常にとっつきやすく「これなら自分も瞑想習得できるかも」と思わせてくれる。悩みの解消法を探している人には一読の価値あり。 -
-
Posted by ブクログ
ヨガやスピリチュアル界隈でも同様に散見される「あるある」について、よく分析されており、ヴィパッサナー瞑想合宿に参加したり、マインドフルネス・ブームを傍から眺めつつ抱いていた、なんとも表しがたい違和感の正体を掴むヒントが詰まっていた。プラユキ先生のチャート表は非常に良く出来ている。
瞑想の世界にも「瞑想難民」なんてことが言われているらしい。唯一無二の正しさを求めてようとしてしまう→言わば外的な何かに期待してしまう、もしくは逆に疑いから始まって拒絶で終わってしまうからなのかも。ある教え・やり方を信じ、それに従う、ということを「自己の責任において」決めるということが発端にない、という人は割と多いよ -
Posted by ブクログ
プラユキ・ナラテボー師は良いね。魚川祐司だけだと、なんだか、慈悲がないカンジがするんだけど、そこにナラテボー師がいると、やさしさがあって、ホッとする。
p43
現在アメリカを中心に流行っているマインドフルネスの源流を作った草分け的な存在の1人がジャック・コーンフィールド。
彼はマサチューセッツでInsight Meditation Societyという瞑想センターの共同創設者。
彼は、まずタイで、アーチャン・チャーのもとで修行する。チャー師は、ダンマの教師としては偉大だったが、瞑想上の経験には興味が無かった。
そこで、コーンフィールドは、ミャンマーのマハーシ瞑想センターに行く。
ここで出会 -
Posted by ブクログ
気鋭の仏教関係者二氏による対談集。
瞑想をメインに書かれているので、日常的に瞑想されている方には新たな発見があるかもしれない。特に「瞑想中はいいんだけど、終わってからとか、仕事中にほとんど活かせていない」といった習熟者には向いていると思う。また瞑想したことのない方にとっては、最新のアプローチで書かれているため、最初の導線としてはベストに近いと思う。
また「日本人にあまり根付いていない輪廻転生の問題をどう考えるか」「高僧の師同士であっても見解が異なることがある」「仏教要素をのぞいたマインドフルネスの実態」など、かなりきわどい対談が繰り広げられており、読む者を飽きさせない、そして考えさせられる -
Posted by ブクログ
副題の通り、仏教徒になるつもりはないけれど、仏教や瞑想によって開かれる境地に興味があるという人を対象にした仏教および瞑想の入門書である。
「悟り」というのは唯一のものではない
各々の瞑想法には目的の違いがある
瞑想をすれば人格が良くなるとは限らない
自由というのは思いのままに振舞うことではない
悟ったからといって辛さがなくなるのではない
瞑想することによって失われる感覚もある
「信仰」によって合理的思考力は毀損されない
俗世に積極的に働きかけることも仏教の大切な側面である
…などなど、興味深く刺激的な内容が並んでいた。自分の中に漠然と存在していた仏教に対する偏見が次々と解消され、新たな知見 -
Posted by ブクログ
タイトルに「入門」とあるが、結構難しい本だった。特に魚川氏の発言は、長いうえに用語も要旨も分かりにくいため、さらっと読むのではなく、しっかり立ち止まって咀嚼する必要があった。
対談本ではあるが、魚川氏がリードする立場だったためか、氏の長々とした話を受けて、プラユキ師が自身の見解を端的に述べるということが多かった印象。プラユキ師の瞑想に対する考え方などをもっと知りたかった自分としては、そこが期待はずれだった。
要は瞑想には様々な種類と目的地があって、それらを理解したうえで自分に合う方法を実践して智慧と慈悲に至り、自他の抜苦与楽を実現していこう、ということだと思う。