原作者は、一つの作品を完成品に仕上げる共同作業のメンバーであり、個人の表現を世に問う小説家とは立場が異なる。
巨大な商業主義の中で生きる、ひとつの歯車――。その意味では組織の中で仕事をしている一般のサラリーマン、ビジネスマンと何ら変わらない。
世のあらゆる表現物は、読者、視聴者、観客、聴衆といった「受け手」の評価を受けた時、初めてその存在意義が生まれる。漫画の場合、生殺与奪の権はもっぱら読者が握っているのであって、漫画家や原作者はその厳しい洗礼を受ける立場だ。
特に、徹底したアンケート主義を採用する『少年ジャンプ』で育った俺には、「自分にとって素晴らしい作品」を生み出そうなどと考える余裕は一切かなった。そして、数え年八〇を迎える今もって、「素晴らしい作品を出そう」なんて思っていない。
考えていたことはただひとつ、「いかにヒットさせるか」だけである。
半世紀以上の間、そんな思いで原作者稼業を続けてきた。その過程で代表作といわれるいくつもの作品に恵まれたのは、本当に幸運なことだと思っている。
俺がこの世界に入った頃に比べると、作画の技術は著しく向上した。かつては素人に毛が生えたような画力でもデビューできたが、今は10代、20代の若者でもプロ顔負けの画を描く人がたくさんいる。さまざまなデジタルツールを活用できるようになり、一定の画力レベルまで到達するのも早くなった。
だが、画がうまい人は往々にしてストーリーづくりが苦手という傾向がある。そもそも若者が人生の深淵を描くことは難しい。人生経験が少ないのだから仕方ないことではあるが、「画がうまい=良い漫画」と錯覚してしまうと、そこから抜け出すのは意外に難しい。
プロ野球の世界でも、160キロの剛速球を投げるのになぜか打たれるという投手がときどきいる。もちろん速い球は武器にはなるが、打者もプロなのだから制球力がなければ打たれるのは当然だ。「打者を抑える」という本来の目的を忘れて、「速い球を投げる」に執着すると、投手としては成功しない。それと同じことである。
作画の技術が進化した時代だからこそ、魅力的なストーリーを生み出す力の重要性は高まっている。原作者の仕事が淘汰されない理由はそんなところにあるのだろう。
ストーリーを考えるうえで、俺が意識していたのは「自己犠牲」というキーワードだ。
人間にとって最も大切な価値は、自分の命である。その大切な命を何かのために捨てる時、キャラクターは輝き、読者の心を動かすシーンが生まれる。
現実の社会で「何かのために命を捧げる」という、〝殉死〟はまずあり得ない。特に俺はそんなことは絶対にしない自信がある。だからこそ俺は作品で「命よりも尊い価値」を探すことにこだわった。それぞれのキャラクターの「美学」を効果的に見せるため、俺は「死にざま」の描写に最も神経を集中させることにした。
俺は原作者としてヒット作に恵まれたほうだと思うが、それでも〝通算打率〟は10打数1安打、1割程度だ。つまり9割の作品は残念ながら商業的な意味で成功したとはいえなかった。ヒット作を出しても、それを延々と引き伸ばすことを好まず、今度は違ったジャンルを描いてみたいという俺の性格も、打率を下げる要因だったかもしれない。
だが、よほどの天才でもない限り、すべての作品をヒットさせることなど不可能だ。すべての作品が大ヒットしたという原作者を俺は知らない。裏返せば、失敗作が出ることを極度に恐れる必要はないということだ。もしダメだと分かったら、無理に粘ろうとせず、見切りをつけるのが大切だ。打ち切りの判断はつらいが、撤退する勇気を持たなければ、次のヒットには繋がらない。
80年代の『少年ジャンプ』に連載された名作は数多い。当時の連載作品は良くも悪くも個性があり、それぞれが独自の作風で競い合っていた。
ただその後、業界が成熟するにつれて編集者、漫画家の気質が変わっていったような印象を受ける。漫画の技術が上がり、ヒット作を生み出す努力も続けられる一方で、「外さない」「失敗しない」ための研究やマーケティングが進み、そうした情報が広く共有されるようになった。
その結果、何が起きたかといえば「作品の均質化」だ。
『少年ジャンプ』に限らず、今の主人公は似たようなキャラクターが非常に多い。可能な限り「外す」リスクを回避しようと思えば、人気作品にすべてを寄せていくことになり、結果としてどこかで見たような画やストーリーが蔓延することになる。それでヒットすれば良いのだが、寄せても売れなかった場合の残念感は半端じゃない。
また、完成度の高い作品で新人賞を獲得した漫画家が、その後はまったく話題作を生み出せないということがしばしば起きる。漫画家は誰でもひとつは「この一作」という勝負ネタを持っているものだが、渾身の作品を新人賞で消費してしまったために、そこから伸び悩む、燃え尽きるということが起きてくる。
繰り返すが、漫画は「売れてナンボ」の世界。ただ、周到な計算で売れる作品を生み出そうとして、必死に〝近道〟を探すアプローチは間違っていると思う。それは漫画の世界に限ったことではなく、おそらくどんな仕事にも同じことが当てはまるだろう。
『北斗の拳』の担当者である堀江氏は、時代とともに漫画のレベルが底上げされて「欠点」が見えにくくなったことで、編集者が効率を求めるようになったとも指摘している。「面白いネームができたら送ってよ」と言うばかりで、漫画家の才能や欠点を発見し、一緒に育てる、克服する作業が減っていったと看破したのだ。
悪の概念には幅がある。単に粗暴で残虐なキャラクターを登場させるだけでは、ストーリーは極めて表層的なものになってしまう。主人公と悪役が異なる価値観のせめぎあいと葛藤を見せなければならない――俺はそう考えた。
世の中には「必要悪」と呼ばれるものがある。賭博や売春が違法とされている日本に、なぜか公然と存在しているギャンブルやソープランドなどがその一例だ。かつては暴力団も「必要悪」と見做されていた時代があった。好ましくはないが、社会秩序のために存在を許されているという、いわばグレーゾーンの産物だ。
多くの悪には社会に存在する理由や事情がそれぞれあって、「違法だからあってはならない」と簡単に否定しきれるものではない。そもそも『ドーベルマン刑事』自体がPTAなどから問題視され続けた「悪い漫画」だったから、俺は「悪」と名指しされた側の気持ちはよく分かる。
そして悪人だからといって「命を奪っていい」とはならない。だからこそ、作品の中とはいえ人間を殺す場面を描くからには、「死に値する悪とは何か」を、真剣に考えなくてはならなかった。
俺は何か原作者になるための勉強をしたわけではないし、全ては成り行きだったことが、これで分かっていただけたと思う。
ではなぜ、俺が漫画原作者となることができたのか。運の要素を省くとすれば、自分なりに考えるポイントが3つある。
ひとつは、想像力。これは幼少期の貧乏体験で養われた、俺の数少ない特技である。
<中略>
2つ目は、自分を捨てる力だ。
「俺はこうしたい」
「自分の考えを曲げたくはない」
「他人の言うことには従いたくない」
人間は誰だってそう思って生きているし、自分のやりたいことをやるのが理想の生き方である。だが、表現の世界で生きていくためには、作品の受け手である読者のニーズを無視することはできない。
俺がデビューした『少年ジャンプ』は編集主導型の雑誌で、漫画家や原作者の意向は、編集部の決定を前にすると全くの無力だった。どんなに「俺はこれがいい」と主張しても、読者に支持されないものはダメ。その考えが徹底されていたのである。
俺はそれを正しいと考えていた。自己主張するよりも、結果を出すことが大事であるという考えは、俺の人生観そのもの。名作とはヒットした作品のことで、内容の良し悪しではない。それがもっとフェアで健全な考え方だと思う。
この考えを貫いたことで、俺は作品作りの同志である編集者と「共闘」できた。売れるためなら自分を殺すことも厭わない――それが、結果として俺の仕事の幅を広げてくれることに繋がったと思っている。
3つ目は、他人を尊重することだ。(以下略)
連載開始と同時に人気が爆発した『北斗の拳』だが、現場は常に「自転車操業」だった。
スタート前から時間的余裕がなく、俺は先々のストーリーを考えていたわけでもないから、「次の1話に全力投球」という状態がずっと続いたのである。
「そんなスタイルで連載が成り立つのか」と思われる方も多いだろう。だが、少なくとも『少年ジャンプ』の場合、〝あまり先々まで考えない方がいい〟という合理的な理由もあった。
『少年ジャンプ』は徹底したマーケット主義を採用していた雑誌だった。たとえ漫画家や編集者が「こうしたい」と考えたとしても、ほとんどの場合、その希望をすべて貫き通すことはできない。
アンケートで反応がイマイチとなれば、容赦なく大胆なテコ入れが行われるし、打ち切り覚悟で作品のテーマ設定をガラリと変えることさえある。また、意外な展開の場面で人気に火が付けば、その後のストーリーをそちらに寄せていくことも珍しくない。
連載を続けながら、試行錯誤して最善の形を見つけていくのが『少年ジャンプ』のスタイルで、そうした方針のもとでは「先のことをあれこれ考えても仕方がない」という割り切り方はある意味正しかったのである。
鳥山明先生の名作『ドラゴンボール』にしても、『南総里見八犬伝』をモチーフに「7つの玉」を追い求める物語としてスタートしたが、バトルアクションに人気が推移したこともあって、当初のコンセプトは大きく変更されている。
2024年には『新世紀エヴァンゲリオン』シリーズで知られる庵野秀明監督に特別講義を快諾していただいた。
作品派のイメージが強かった庵野監督がどのような話をしてくれるのか興味を持って聞かせていただいたが、そのエンタメ論には俺も大きく頷くばかりだった。
「支持される作品をつくる」――というカスタマーファーストの思想である。
「やるか、やらないか。その判断基準は単純明快で、観る人に受けるかどうかです」
彼はそういう趣旨の話をしていた。経営者でもある庵野監督は、クリエイターであると同時に、それを生業として成立させるための経営方針を的確に判断する。
多くが個人事業主である漫画家や作画者は、良くも悪くもカネに無頓着で、いわゆるオタク気質を持った人が多い。だが「売れるかどうか」を客観的に見定める編集者的な視点は漫画家にも原作者にも必要で、自分の表現したいことと「売れるかどうか」のギャップをどう埋めていくか。そこで能力が問われることになる。
庵野監督が脚本・総監督を務めた『シン・ゴジラ』は大ヒットしたが、成長前のゴジラを描くという発想は非常に斬新だった。才能の塊のような庵野監督が「すべては売れるかどうか」という考えを持っていたことに俺は少し驚いたし、そのプロ意識に感銘を覚えたものである。