世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない
「ほんとうのさいわいを探し求めるための旅」だったと感じています。言い換えれば、死ぬと人間の「魂」はどこに行くのかを考える旅、死というものの本当の意味を探るための旅であったのではないか。
ジョバンニは賢治の分身であり、川で亡くなったカムパネ
...続きを読むルラは、トシの死のメタファー(隠喩)である、と僕は解釈しています。
「善い行ないとは何か」ということが話の主題に。自分のことだけでなく、他人の幸せを思うことが「善い行ない」であり、それを実践すれば、たとえ命を失ったとしても、今よりもっとよい場所に行けることが暗示されています。
僕はもうあのさそりのようにほんとうにみんなの幸のためならば僕のからだなんか百ぺん灼いてもかまわない
自分がつらくて悲しいときにこそ、相手を思いやることが大切。それが悲しみを乗り越えることにつながっていく
「私はなぜこの世に生まれたのか。いったい何のために生まれたのか」という問題
すべて「私はあなたであり、あなたは私である」。私はあなたであり、あなたは私であり、すべての人はつながっている」。
賢治にとって、自然は「ライフブラッド」(生きるためには、なくてはならないもの)
賢治は、自分(人間)という存在は、自然界を形づくっている分子のひとつ
森羅万象のつながりを表現するものとして、仏教では「インドラの網」
人間はもともと先天的に「誰かを助けたい、救いたい」
私たちが今、賢治のメッセージから本当に学ぶべきことは、「自然と人間とのつながり」だと思います。
人間のために自然を守ろう」と言っているのではないということです。「人間も動物も、虫も山も、川も岩も、すべてのものが並列関係にある」というのが彼の考え方です。
宮沢賢治は二十一世紀の作家だといつも言っています。「十九世紀に生まれた、二十一世紀の人だった」
銀河鉄道の夜
宮沢賢治の作品の底辺にあるもの?
それは贖罪意識。そして罪を過剰に意識して、なにがなんでも身をすててでもやらねばとおもう実践の人。
実家が質屋だったことに由来する。
彼だけが贖罪するのではなく、みんなを救いたいと考えた。その表現方法が作品。
「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はありえない」(農民芸術概論綱要)
思い込みのはげしいおせっかいなやつだな、、、と思われていたかもしれない。
銀河鉄道の夜は最愛の人をうしなった人のお話。
トシの死後にかかれた。その死が題材だろう(永訣の朝よ同様)
最愛の人を失うという最大の不幸に対してどうすればいいのか?どうすればのりこえれるのか?のヒントがある。
死は人生の終焉ではなく輪廻の一段階にすぎない。
常に自分だけではなくみんなの幸を願っていれば、死んでも輪廻でまたうまれかわり今よりよいところにいける。
悲しいときこそみんなの幸せをおもいやることが善でありそれは悲しみを乗り越える力になる。
タイタニックの青年。さそり座のエピソード。
トシがなくなったあと1年、サハリンに旅にでる。そして気持ちの整理をつけて永訣の朝をかいた。その度のなかで自分自身の気持ちに整理をつけた。
ジョバンニは賢治の分身でカンパネルラはトシの死のメタファー。
トシはカンパネルラのメタファーなので、人を救うために自らの命を投げ出して死んだ。
その魂をジョバンニ(賢治)はうけとったところで目がさめる。「僕はもうあのさそりのようにほんとうにみんなの幸のためならば僕のからだなんか百ぺん焼いても構わない」
喪失の悲しみをどうのりこえるのか?ジョバンニの父親のシーン。一番かなしいはずなのに、「もういいです、あきらめましょう」とかたり、ジョバンニに、お父さんがかえってくるよと言葉をかける。ほんとに辛いときこそ相手をおもいやること。
キリスト教、イスラム教、ユダヤ教の最大の問いはなにか?「わたしはなぜこの世にうまれたのか?いったいなんのためにいきているのか?」
賢治はそういうことは考えない人ではないか?科学的な人だから。むしろ「なぜ私は私であり私はあなたではないのか?」。そして考えた最後の結論は、私はあなたでありあなたは私である。
他の人のことを他人事として考えるのではなく自分のこととして考えるという気持ちが大事。
わたしとあなたは別の存在ではなくつながっているという感覚。
そしてそれは人間だけではなく、すべての生命にたいしてかんじていた。山、川、風、空、土、動物、昆虫。人間も自然の一部である。自然を汚すとは人間をよごすことだ。
ディズニは動物や木を擬人化して愛すべきキャラにするけど、考えてることの中身は人間と同じに描かれる。人間は一段、高いところにいる存在。
宮沢は人間も動物も虫も同じれべるとして描く。
人間は因果交流電燈の青い照明です(ひかりはたもち、その電灯はうしなわれ)=肉体(電灯)がしんでも光はのこる
人間にとって善いおこないとはなにか?輪廻の世界でもっとよい場所にうまれかわるためには何をすべきなのか?が描かれてる。
インドラの網。森羅万象のつながりを表現する仏教用語。
インドラとは帝釈天。帝釈天の宮殿にかかってる網をインドラの網という。網の結び目に宝珠がある。その宝珠はほかの宝珠をうつしだし無限につづく。ひとつの宝珠がこわれるとすべてがこわれる。いかなるものも自分だけで存在せず他との関わりのなかで存在している。人、風、山、生き物・・すべてがインドラの網にくみこまれた宝珠。
人間は先天的に誰かを助けたい、すくいたいとおもって生まれてくる。
人間のために自然を守る、という思想から、人間も動物も樹木も同じ生命である。並列関係。岩もかわも。」という考えにかわるべき。すべての事象はめぐりめぐる。こわすものはいつかこわされると考えていきていく。
19世紀にうまれた21世紀の作家。宮沢賢治という星は消滅したけど光が120年たってやっととどいてきた。
イーハトーヴの思想。
動物にも幸せになる権利があるとかんがえていた。ブランドン農学校の豚。なめとこ山の熊(人と熊の苦しみ)
人は動物をあやめてはいけないというわけじゃない。(なめとこ山の熊)。接し方が大事だ。動物や植物と同じ生き物が人間。生き物を大切に扱わないと人そのものがあやうくなる。
アメニモマケズ・・・口先だけでなく悲しい人のところに足を運ぶ。実践の人。個人の苦しみに向き合う。
責任を果たすべき人たちが、表向きは社会のなかで犠牲になってる人々の救済について堅苦しい言葉で説明してもっともらしいことをいうが、彼らの窮状を改善しようという意志はあまりかんじとれない。足を運ぶこと。実践すること。
誰だってほんとうにいいことをしたら、いちばん幸せなんだね(銀河鉄道の夜)
賢治のようにストイックにやる必要はないけど、湯浅さんの1mmでも動かすのように自分のできることを小さくてもやること。
ほんとうのさいわいは、一生懸命、人に幸せにすること。自分を犠牲にしてでも一生懸命やる。そのプロセスが自分を幸せにする。
自分の内側に銀河を意識していいきていく。(すべてと一体化する)
STRONG IN THE RAIN (あめにもまけずの英語版、出版されてる)
人がいきていくにはその人なりの羅針盤が必要だ。
実践の前に、よくみききしわかり、をやること。そうしないと何をしていいかわからなくなる。
誰かを幸せにするとき何をすればいいか?お金をあげればいいか?無限に欲しがる。ザネリのケースでは、カンパネラは自らを犠牲にした。ザネリは衝撃を受け誰かを助けるだろう。おれはあんなに意地悪だったのに自らを犠牲にしてたすけてくれた、誰かを今度はたすけように。
続・銀河鉄道の旅があるとしたらその主人公はザネリになる。
賢治はものの名前にすごくこだわる。ものの名前をしることはその対象を自分の意識にとりこむことになる。動植物だけでなく石とかにも名前をこだわる。
「ぼくはきっとできるとおもうふ。なぜならぼくらがそれをいまかんがへているのだから」(ポラーの広場)