岡田憲治のレビュー一覧
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サッカー選手のパフォーマンスと言葉の関係を結びつけて論じたあたり、わかりやすくて面白かったな。なるほど、と思う。言葉にするって、実生活をふりかえってもたいへんなことで、ナチュラルなままでそんなに豊富な言葉がでるわけじゃないんだよね。訓練とか知識が必要、というかね。それをただ単にインテリの繰り言とするのではなく、言葉があってこその現実生活、スポーツのパフォーマンス、芸術の達成なのだ、というつながりが、トントントン、と入ってきて面白かった。
全体的にやや冗長、というか著者の人がノリノリで書いたんだろうなぁというあたりもみられたけど、それはご愛敬だろうね。もっと読まれていい本だと思うけど、そのあたりの削り方かなぁ、なんて、偉そうだね。
いろいろ参考になった。また読み返したいね。 -
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中高生にとって必読の書であるのはもちろん、私たち大人も読んでおくべき1冊。
以下、印象に残ったフレーズを。
「この世に『最低の学校』というのがあるとすれば、それは教員全員が同じ教育理念を信じ、同じ教育方法で、同じ教育目標のために授業をしている学校だと思います(独裁者が支配している国の学校はたぶんそういうものになるでしょう)。でも、そういう学校からは『よきもの』は何も生まれません。これは断言できます。」(p10:内田樹)
「疑うというのは『排除する』とか『無視する』ということとは違います。『頭から信じる』でもなく、『頭から信じない』でもなく、信憑性をとりあえず『かっこに入れて』、ひとつひとつの言葉を吟味するということです。そうすればおそらくみなさんは『なんとなく、身にしみ入る言葉』と『なんとなく、違和感がする言葉』を識別できるはずです。それくらいの判断力は生物である限りは備わっています。」(p14:内田樹)
「『わかった』というのはあまりいいことじゃないんです。人間同士では、『わかると、コミュニケーションが終わる』ということになっている。」(p38:内田樹)
「物理を専門にしておられて、科学についてすばらしい本を何冊も書いておられる山本義隆さんは、何のために勉強するのですかと尋ねられて『自分の頭で考え、自分の言葉で自分の意見を言う。ただそのためだけに勉強するのです』と答えられました。これは、勉強だけでなく、科学という言葉にも、ぴったりとあてはまります。」(P184:仲野徹) -
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中学生、あるいは高校生ぐらいの読者を対象にしているシリーズの一冊。ほかの出版社の、ぼくは気に入っている「よりみちパンセ」のシリーズより少し年上の読者が想定読者か?
内容は、あれこれあるのだけれど、高橋源一郎の、アメリカの大統領だった、オバマの広島訪問演説に対する解説(?)が俊逸、さすが「ゲンちゃん」という内容で、記憶に残った。
内田樹の編集方針も悪くない。学校の先生方も通勤電車で、一つずつお読みになればいいのではないでしょうか。ここで、さまざまに指摘されている社会の変化の中で、教育が、それはあかんやろ、という方向を支えていることに、ギョッとなさるかもしれない。 -
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確かに最近、言葉が粗末にされているように感じる。
それには学校教育のまずさも原因のようである。
そして、著者も言う通り、最近の日本語の歌の歌詞の酷さ。
それは私も以前から思っていたことである。
最近の歌の「そのまま」を歌った情緒ゼロの歌詞の多いこと。
薄っぺらくて仕方がない。
それが分かる人には、言葉の重要性が分かるのだろうけれど、あのような歌詞で育った若者達は、なかなかそれには気付かないだろう。
やはり小さいころから豊かな言葉に囲まれた環境が大切なのだと思う。
言葉が気持ちを作り、
バカなしゃべりを続けるとバカになる
ということを肝に銘じて、言葉と向き合っていきたいと思う。
あまり集中して読めなかったので、本書は再読したいと思う。 -
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高校生が文章を読むに当たり、基本的な考え方をあたえてくれる、良本。
平川克美「人口減少社会について根源的に考えてみる」ではグラフの見方とともに、当たり前のようにように言われている言説について批判的な見方を示唆する。
仲野徹「科学者の考え方-生命科学からの私見」ではパラダイムシフト、疑う、シンプルに考えるなど科学を発展させている考えが書かれている。
白井聡「消費社会とは何か-『お買い物』の論理を超えて」ではボードリヤールの考えを援用し、いわゆる「消費」的な感覚が政治や教育にも適用させようとする現在の社会のゆがみと弊害を述べる。
山崎雅弘「『国を愛する』ってなんだろう」では、政治的無関心が生む危険と愛国の意味の多義性について分かりやすく述べている。 -
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【読書メモ】
p185
・何のために勉強するのですか?
自分の頭で考え、自分の言葉で自分の意見を言う。ただそのためだけに勉強するのです。山本義隆
p190
・同じことを、違った側面から考える視点を与えてもらうためにディスカッションをするのです。当たり前のことですが、自分は自分の考えに染まりきっています。そこへ、違う刺激を与えてもらって、自分の考えを方向転換させたり、バージョンアップさせたりすることが重要なのです。
p103
・科学がグローバルである最大の理由は、真実をあつかうからということです。
…科学的な視点は予測できない社会を生きるうえでの全員にとってマストなものの見方なのかもしれない。情緒的に考えたとしても、それを相手に理解できる自分の言葉で伝えて、ブラッシュアップしていかなきゃいけない。誰かが先に答えを用意してくれている時代でないのであれば、自分の考え、意思を言語化して、まず自分を納得させることができなければ、何も頼りにするものがなくなってしまうから。自分を納得させるために、何故自分がそう考え、思ったのか、その前に何が頭に浮かんだのかを自分自身に伝えなければならない。
科学的なものの見方とは、パラダイムが人間の思考をいかに制限・固定・維持しているかを理解したうえで①まず疑う、②データに基づいて具体的に説明する③合理的に考える④いっしょに考えてグロ−バルに展開してくという流れ。
・消費社会について
…資本主義がすすみ、消費社会が到来した。最初は「必要だから」何かを求めていたものが、今では「これを持っていると周りから羨望の眼差しを向けられるから」といった“意味”に価値が置かれている。だって、物が溢れる時代に、物をほしがり続けてもらわないと資本主義は回らないのだから。
しかし、そうした消費社会の高度化が人間精神の在り方に異常を来していると筆者は述べる。「お買い物」の論理を、その論理が当てはまらないもにまで当てはめようとしているからだ。
選挙の投票や教育はその良い例。
投票は、投票したい候補者がいないし行っても無駄、という合理的な考えで処理されることがあるが、その危険性はでかい。あなたがほしがるものをお膳立てしてくれるわけではない。あなたが何もしなかった行為そのものが、結局はあなたとあなた以外の人にふりかかることになる。だから、「もっともマシ」だと思う人に投票することが求められる。
また、教育はお金を払えばすぐに分かりやすい商品価値が返されるものではない。つまり、商品として捉えるならば出来損ない。さらに教育が商品とみなされたが、教育は不可能になる。学ぶ主体が「消費者である」と自己認識している限り、最低限の支出で最大限の有用性を得ようとしている限り、教育は死ぬ。お客様→学ぶ主体
・「愛国心」について
…そもそも「国」をどう捉えるかは3種類ある
①外国的に「独立国」として承認されている国家の領土
②その領土内に住む国民を特定の政府が統治する国家体制
③政府に統治される側の、一人一人の国民の命と生活環境
時代的背景によって、上記の優先順位は前後する。
第二次世界大戦で、ドイツ軍に攻め入れられたフランスは、わずか6週間で降伏を宣言した。③市民の命を最優先にし、①領土の半分を失い、③ドイツ寄りの中立の立場をとることになった。
一方、太平洋戦争中の日本は、軍人や市民の命が犠牲になったとして、早く負けを認めて戦争をお渡せようという空気は起きなかった。なぜなら②天皇とその天皇が統治する国家体制が何よりの崇高なものであったわけで、③はそれを支えるために存在していると解釈されていたから。
日本で「愛国心」というと、この戦時中のイメージが先行されてしまうきらいがある。なぜなら、平和な時代の③を優先する愛国心(いわゆる新バージョンの愛国心)の概念ができあがっていないから。
反戦運動をする人に対して「裏切り者」や「売国奴」などど軽々しく言うひとにとっての愛国心は、②と③を最優先にさせたもので、指導者が決めた物事について疑いをかけずに従順に突き進んでくれる都合の良い存在。いわゆる「馬鹿」なのだけれど、そんな存在を刺激するには近隣諸国に敵をつくって、危機を煽れば良い。そういったかれらにとっての愛国心は、本当は国を破滅に導くとも知らずに、彼らはついてくるから。
「もしかしたら、自分の国の指導者は間違った判断をするかもしれない」と考える市民、そして命を最優先に考える市民にとっての「愛国心」は上の人たちとは違うことを理解しておく必要がある。
自国の黒歴史、つまり、戦争のために命を落とした人たちの死が無駄であったか、そうでなかったかは軽々しく結論付けられないが、それを決めるのは現在と将来の私達の行動にかかっている。
P281
ブレーズ・パスカル「われわれは絶望が見えないようにするために、何か目をさえぎるものを前方においた後、安心して絶望のほうへ走っている」(パンセ) -
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若者同士の会話で登場する「マジで」「ヤバイ」「っていうか」から、インタビューの際によく耳にする「いかがでしたか?」「どんな気持ちですか?」「一言お願いします」といったような画一的な言い回しや言葉のパターン化。こうした現代社会の言語状況に警鐘を鳴らした現代言語論。
中身の無いなぁなぁな意見でその場を片づけてしまったり、お決まりのフレーズで質問をしお決まりの回答を得て仕事をした気になったり・・・大学生、OL、政治家などたくさんの具体的な例が挙がっているため読めば読むほど耳が痛くなります。そして自分の言葉足らずを思い切り自覚した後は、言葉を幅広く活用することのメリットが綴られています。
”現代言語論”と紹介しつつも、本文は終始口語的に書かれているため堅苦しさはなく、まるで岡田氏のぼやきを聞いているかのようにスルスルと内容が頭に入っていきました。
言わなければ伝わらない。具体的な質問は有益な回答を生む。
読んだ後は、誰かととことん会話をしたくなります。 -
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自分自身も含めて、最近、みんな語彙や言葉数が足りない。
足りないというか、物事や気持ちを、微細に伝える必要を感じなくなっているのかもしれないと思こともある。
私自身も、説明したとこでどーってことないから、まあ、だいたいの言葉で濁しとけってことが多々あったりして、反省。
でもさ、仕事のこととか、親に細かく話したところで、なんの役にも立たないし、むしろ嫌なこと思い出して腹立つし。(これがダメか?)
非常に共感したのは、スポーツ選手に対する質問のレベルの低さ。
そして、優秀な選手たちの言葉での表現の豊かさ。
そういえは、撫子ジャパンの澤選手が、なにかのインタビューで、
「私たちは、サッカーについて話したいのに、聞かれるのは女の子としての質問ばかり(で、うんざり)」と言っていた。
もちろん、世界レベルの選手達の、いち女性としての側面も知りたいとは思うが、試合終了直後に投げかけるような質問ではない。
要は、レポーター達が、まともな質問を出来るほどにはサッカーについて知らないと言うことだ。
また、言葉や表現の種類を多く知ることにより、感情が豊かになるとも書かれている。これには私も全く同感で、だから、子どもの頃から、良質な表現をたくさん使った絵本や図書に触れることが大切だと信じている。
大人になった今も、おお!と思うような表現に出会うと嬉しくなってしまう。
その他、いろいろな角度から、言葉をたくさん使って説明することの効用を述べてくれている。
なにも、難しい言葉で小難しく話すことを進めているのではない。著者は、昔ながらの商店街の八百屋のおばちゃんの伝える力を絶賛している。
興味深い一冊に出会えて嬉しい。
興味のある方は、ぜひ読んでください。 -
Posted by ブクログ
極端に語彙が少ない、または極端に言葉数を惜しんで使う若者の例を引かれると気色が悪いけれど、そんな話し方をする人が実在するなら事例としては仕方がないですね。
大学では言葉を覚えてなんぼ、それも社会で使える言葉をだ、という著者の主張はよくわかります。何も「前向きに検討します」式の大人語をおぼえろというわけじゃない。大卒者は自分の考えていることをことを『適宜』『人に伝わるように』言葉化できるようになれというのです。
そんなことは大学出なくたってできるだろうという人には、確か大多数の大学は必要です。でもそれを教えてくれる大学を必要とする若者が、この国にはたくさんいます。そして、大学が確かにその仕事をできるなら、日本も悪いことにはなるまいと思いました。