松本佐保のレビュー一覧

  • 熱狂する「神の国」アメリカ 大統領とキリスト教

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     アメリカにおける宗教と政治の結びつきについて解説したもの。アメリカにおけるプロテスタント、カトリックの歴史を紐解きながら、具体的などのような政策、政治家が支持されていったかということが示されており、2016年の大統領選の状況についても、ごく簡単な記述がある。
     アメリカ宗教史とでも言うもので、概観するレベルを超えて、結構子細な点に渡っている印象を受けた。基礎的な世界史、アメリカ史、アメリカの政治についての知識がないと難しいと感じる。ただ、アメリカの歴史を宗教の点からとらえ直し、新たな視点が得られるという面白さがあった。
     例えば「禁酒法とカトリックの関係」(p.58)では、「アイルランド人のステレオタイプなイメージから生まれた偏見」(同)に基づいて、反カトリックの政治団体やプロテスタントがアイルランド系への嫌がらせをした、と解釈できるというのは新しかった。そういうカトリックが、「反共」の立場で「共産主義的な傾向に陥りやすい労働階級などの低所得者を、反共産主義的な社会運動に導く」(p.64)として、地位を向上させたという事実は興味深い。さらにルーズベルト大統領のニューディール政策によって労働者の地位が向上したことで、カトリックの地位も向上し、ケネディ大統領につながったという事実(p.67)も納得できる。また、妊娠中絶や同性婚が争点になる理由については、宗教的な視野を入れずして語ることができない。ベトナム反戦運動と相まって出てきた「性の解放」運動への反動として、「伝統的な結婚観や家庭観を取り戻したいと考えるプロテスタントの保守層から、カトリックが唱える妊娠中絶反対という考え方が支持を得るようになった」(p.90)というところで、カトリックとプロテスタント福音派が結びつき、政治的な問題になっていく、ということらしい。
     一方、プロテスタントの話では、まず「ピルグリム・ファーザーズ」よりも前に「十六世紀後半のエリザベス一世の時代、すでにヴァージニア州への入植は始まっていた」(p.105)というのも知らなかった。だから「先に入植していた英国国教会のいるヴァージニア州などを避けて、アメリカ北東部に多くが移住」(pp.105-6)したらしい。あと、汎アメリカ主義の起源ともなったジョン・ウィンスロップの「丘の上の町」という説教(p.111)は、確か他の本でも確認した気がする。
     ユダヤ・ロビーの外交への影響力についての話で、「キリスト教シオニスト」という章があるのも興味深い。パレスチナ問題とかイスラエルとか、何度か説明を読んでその時は分かっても、結局覚えていられないので、難しい話だった。次いでブッシュ、クリントン政権でのキリスト教勢力の動きについては、カトリック票がどういう動きを見せるかということが興味深い。「福音派もカトリックも六〇年代までは多数派が民主党を支持していた」(p.220)という事実が重要だと分かった。また、オバマの就任式に立ち会ったウォレンという福音派の牧師のように、「妊娠中絶や同性婚に反対する保守であるが、貧困問題や環境問題についてはリベラル」(p.222)という人たちもいて、単純に保守とリベラル、共和党支持と民主党支持に分けられないことも分かる。それにしても、福音派左派の「温暖化で洪水など天災が増加し、貧しい者がより貧しくなる」(p.224)ので貧困問題と環境問題は表裏一体、というロジックが面白いと思った。また、同性婚と中絶問題は同列に扱われる印象があるが、若干温度差があるということが分かった。中絶は殺人だから許せないが、同性婚は心情的には嫌だけれど反対する理由もないし、もう全米で合法化されてしまったし、という感じ(p.225)らしい。そして、トランプ支持の理由として、「白人のいわゆるWASP層の、特に男性が、少数派に転落する危機感からトランプを支持して」(p.227)いるという事実は納得だったが、さらに意外なのはヒスパニックにもトランプ支持が多くいるという事実(同)だった。「すでに米国に入国した移民層の間に、トランプが主張する『強いアメリカ』を支持する層がいるから」(pp.227-8)らしい。
     一読しただけでは複雑な状況を整理するのは難しく、いっそのこと図式化とかして解説して欲しいくらいだが、いかにアメリカで政治と宗教が繋がっているのかということを知ることができた。(16//08/16)

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    2016年08月24日
  • バチカン近現代史 ローマ教皇たちの「近代」との格闘

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    宗教改革以降のローマ教皇の地位は低下した、とは簡単にいえますが、ことはそんなに簡単に説明できるのでしょうか。ナポレオンのコンコルダートや戴冠式、ムッソリーニのラテラノ条約など、「教皇の権威を必要とした」事例は近代や現代も数多く見られます。戦後もヨハネ23世やヨハネ・パウロ2世の活躍はある程度年を重ねている人にとっては一度は耳にしたことのある名です。世界最大の教団であるカトリックを統括するローマ教皇の力は、本著の著者である松本佐保先生の言葉を借りると、「二十一世紀のグローバル社会は、決して世俗的なものだけでは説明できない。それは宗教紛争が頻発する国際情勢を見れば明らかであろう。これらを解決するためにも宗教の重みを再認識し、その解決について考える必要があるだろう。すでに何度も繰り返してきたように、武器によらないバチカン外交は見習うべき一つの姿であり、平和への途」(245頁)であり、決しておろそかにしてよいものではありません。
    では本著の内容に行きますが、本著はフランス革命以後つまり18世紀末からのローマ教皇を取り扱いますが、通時的に教皇は何かしらと対立をし、そしてその後ろ盾を模索する姿が読み取れます。19世紀中葉まではイタリア統一勢力と対立し、また近代化も受け入れられませんでした(そのため教皇領への鉄道敷設が遅れイタリアの経済的発展を阻害した。鉄道を「近代化の先兵」とするのは19世紀末の義和団と通じるところがあります)。19世紀半ばの教皇ピウス9世も当初は近代化・自由主義も受け入れ「覚醒教皇」などとも呼ばれましたが、マッツィーニによるローマ共和国建国などで「豹変」し、以後保守化していきました。イタリアはその後サルデーニャを中心に統一が進み、1870年教皇領も征服され教皇は「バチカンの囚人」と称してイタリアと断交、以後ムッソリーニとのラテラノ条約まで問題が続きます(イタリアにとっても国内に強力なネットワークをもった反国家勢力があるのと同じですので、軍事力を持たないからと安心は出来ません)。
    ピウス9世を次いだレオ13世は1891年に「レールム・ノヴァールム」(ラテン語で「新しきもの」)という回勅を出します。これは行き過ぎた工業化や資本主義の弊害について警告し、労働者の権利と尊厳を訴えたもので、労働問題について初めて出された回勅です。これは当時労働運動を弾圧していたイタリアのクリスピ内閣に対抗して出されたものですが、労働者への配慮を促し、労使協調を進めることでイタリア人の教皇への心を取り戻す効果がありました。
    しかし、この頃新たな「敵」が台頭してきます。共産主義です。イタリア国内で共産主義が強まると、教皇はイタリア人カトリックに反共産主義の政党に投票することを呼びかけるなど、イタリア政治に強い影響力を持ちます。この「反共産主義」という態度は、共産主義のもつ「唯物論」からくる無神論に強い危機感を覚えたからです。第一次世界大戦後教皇となったピウス11世は「共産党は伝染病」という持論をでムッソリーニに接近、1929年ラテラノ条約を結んで主権国家「バチカン市国」が成立します。
    第二次世界大戦から戦後にかけて長く教皇を務めたのがピウス12世です。彼は「反共産党」「反ソ連」という立場からヒトラーにも寛容でした(ソ連に対抗し得る勢力をドイツに見いだしていたため。ちなみに彼は極東のソ連に対抗し得る勢力として日本を挙げ、満州国も承認しています)。その態度は20世紀末でも『ヒトラーの教皇』という本が出版されるなど(ジョン・コーンウェル著 1999年)長く影を落とします。
    1958年、ピウス12世が死去すると、76歳の高齢でヨハネ23世が登場します。彼は教皇に就任すると、第二バチカン公会議を招集します。あの対抗宗教改革で名高い16世紀半ばのトリエント公会議以来約500年ぶりの開催です(実際は1869年に第一バチカン公会議が開かれたが、普仏戦争で中断したため、その続きとして開催)。会議の途中でヨハネ23世は亡くなり、代わりにパウロ6世(教皇として初めて飛行機に乗る!)が公会議をまとめます。結果、11世紀より続いてきたギリシア正教会との相互の破門が解かれ、和解します。またプロテスタントへの配慮もされ、さらにユダヤ教徒やイスラームとも「唯一の神において互いに結ばれている」と言明しました。さらに仏教やヒンドゥー教などの侵攻も尊重すべきとされました。これは先ほど述べたように、どのような形であれ「神」を信仰する立場の方よりも無神論の方を憎むべき対象としたからです。このように、第二バチカン公会議はカトリック(普遍)の現代化を印象づけています。本著の文を引用すると「ドグマティックと思われがちなバチカンでありカトリック教会だが、実は、真のカトリック、普遍的な教会であるためにはつねに刷新し続けなければならないことを、ヨハネ23世とその意志を継いだパウロ6世は心得ていた」(161頁)とは何というアイロニーなのか、もしくは刷新し続けることこそが普遍の理なのでしょうか。
    さて、バチカンにとって近現代最大の敵である共産主義ですが、ここで満を持して登場したのが共産主義国家ポーランド出身の教皇ヨハネ・パウロ2世です。1978年に就任したヨハネ・パウロ2世は、「旅する教皇」とあだ名された先々代のパウロ6世を越える教皇外交を展開し、「空飛ぶ教皇(聖座)」と呼ばれました。その訪問国は日本も含め129カ国116万キロと、共産主義国家以外ほぼすべて訪れています。彼はポーランドの連帯の精神的支柱として1989年の総選挙における「連帯」の勝利に貢献し、これを皮切りにドイツにおけるベルリンの壁崩壊、チェコスロヴァキアにおけるビロード革命、ルーマニアにおけるチャウシェスク政権崩壊など東欧革命を誘発させます。確かに東欧革命の主たる原因はソ連のゴルバチョフにおけるペレストロイカなどの民主化が上げられますが、そのゴルバチョフをして「東ヨーロッパの共産主義を突き崩すのに多大なる政治的貢献をした」と評させたことは重要なことです。
    現在のイスラーム国を見ても分かりますように、冷戦崩壊後、再び「宗教」が人びとを突き動かす原動力となりつつあります。それはある人には毒であり、ある人には薬となるでしょう。そのようなか、世界最大の宗派カトリックをすべるローマ教皇の動静は、今まで以上に重要になってきます。カトリック教徒が全人口の0.4%の日本ではありますが、世界を見たら日本の人口よりはるかに多くの信者を抱えています。だからこそ、最後に本著の一文を紹介して、日本人の今後の外交を考える上での教唆としたいと思います。
    「近年、軍事・戦略的なハードパワーに焦点を当てる国際関係の研究だけでなく、宗教や文化などのソフトパワーに注目する研究が盛んである。そうした意味でもバチカンの影響力にあらためて注目すべきであろう。」

    備忘録
    福音宣教省について「ラテン語の「プロパガンダ・フィーデ」と言い「プロパガンダ」の語源となったキリスト教の宣教の中枢部分を担い、宣教師連合と宣教援助事業などを統括している。

    1975年に行われた全欧安全保障協力会議(ヘルシンキ会議)は、バチカンが中心となって行った国際的な安全保障会議である。

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    2014年10月13日
  • バチカン近現代史 ローマ教皇たちの「近代」との格闘

    Posted by ブクログ

    ネタバレ

    意外と知らなかったバチカンの歴史。フランス革命(ピウスⅥ時代)のバチカンへの衝撃、イタリア統一と初代国王の葬儀の非カトリック化(異教信仰の神殿パルテノンでの実施)によるイタリアとの対立(ピウスⅨ時代)、反ソゆえにヒトラーなど3国同盟側への傾斜と中立(ピウスⅩⅠ、ⅩⅡ時代)、共産主義への脅威からギリシャ正教との和解を目指す第2バチカン公会議の開催、ユダヤ教との和解(パウロⅥ時代)、東欧民主化への影響(ポーランド人法王ヨハネパウロⅡ時代)、バチカンという国が今なお非常に政治的な影響力をもっている歴史でありがら、なおかつ宗教性が深く残っていることが驚きであるとともに、やはりという納得の気持ちとがないまぜに。

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    2013年11月06日
  • バチカン近現代史 ローマ教皇たちの「近代」との格闘

    Posted by ブクログ

    バチカンという視点から書かれた近現代史で、とても新鮮だった。1848年の革命以降から第二次大戦の間はもう少し詳細に知りたい。労作。

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    2013年08月27日