レイチェル・カーソンのレビュー一覧
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短いからか、日本人の感想の方が長いのだが、レイチェル・カーソン氏の書いた文のみ読んだ。
どうやら、センス・オブ・ワンダーは後発的にも生まれるらしい。私がそうだからだ。自然が大好きで、こんな日本の汚い中途半端な郊外に縛り付けられながらも、公園に行きまくり1回3,4時間はいる。夏はそれができないから死んでいる。ちなみに、私の中にセンス・オブ・ワンダーが誕生したきっかけは、人間とデジタル嫌いが加速したこともあると思う。
こんなしょぼい公園でも、自然に触れると時々「flash」が訪れる。モンゴメリの少女の1人、エミリーが感じる幸せの訪れのこと。ゾクゾクして幸せになれる。本当は、そこに一人たりとも人間にいてほしくない。
もっともっともっと自然を味わいたい。山の中に永住したい。スコットランドのハイランドに移住したい。この夢をいつも阻害するのは仕事だ。言い換えれば金だ。在宅ワークができるようにすればいいのだが、私にはハードルが高くて動けないでいる。
秋になったら、今年見つけた公園にもっと行こう。少し遠いけど、収入が低くなってもそこに滞在する価値の方がよっぽど高い。神社にも行きたい。この辺りでは見られない大きな木がありがちだからだ。本当は森だけでいいけど、そういう場所がない。寒くなったら海岸にも行こうか。汚いだろうけど。
日本人は古来から自然が好きだったなど、日本しか知らない奴が日本人らしい自己中を発揮して都合の良すぎる解釈をしている感想を読んだが、イギリス人の方が1億倍は自然を愛している。ヨーロッパでは地球環境を考えて一人一人が考えて行動している。ここでは語り尽くせない。仕組みから全く違う。ビーガンを自分の健康のためと勘違いしている日本人は多いだろう。
これが良い例で、自分のことだけ考えて地球破壊を楽しんでいる日本人はどうしようもない。自然を味わうのであれば、やはり海外しかない。羨ましくて嫉妬で死んでしまいそうな毎日を送っている。
なぜこんな自然がない世界になったのか。それは、便利さを追求しすぎたからだ。私は便利さをなげうってでも自然と共に生きたかった。
モンゴメリもよく森の香りについて書いているけど、私はまだそれを嗅いだことすらない。やっぱりトウヒやモミの木は香るんだ。嗅げた日にはそのままそこで土に還りたい。自然と一体になりたいとはずっと思っている。 -
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温暖化や森林伐採が問題となっている、今の地球だからこそ読んだ方がいい本だと思いました。
読む前は、「子どもたちの感性はすごい!その感性を大切にするために大人が制限することはやめよう!」ということなのかな?と思っていました。
しかし、読んでみて、大人にとってもセンス・オブ・ワンダーは大切で、地球の美しい自然が与える影響は、子どもたちのみならず全人類にとって大切だと感じました。
未来永劫美しい自然が残りますようにと願いたくなりました。何ができるだろう…?
読んでいてふと、花鳥風月という言葉が思い浮かびました。自然の美しさを愛でる心、という意味の熟語ですが、英語には対応する熟語等はないようで、日本は他の国よりも、古来から自然好きな文化なのかな?と思ったりもしました。 -
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植物を研究している1人として、自然界に対する新鮮な気持ちを思い出させてくれた。
生物の教科書を初めて開いた時の、生き生きとした免疫システムへの驚きや、ダーウィンの進化論を学び想像を超える地球の時の流れに直面した時の畏怖が蘇った。
知識を得るために論文を読み、AIに正解を教えてもらいながら日々を過ごしがちだったが、改めて自分が研究している目の前のことは人智を超えた神秘的なものであるということを考えさせられる。
AIの進化で情報へのアクセスが容易になり、知識の価値が激減した今だからこそ、センス・オブ・ワンダーの精神を忘れないことが重要になるだろう。 -
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やはり『センス・オブ・ワンダー』だけではレイチェル・カーソンがよく分からなくいので、有名なこちらも読んだ。
レイチェル・カーソンは『沈黙の春』執筆中に癌を発症しつつも完成し、そして最後の本として『センス・オブ・ワンダー』を書いた。
「自然と共に暮らす町があった。だがある年、鳥たちは病気にかかり、植物は実らず枯れていった。やがて羊や牛は死んでいった。そして人間の子供たちが死ぬようになった。今では鳥の声も子供の声もしない沈黙の春だった。」
『沈黙の春』といえばこの部分だけ聞いたことがあり、漠然と「自然破壊全般への警告」かと思っていたら、書き始めたのは殺虫剤のDDTの空中散布によりコマツグミが死んだというはっきりしたきっかけがあった。
DDTは(以下、検索した)1873年に合成され、1939年にスイスの科学者・技師ミュラーにより殺虫効果が発見された。ミュラーはこの功績により1948年にノーベル生理学・医学賞を受賞した。
DDTにはハエを殺してマラリアを激減したという功績もあり、日本では第二次世界大戦後にアメリカ軍が衛生状態の悪い日本人にDDTを散布して、シラミを退治してチフスを防いだ。…ああ、歴史の資料に出ている「子供たちが薬かけられてる写真」がDDTか!
当初は人間を含む動物には危険性がないということで世界的に散布、空中散布など大体的に使われていった。
しかしレイチェル・カーソンは「DDTを散布したあとに鳥がいなくなった」という手紙から、化学物質としての危険性について調査し発表したのが『沈黙の春』。(出版は1962年)
レイチェル・カーソンは作家であり海洋生物学者だ。本書は、冒頭の「沈黙の春だった」のような小説の書き方と、遺伝子や化学物質を調査したドキュメンタリーの両面がある。
今生きている生命は、何億年もかけて環境に適合して均衡を保つようになった。殺虫能力が強すぎる農薬は、ハエやダニのような人間にとっての害虫だけでなく、それらを食べる昆虫や鳥も死に、そして農薬の毒を持った虫や鳥を食べたもっと大きな動物、そして人間にも害を及ぼす。人が接種した毒は、あっというまに発症して手遅れになることもあれば、何十年も体に溜まってしまう事がある。
レイチェル・カーソンが推奨するのは、今であればいろいろなところで言われていることではあるし、現代ではそのやり方の危険性が指摘されているものもある。しかし「当たり前」であるからこそ日常の根本として考えなければなとも思う。
・過剰は良くない。人間は気に入らない物(虫)を「皆殺し」にしようと考えるが、殺虫剤も強すぎると最終的には人間も殺す。
・多くの田畑のための過剰な殺虫在散布は、過剰供給をもたらせてしまうこともある。
・薬は毒にもなる。
・虫は、殺虫剤の毒素に慣れていく。殺虫剤を強く撒いた箇所だけ虫が増えるということもあった。毒をどんどん強くしていって、対象の虫は強くなり周りの生物に被害が及ぶ悪循環。
・自然は繋がっているので、自分の庭に殺虫剤を撒いたつもりでも、近所の人に被害が及ぶことがある。さらに、薬の毒物が川に流れると海に達して大きな被害を及ぼす。
・殺虫剤大量散布に頼らなくても、自然が長い間をかけて作ってきたバランスを活かす方法がある。雑草と入っても、生やし方によりちょうどいい日向日陰をつくることができる。⇒今で言えば「田んぼに鴨を飼って虫を食べてもらう」「雑草の除草のためにヤギを飼う」「木そのものを切り倒さなくても、日当たりが良いように下枝などだけを斬っていく」のような感じ…ですよね。
・農作物を枯らす虫にも天敵がいる。それら自然のバランスをうまく利用する。⇒カーソンは「そんな動物をいれる」とも言っているけれど、外来生物を入れたことの危険性は現在数々指摘されて…。
確かにまったく殺虫しないと病気が蔓延だとか農作物が育たないという論vs自然保護論は、私も両方一理あるんだよなあ…と悩んでしまうことはある。それについてはレイチェル・カーソンは「真実を報告する人の信頼度が決め手」としている。そうだよなあ、「誰が言うか」であって、自分が誰を信用するかは、多くの情報に触れることだよなあ。
たしかに自然問題は、私達が日常の身近なところでも、世界規模の大きな意味でも、よく目にするし今の時代では少しでも考えないことはできない。
あためて自然破壊警告のもとになった本を読んで、自分でもエアコンの温度調整くらいの日常的なレベルでも重ねていこうと思います。(…我ながら幼稚な感想…(^_^;)) -
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初めてレイチェル・カーソンを読む。
名前を知ったのは高校の授業の副教材的なもので『沈黙の春』をちょっと取り上げられたこと。
レイチェル・カーソンは『沈黙の春』執筆中に癌を発症しつつも完成し、そして最後の本として『センス・オブ・ワンダー』を書いた。死後友人たちが原稿をまとめて、写真家たちの写真を入れて出版した。
読んでの感想は、若干美しさが先立ったと感じたのだけれど、レイチェル・カーソンの遺言のようなものだと思えば世界がより輝いていたのかなあ。
本書では、当時住んでいたメイン州の別荘に夏に遊びに来ていた姪の息子ロジャー(姪が亡くなったあとは養子として引き取る)とともに、海辺や森を散策した時の過ごし方や感じ方を書いている。
センス・オブ・ワンダーは「神秘さや不思議さに目を見張る感性」と訳されていて、エッセイはその神秘さや不思議さを感じた気持ちを書き取っている。
例えばエッセイの冒頭では「嵐の夜の海辺に立ったときに、心の底から湧き上がるあがる喜びを感じた」というようなこと。広大な自然と今ここにいる自分とのつながりとか、自分は自然の中の一部だと感じたとかそんな感じでしょうか。
レイチェル・カーソンは幼いロジャーと海辺、夜の森、雨上がりの森を歩く。子供はすべてが新鮮で驚きに満ちている。子供の経験は大人になっても残る。そして世界への驚異を忘れてしまった大人も、子どもと一緒にまた触れれいい。「感じる」ための機能は視覚が大きいけれど、嗅覚など他の感覚も心に残り、後で思い出すきっかけになる。名前を覚えることは重要ではない。語り口が優しく穏やかで瞬間瞬間の情景が浮かぶようです。
そのため…、本書に収録されている自然を写した写真は…私としては無くてもいい…レイチェル・カーソンの文章を読むだけでいいし、カーソンも「感じるのは視覚だけではない」って書いてあるし…。
そして私としては、日常に目に入る自然の中にも驚きや美しさを改めて感じることはあっても、子供の頃に触れたけどもう触れない虫をまた触れるようになったり、子供の頃は平気で入っていた汚いトイレ(ですらないような場所)を使用できるようになるかというと、なかなかハードルが高い気がする(^_^;)
エッセイは80ページ程度で、後半は翻訳者のあとがき、福岡伸一、若松英輔、大隅典子、角野栄子による「私のセンス・オブ・ワンダー」エッセイになっている。
私は『センス・オブ・ワンダー』だけ読んだのだが、それだと「はい、たしかにそのとおりですよね」としか感想を持てず…やっぱり『沈黙の春』も読もうかな…。 -
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ネタバレ冬至を過ぎて。
痛み差し込む空気の鋭さは、アウターいらずの春の陽気と交互に訪れ、つるべ落としだった夜の幕開けはゆるりと始まるようになる。
仕事場横の川にはサギや川鵜、カモだけではなく、カモメが訪れ季節を告げている。
何種もの鳥の鳴き声、川のせせらぎ、川沿いを走る風の音、耳を澄ませば多様な音楽が耳を楽しませてくれている。
センス・オブ・ワンダー《驚きと不思議に開かれた感受性》。
美しさの感覚、新しくて未知なものに出会ったときの興奮、共感や哀れみ、称賛や愛情ーこうしたさまざまな感情から、心を動かされたその対象をもっと知りたいと思うようになる。
『知りたい』と思うように導くことの大切さ。
自然を探索することは、身の回りにあるすべてをもっと感じ始めるということ。自分の芽と耳、鼻と指先の使いかたを学びなおしながら、使わなくなっていた感覚の経路を、ふたたび開いていく。
変化し続ける偉大なる自然がもたらす、五感に問いかける美しさや驚異。
日本には四季があり、温度変化があり、生き物の移り変わりがある。
それらを表す日本語の美しき言葉たちの数々。
空色、雲の移り変わり。
雨の形状、匂い。音。ぬくもり。
波の大きさ、形。etc.
レイチェル・カーソンが言うセンス・オブ・ワンダーを体験してみませんか。
●幼年期は、この土壌を豊かにしていくときです。美しさの感覚、新しくて未知なものに出会ったときの興奮、共感や哀れみ、称賛や愛情ーこうしたさまざまな感情がひとたび呼び覚まされた後になってようやく、私たちは心動かされたその対象を、もっと知りたいと思うようになるのです。
●消化の準備すらできていない事実を、次々と与えようとしなくてもいいのです。まずは子どもみずから「知りたい」と思うように、導いてあげることが大切です。
●子どもと一緒に自然を探索することは、身の回りにあるすべてをもっと感じ始めること。自分の芽と耳、鼻と指先の使いかたを学びなおしながら、使わなくなっていた感覚の経路を、ふたたび開いていく。
●日々のなかにどんな悩みや心配があろうと、その思考は、内なる充足と、生きることの新鮮な感動に至る道を、やがて見つけることができるはずです。
●自然がもたらすワンダーに開かれた感受性ーこれをカーソンは、「センス・オブ・ワンダー」と呼んだ。そして、この感受性を子どもが失わないためには、「生きる喜びと興奮、不思議を一緒に再発見していってくれる、少なくとも一人の大人の助けが必要」だと綴った。
●人が生きるという営みが、いかに人間ではないものたちに支えられているかを、子どもたちに学び続ける日々であった。
●変化にあらがうのではなく、変化とともに生きていくこと。季節に応じて、大胆にその姿や生き方を変えていく植物や虫たちは、その生きる姿を通して、見事に体現している。
●いまの僕たちにできることがあるとするなら、それは人間の力を否定し、排除しようとするだけではなく、人間の力をも一つの力として受け入れ、これを生かしていく道を探していくことだと思う。 -
Posted by ブクログ
p59 大人の問題は、大切なことであればあるほど、それを先送りしてしまうことである。大切なものはどこか遠くにある。人生の重要な瞬間は、いつか将来やってくる。どこかでそう思い込んでいるのである。子どもたちはそんな「先送り」や「先延ばし」とは無縁だ。彼らはこの瞬間に、すべてをつかもうとしている。大事なことがあるなら、いまそれを見せてくれと、いつも全身で訴えかけてくる。
今の子どもたちは、皆が皆そうではないと思う。小さい大人のような、予定や目標を頭に置いて、それに向かって努力するみたいな考え方をする「賢い」子どもは増えている。近年は熊などの被害も増え、ますます自然に触れる機会は失われていく。
時間を忘れて「センス・オブ・ワンダー」を子どもが、大人が、取り戻せる時代は来るのだろうか。
せめて家の庭だけでもと、今年始めた畑のニンジンに、この夏キアゲハが集まり、幼虫がたくさん生まれた。果樹なども植えてみたい。