小林英夫のレビュー一覧
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満鉄調査部
著:小林 英夫
講談社学術文庫 2290
アメリカにはそうそうたるシンクタンクがあるのに、なぜ日本には著名なシンクタンクがないのだろうとの疑問から、手に取ったのが、本書である。
国策を補佐し、国運を左右する人材を提供するのが、シンクタンクだとおもっていたが、まさに、
満鉄調査部は、日本初のシンクタンクであった
日露戦争が終結し、南満州の殖産興業を要とする、南満州鉄道が敷設されていく。
その第1代総裁に選出されたのが、後藤新平であった。
後藤新平は、台湾総督府にあって、台湾人との融和を図り、また、満州の植民地経営の要として、満鉄を率いて、さらに、関東大震災にあたっては、その復興のために、東京府の都市計画を立案し、その恩恵は今日にも及ぶ。
欧米列強、さらに中ソに対抗すべく、その前線に立ったのが、満鉄なのである。
満鉄調査部については、その誕生から、敗戦による終焉まで、大きく3つ期間に分けることができるとおもう
1906~1932 満鉄誕生から、満州事変まで
1932~1937 盧溝橋事件、日中戦争まで
1937~1945 敗戦まで
気になったのは、以下である。
1907 満鉄調査部発足 後藤新平は、満鉄のような大企業が、調査部を要するのは当然であるとした
・直後の任務は①経済調査、②旧慣調査、③ロシア調査の三班、全員は100名程度
・満蒙の一般産業調査が当初の目的であったが、調査地域がシベリア、ロシアに及び調査対象も広がっていく
1917 後藤新平が去った後、一部縮小されていた、満鉄調査部は、ロシア革命の結果生まれたソ連の情報収集の
必要にせまれていく。シベリア出兵の影響、北満研究が調査部に付加されていく
満鉄調査部はロシア、中央アジアから4000冊以上のロシア文献を入手し、ソ連研究の中枢となっていく
1919 原敬内閣主導で、満州に、関東軍が誕生する。満州を農業、鉱工業、および移民受け入れの地として整備が開始される。満州北東部から中朝国境への鉄道敷設計画、大連港湾整備計画などが計画されていく
満鉄の収益をささえてきた、大豆、石炭の輸出振興策、物産振興策などが打ち出されていく
1931 関東軍は満鉄の線路を爆破し、張学良の軍事拠点である奉天へ奇襲を行う
蒋介石の無抵抗施策の追い風もあり、戦線は拡大していく。日本政府の戦線不拡大の策も講ぜず、吉林を占領満州の主要都市は、関東軍が制圧する
1932 関東軍は、満州国建国を宣言、関東軍参謀である石原莞爾と、調査部のスペシャリストでロシア調査の宮崎正義との間柄で、満鉄は関東軍の重要な機関になるとともに、調査部は民生面の協力者としての協力関係が確立していく。
1933 満州国工業化をめざして5か年計画が開始、宮崎正義の奔走で、東京に、日満財政経済研究会が発足。
日本の国力調査と日米戦争に備える生産力拡充計画の開始である。
満鉄調査部はこうして、日本の政策レベルのシンクタンクの地位を築いていく
日本側の華北分離工作によって南京に首都をおいた蒋介石政権と関係が悪化していく
1937 北京郊外の盧溝橋にて、日本軍に対して、銃弾が撃ち込まれて小競り合いが発生する。これが日中戦争の勃発である。
満鉄調査部が、盧溝橋事件の拡大について、寄与したのは間違いはない
同年満鉄は大再編があり、満鉄改組と、満州重工業開発(満業)の誕生である
つまり、陸軍及び関東軍は、中国との総力戦に対して、満鉄、満業は不可欠だったのだ
調査部の大幅な人員増強が行われる
しかし、この増強時に、思想的前歴者、転向者がふくまれていて、後の憲兵隊の摘発につながる
満鉄マルクス主義といわれ、講座派と、労農派に分かれる。
1941 憲兵隊は、満鉄社員を含めた一斉摘発を実施した、その中には、ゾルゲとつながっていた尾崎を含めた共産党員などもいて、満鉄調査部は、この大摘発にて、事実上活動を終焉、敗戦に至る。
1945.08.09 ソ連軍は、ソ満国境より満州へなだれ込んできた 08.18 満州国皇帝溥儀は退位、、ここに満州国は消滅した。
考えるに、満鉄調査部の事実上の解体は、ソ連の、ドイツと日本からの挟み撃ちによる侵攻を食い止めるための、謀略であったかもしれない。まさしく、日露戦争の敵を、満州で取ったのである。
目次
はじめに──「元祖シンクタンク」としての満鉄調査部
序 章 満鉄調査部の誕生
第一章 調査機関とロシア革命
第二章 国益と社益の間で
第三章 満鉄調査部と日中戦争
第四章 満鉄調査部事件の真相
第五章 それぞれの戦後
補 論 満鉄調査部と戦後の日本社会
主要参考文献
関連年表
あとがき
学術文庫版あとがき
ISBN:9784062922906
出版社:講談社
判型:文庫
ページ数:208ページ
定価:760円(本体)
発売日:2015年04月10日第1刷
発売日:2015年05月22日第2刷 -
Posted by ブクログ
元祖シンクタンクとも呼ばれる満鉄調査部の実態を描いた一冊。単なる満州の情報収集機関にとどまらず、ロシア革命後は反共の最前線としてソ連情勢を分析し、満州事変以後は関東軍と連携して中国の政治・経済情報を収集するなど、その活動は一鉄道会社の枠を超えた国策シンクタンクの性格を帯びていた。
興味深いのは、反共の砦でありながら内部にマルクス主義者も存在し、ゾルゲ事件の尾崎秀実と関係した人物がいたために憲兵隊の捜査を受けたという皮肉な一面。
また、満鉄総裁として後藤新平や松岡洋右といった歴史上馴染みのある人物が登場する点も印象深かった。戦後日本の政治や経済には、満州で活動した人々の影響が色濃く残ったとも言われており、今後は満州事変や満州国を扱った他の書籍にも触れてみたいと思った。 -
Posted by ブクログ
社会主義といえば計画経済、資本主義といえば市場経済というのが常識だが、本書の主張はその常識を覆すものだ。
日本は、1930年代に中国に満州国を作り、官僚指導の下に国家統制により国防産業を急速に育成した。満州国で「計画経済」を行ったのだ。このノウハウと人材が戦後日本にそのまま移植され、高度成長をリードしたとの主張を本書ではしている。要するに、日本の1950~1970の高度成長は、「計画経済」によるものだというのだ。そしてその準備をしたのが、岸信介を筆頭とした満州で実際に高度国防国家を作るために活躍した「満州人脈」であるというのが本書の主張である。
まあ、ゴルバチョフ旧ソ連大統領が「日本は最も成功した社会主義国だ」と言っていることからも、ある程度は説得力はあるが、本書の歴史はもう少し検証しなければならないかとは思う。
しかし、高度成長を当時の日本政府が主張・リードしたことは事実であるし、いわゆる「開発独裁」パターンはその後さまざまな国で実践され、成功した経済成長システムであることは間違いが無い。経済においては、ケインズ以後は国家の関与は当たり前という意味で「計画」と「市場」に分けることに意味は無い時代にあるのかもしれないとも思う。
もっとこの時代を知りたくなる本である。 -
Posted by ブクログ
「トヨタ中国の怪物」で登場した、実験場的にあれこれできた満州国での経験が戦後日本の復興の際に機能したという記述が気になり、本作を手に取ってみた。岸信介など農商工省の官僚が満州国の経済システムを創り上げたノウハウが、日本の戦後復興および高度経済成長にどう活かされたのかについて書くとの前書きだったのに、本編では諸条件が似てたからそのまま同じことをやったらうまく行った的な浅い解説しかなくて期待外れ。満州国での成功と失敗にどういうものがあって何が教訓で戦後日本に活かされたのかという、政策的な水平展開がどう起こったのかまで掘り下げてほしかった。この作者の結論は、岸信介の持論と時代が合ったのと運の巡り合わせということに至ってしまっていて、それが真実かもしれないが、それにしても後世へのレッスンとして何を受け取れば良いのやら。そもそも岸はなぜ統制経済モデルにそこまでこだわっていたのかも、もっと深掘ってほしかった。
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Posted by ブクログ
ネタバレメモ
ロシア通で満鉄調査部にいた宮崎正義がソ連の計画経済を規範にして作った「満州産業計画五か年計画」を実行したのが、商工省のキレものだった岸信介をはじめとする若き官僚たち。彼らはここで実務経験を積んだ。満鉄の力を弱め、日産を引き込んで一大コンツェルンを作り上げる。これが満州重工業開発株式会社。主要人物は2キ3スケ(星野直樹、松岡洋右、鮎川義介、岸信介)
戦後、岸は巣鴨に収監されていたが、東条内閣の閣僚のうちなぜか唯一無罪で釈放される。アメリカ軍との密約説などがあるが、真相ははっきりしない。
政治活動を再開した岸の政治信念はアジアの盟主を目指すという点では変わらなかったが、各国のナショナリズムの動きを尊重するという柔軟性が加わっていた。これが東南アジア賠償問題である。
自民党の55年体制が確立され、権力闘争に勝利すると岸は満州で培った計画経済的な手法を使って経済成長を図る。輸出入の管理、機械工業分野の重点的成長などである。こうした岸の政策を支えたのが満州人脈だった。
高度経済成長を支えた政財官のシステムは戦前に根を持つもので、そこに向かって満州人脈を率いたのが、敗戦を生き延びた岸だった、という話。
感想
・岸が満州にいたのも、総理大臣だったのもそれぞれ3年ほど。戦後復興に満州の経験や人脈が影響力を持っていることは分かったが、それがどの程度のものなのか、はよくわからない。様々な要因の一つだろうと思う。
・55年体制が崩壊した後の政治はどうなっているのだろうか。さんざん漂流したうえ、結局安倍長期政権になっているという現状を、長期的な視点からみていくと面白いかも。
・さくっと読める。 -
Posted by ブクログ
ぼんやりとですがずーっと、
「第二次世界大戦、日中戦争、十五年戦争、ノモンハン事件、インパールなどなど...あのあたりの事って言うのは、どうして起ったんだろう。誰がそうしたくて、誰が儲かったんだろう。それから、どうして戦後に出来た自民党さんっていうのは、具体的な理由がまったく無いのに憲法を変えたがるんだろう」
という興味があります。
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2005年に出た新書。
大変に短い、読みやすい本。ブックレットのような。
中国近現代史についてなんとなく読みたい、という気持ちと、「岸信介」という人についての本があればこれまた読みたいな、という気持ちがあって、衝動買い。
タイトルの通り満州国という、実質「関東軍と日本の官僚が作って運営した国家」についてのお話。
そして、満州国を仕切った人々が自民党政権下でも多く活躍した、という内容。
短い新書なので仕方ないですが、あまり深さとか歯ごたえは感じない。
ただ、いくつかの「ああ、そうかあ、知らなかったというか、そういう視点がなかったなあ」という事柄はありました。
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満州国、というのは、関東軍がでっちあげたような国。
なのだけど、そこの善悪の判断と無関係に、実は当時のアジアでもっともヨーロッパが近い国だった。というのは、簡単に言うと、鉄道でヨーロッパに行けてしまうのだから。
と、言う地理的な条件。
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事の発端の善悪はともかくとして、日本から大量の官僚が送り込まれ、
それぞれに日本国内ではまだ実権を握れないような中堅若手が、満州では実権を握れていた。
つまりはフロンティアであり、ゼロからクリエイトできる開拓領土だった訳だから、そこには(繰り返し言うけれどもモラル上の善悪はともあれ)若い官僚たちからすると物凄くロマンがあった訳ですね。
言ってみれば、「若い俺たちが国作りをできる」という恍惚。
だからそこで切磋琢磨した中堅若手の人々の間の共通体験っていうか絆みたいなものは強かっただろうなあ、と。
そして、全員が年代的にまだ若かった。なので、戦後、丁度1952年サンフランシスコ条約以降の高度成長へと向かう時代に、各部で実権を握る世代になった。政治家では岸信介であった。
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1917年がロシア革命。
満州国建国前後の若きインテリたちにとって、好むか憎むかはともかく
「マルクス・レーニン主義」というのは、無視できない思想だった、ということ。
岸信介さんが若き日に、「私有財産制を疑ってかかった」というのは興味深かった。
その頃すでに、資本主義と、特定の政党が事実上支配する制度としての民主主義、とが、格差とストレスを拡大していく、という問題点は認識されていたんだな、ということ。
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満州国のもとになったのは「満鉄=南満州鉄道株式会社」。
簡単に言うとほぼ日本の国営だった訳ですが。
ここで、初期の頃に「調査部」という部局があって、
「当時の最先端のシンクタンクだった」ということ。
つまり、巨額の予算を与えられて人材を抱えていた。
ゾルゲ事件の尾崎秀実なども所属していた。
日中戦争の行く先についてかなり深い洞察をしている。
その後、徐々に満鉄とともに衰退していく。
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日産というグループはまずは満州における御用商人として出てきたんだなあ、ということ。
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などなどは、面白かったです。
「満州生まれです」という世代の日本人がぼちぼちいなくなる頃。
確かに、ある時代の、意外と今は知られていない空気感が分かりました。
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でも一方で、
「満州国の経営政府と財源としてのアヘン、その暴利を得ていた日本国内政治家」
という、恐らく最近無視できない要素とか。
満州国の成立から滅亡までの、中国の側から見た位置づけ。
とか、そういう視点論点はまったく感じません。
総じて言うと、岸信介さんのご身内の人が読んで、まったく不愉快にならない、むしろ喜ぶようなソフトな内容だけの本になっていますね。
つまりは、「そこに若き日本人の創意工夫とロマンがあった」みたいな、プロジェクトX風味の物語味付けがされているわけです。
そこのあたりは不満が残りました。