五十嵐 美克のレビュー一覧
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自分の悩みや疑問を代わりに考えてくれた、ある種運命的な本。
ロマンと古典、直感と理性、文系と理系などなど…
日常の中には常に対立したもの、人が存在する。
どうしてこうも分かり合えないのだろう?
同じ世界に生きていながら、なぜ真っ二つに分裂してしまうのだろう。
片方を重視すればもう片方を蔑ろにしてしまう。
理詰めで考えたものは息苦しく、複雑な容姿になる。かといって見た目を重視すれば、中身がスカスカ。
それらを一つにできる考え方はないんだろうか?
筆者は息子とバイクに乗りながらそれを教えてくれる。途中途中で「何いってんだこいつ」となるような表現も多々あります。たとえ結論がわからなくとも、 -
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こんなはずではなかった、昔の自分はもっと希望に溢れ、夢に向かって邁進していた…
こんな中年の喪失感への対応には3通りある。一つは、あの頃の自分は若かった、現実はこんなものだと過去の自分を捨てる。二つ目は、やはり夢は諦められない、と今の自分を捨てる。もう一つは、昔の夢を改めて考え、今の自分と昔の自分を融合して、新たな目標に進む。
本書の著者は、かつて大学で修辞学を教えるうちに、「良い」とは何か(本書ではクオリティと表現)を追求しはじめ、哲学の道に進み、大学の旧態依然とした価値観と衝突し、最終的に心を病み、精神病院に入院して電気ショック療法を受け、記憶と家族を失った。
その後、退院して別の仕 -
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ずーーーーーーーっと頭の中で考えていたことを整理するきっかけをくれた本。
本著で言う、「理性(古典)」的な考え方と「経験(ロマン)」的な考え方のどちらかが崇高なのではなく、両方のバランスが大切なんだなぁ、というのが私なりの結論。
自分の言葉で説明を試みるなら、前者は「ロジック」、後者は「フィーリング」と例えることができるのではないか。
それはトップダウンの「西洋都市計画」と、ボトムアップからおこった「日本のまちづくり」に例えることもできると思う。
大切なのは、どちらか一方で十分なのではなく、両方の考え方の使い分けが必要なんだ、ということ。
日常生活で例えれば、計画性無しにその日暮らしで生活 -
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菊次郎の夏に、「オートバイ」と「真理の探究」の要素を追加した内容だと思います。
単なる親子のツーリング話ではなく、テクノロジー論、現代文明論、親子論、バイク分析論と、
著者の思索は、留まることを知りません。
著者は精神を病んだ経験の持ち主です。
また、その息子は、神経症を患っています。
小学生ぐらいでしょうが、彼は成人後、強盗に襲われ、不幸にも射殺されます。
一体、この著作は何なんだと思います。
哲学書というには、あまり纏まりがあるとは思えませんし、
息子との思い出日記にしては、哲学的考察が冴えわたっています。
恐らく、一読しただけでは、何を言っているのか、さっぱりわかりませんが、
読む -
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ネタバレ息子とのオートバイの旅を通じて、自分自身の過去の人格を掘り下げていき、禅やら哲学に対する考察を同時に行うという内容の本。読み始めはタイトル通り「禅とオートバイの修理技術」についての考察が入り非常に面白く読んでいたんだけど、「クオリティ」の話になってから非常に難解な読み物になっていき、頭に本の内容がすんなり入ってこなくなった。後半になって、オートバイの整備の話に戻ったら大分読みやすくなったけど、全般を通じて難解な内容の本でした。オチについては、なんか個人的にはしっくりこなかったなぁ、という感想。まぁ、これは好き好きもあると思うけれども。
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Posted by ブクログ
失われた記憶を追いかける旅。真理探究への旅。そして息子と共に行くオートバイでの旅。三者がもつれあいながらドラマチックに旅路の到着点まで向かっていきます。
導入部ではテクノロジーを拒否する夫婦とともに行く旅。そして思い出の高地への旅。息子と二人きりになった後半。”クオリティ”探究の旅との符号に難しい哲学描写もなんとかついていけます。
結局”クオリティ”とは何だろう?「禅」の描写は意外と少ないぞ。最後は主人公の精神はどうなったんだ?など、疑問点も残るラストだが、それは読者である我々が考えていく部分も残っていることに価値があるのかも。
一人きりで延々と走り続けるライダーは、意外とメットの -
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p91
何度読んでも飽きのこない本である。私はいつもクリスの理解をはるかに越えた本を選ぶことにしている。多少読んでは、クリスがいつもの矢継ぎ早の質問をしてくるまで待ち、それに答えてから、また多少読み進める。昔の本は、このようにして読めば、読みが深くなる。古典とはそうしたものだ。これまでにも、読んだり、読み合ったりしながら、一晩過ごしてしまったことも何度かあった。結局二、三ページしか読み進めなかったが、これが百年前「シャトーカ」が盛んであった頃ーの読書法だったのである。実際こうした読み方をしてみれば、これがどんなにすばらしい読書法かがわかるはずである。
p232
彼は哲学を知識のヒエラルキー全