あらすじ
かつて大学講師であった著者は失われた記憶を求め、心を閉ざす息子とともに大陸横断の旅へと繰り出す。道中自らのために行なう思考の「講義」もまた、バイクの修理に端を発して、禅の教えからギリシャ哲学まであらゆる思想体系に挑みつつ、以前彼が探求していた“クオリティ”の核心へと近づいていく。だが辿り着いた記憶の深淵で彼を待っていたのはあまりにも残酷な真実だった…。知性の鋭さゆえに胸をえぐられる魂の物語。
...続きを読む感情タグBEST3
Posted by ブクログ
"Zen and the art of ……"の発祥の本です。
ものすごく頭の良い人がいるのだと、ただ、ただ圧倒されながら読んでいます。
感想は下巻を読んだ後に。
(といっても上巻を読むのに半年かかっているからなぁ……)
Posted by ブクログ
例えば「常識を疑え」なんて実に陳腐な言葉だが、見落としがちなのは常識を疑う時に拠って立つ場所がすでに常識を前提としているのだと、そういうことを指摘している本。
オートバイのようなシステマチックに作られたものと、そういった理論の積み重ねや分析だけでは乗り越えられないもの、そのギャップについての思索なんだと解釈した。
下巻の展開を期待。
Posted by ブクログ
エンジニアとして働いていて、それなりにテクノロジーに対する拒否感はなくとも、深堀すると自分の理解を超えるポイントがいつも存在しており、そこで留まってしまう自分がいるなあなどと思った。そのせいで、いつまでも自分はパズルしかできないという失望感もある。
Posted by ブクログ
菊次郎の夏に、「オートバイ」と「真理の探究」の要素を追加した内容だと思います。
単なる親子のツーリング話ではなく、テクノロジー論、現代文明論、親子論、バイク分析論と、
著者の思索は、留まることを知りません。
著者は精神を病んだ経験の持ち主です。
また、その息子は、神経症を患っています。
小学生ぐらいでしょうが、彼は成人後、強盗に襲われ、不幸にも射殺されます。
一体、この著作は何なんだと思います。
哲学書というには、あまり纏まりがあるとは思えませんし、
息子との思い出日記にしては、哲学的考察が冴えわたっています。
恐らく、一読しただけでは、何を言っているのか、さっぱりわかりませんが、
読むタイミングと環境がマッチすれば、
「暖かい本」で何度も読み直したくなる本になると思います。
つまり、価値とは、一体何なのかということです
Posted by ブクログ
バイクに乗ったことが無くても、車の運転中や通勤電車の中でも、流れる景色と振動を感じながら、一人で思索に耽る経験はあるだろう。
本書は、技術ライターの男が11歳の息子とバイクの二人旅をしながら、ひたすら思索に耽る物語だ。
男は過去に別の仕事をしていて、神経症になり入院した過去を持ち、息子は感情が昂りやすい性質。最初は友人夫婦と一緒の旅であるが、色々気を遣わせ、それでもこの男は、周りの人々を他人事のように観察し、思索に耽る。
一体この旅の目的は何か?男の過去に何があったのか?ゴールに何か待っているのか?
という上巻。
Posted by ブクログ
バイク好きなのでジャケ買い笑
まさにロードムービー!
洋書って説明が多いから読みにくいのかなぁ。
演繹と帰納、オートバイの要素分解のところは面白かった。下もすぐ読むぞー
Posted by ブクログ
長い間手に入れずにいた本をとうとう読みました。
オートバイと哲学。私の興味ある分野がひとつとなって、他にはない期待に満ちた内容と想像して数年。なかなか手に入れられませんでした。
オートバイと哲学。興味がない方には、共通項はあまり見いだせないかもしれませんが、実は結構近いものがあるのです。修理すること、走ること。
思っていたのとは違った驚きを含みながら、上巻を読み終わりました。下巻を読んで評価があがるか、あるいは下がるか。
Posted by ブクログ
p91
何度読んでも飽きのこない本である。私はいつもクリスの理解をはるかに越えた本を選ぶことにしている。多少読んでは、クリスがいつもの矢継ぎ早の質問をしてくるまで待ち、それに答えてから、また多少読み進める。昔の本は、このようにして読めば、読みが深くなる。古典とはそうしたものだ。これまでにも、読んだり、読み合ったりしながら、一晩過ごしてしまったことも何度かあった。結局二、三ページしか読み進めなかったが、これが百年前「シャトーカ」が盛んであった頃ーの読書法だったのである。実際こうした読み方をしてみれば、これがどんなにすばらしい読書法かがわかるはずである。
p232
彼は哲学を知識のヒエラルキー全体の頂点にあると見なしたのである。
かつて知識の全領域を占めると考えられていた科学は哲学の一部門にすぎず、哲学のほうがはるかに広く、普遍的であることを知ったのである。
彼を最初に科学の道に導いた疑問は、科学とは何か?そしてその目的とは何か?ということであった。結果的にはその疑問の延長線上に哲学があったというわけである。
p305
「その根本的な概念については、もう二十年以上も考え続けてるんだよ」