森山高至のレビュー一覧
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1 隈研吾氏が設計した公共施設、馬頭広重美術館が腐った!
2 イオンモールは、中だけこだわり外見は建物の魅力ゼロ
一蘭も食のこだわりはあっても建物はなんも印象に残らぬ
3 オープンハウスが席巻している狭小地三階建は街並みもへったくれもない!
ワンルームマンションも、テラスハウスも、、、
狭小賃貸は驚いた!水回りだけであとは寝るだけ。銭湯がつぶれる必然。
4 建築人材は減るばかり 今や50代が若手
5 神宮外苑もじっくりプランを練ればいい案はできたはず。これもファスト化の弊害
6 無意味に同じ都市で行った東京オリンピック、大阪万博、、、
最初読み始めた時は隈研吾批判本かと思ったが、そんな狭い了見の新書ではなかった。
「ファスト化」の名のもとに、日本中の建物が良からぬ方向に進んでしまっていると。
文化が失われていく。
時代の流れ、やむを得ないと思う部分と、政治はもっと踏ん張れ、と思う部分と。
神宮外苑、、、確かに維持にお金は必要だが、それ以上に壊したり建てたりの費用の方がかさむんじゃないか。
確かに一等地の秩父宮ラグビー場は贅沢だが、屋根付き人工芝では選手が大丈夫なのか?
屋根付きは観客としては寒い冬、暑い夏、ありがたいかもしれないが、、
それにしても安易に取り壊して新しくできた国立競技場の酷さは許しがたい。
やはり隈研吾批判でもいいように思う。ちやほやされすぎた。
第一章 公共施設のファスト化
「腐る建築」とは/建築文化を作る気候条件と生活様式/人口減少時代の多目的公共施設/安易な建築思考がもたらす悲惨な結果 ……ほか
第二章 商業施設のファスト化
商業施設のはじまりは百貨店/バブル崩壊で衰退する百貨店建築/ファストデザインを支えるフェイク建材 ……ほか
第三章 住宅のファスト化
街並みと無関係な都市型狭小住宅の開発/下駄履きマンションの意味/玄関が家? 狭小賃貸住宅の登場/デザインをしなくなった家 ……ほか
第四章 建築人材のファスト化
枯れていく建築人材/建築業界を揺るがした耐震偽装事件/建設現場における進まぬIT化と進む後期高齢化/疲弊する林業と木材のファスト化 ……ほか
第五章 都市のファスト化
美しい国づくり政策/明治神宮外苑再開発問題/東京オリンピック誘致と新国立競技場問題/タワマンは大規模修繕ができるのか?……ほか
第六章 国際社会における国家のファスト化
2020年東京オリンピックメイン会場の迷走/再開発における解体工事の困難さ/テーマが見えない大阪・関西万博2025/軟弱地盤の夢洲会場と突如会場に現れた木造リング ……ほか -
Posted by ブクログ
建築業界を学んで、IT業界を学ぼう企画として読んだ。
建築はデザインでコンペが行われる。料理と違って素人が評価しづらい。(おいしい、まずいは素人でも分かるが、デザインの良し悪しは分かりづらい)
→ITのコンペはプレゼンかと思いますが、ソフトウェアは見えないものなので、良し悪しはプレゼンの出来次第という意味では、あんまり変わらないかも。
建築家の野心は、一般人の感覚とはズレたところで大きく膨らんでいます。「雨をよけるという屋根の機能はそのままに、でも屋根に見えないようにするにはどうすればよいか。」そんなことばかり考えているようなのです。何なんでしょうね、この感覚。
→やばいw ITにはないだろうな、その感覚。
現場監督はOJTで育てる文化だったが、最近は派遣監督も多いとのこと。
→ITは社員がPMや上流工程をやって、派遣は設計、開発という構図が多く、派遣PMはあんまりなさそう。OJTでPMを育てるっていうのはどうだろう。PM補佐みたいな役割を定義して、次期PMを育てるというのは良いかも。
下請をリスト化してとにかく安いところへ発注
→それはいくらなんでもバッドノウハウでしょう。スキルと値段の両輪で評価しないとダメかも。うちの会社の場合、リスト化されてないので、まずはそこからかも。 -
Posted by ブクログ
東京都知事選挙は終わったけど、新国立競技場って、オリンピックまでに完成するんだっけ?
世間を騒がした新国立競技場建設問題の発端は、技術的にも予算的にも実現不可能なザハ・ハディド氏の案を受け入れてしまったことだ。そもそもこのザハ氏、以前から「アンビルトの女王」と呼ばれ、絵に描いた餅のような建築物を設計してしまう有名人だったらしい。また、このザハ氏も例外ではなく、最近の建築業界では居住面や管理面を無視し、見た目の奇抜さだけを追いかけて、存在感のみを自慢する建築物が増えている。
著者はこうした自慢気な建物を「どや顔」ならぬ「どや建築」と名付ける。見事なネーミングだ。そんなどや建築を作ってしまう、非常識な建築業界を紹介する。
本書を読んで、どや建築が作られる一番の原因は、どや建築家の存在ではなく、役所が主催するコンペが問題だと思う。国立競技場のような大規模建築計画は、コンペを経て決定されるが、そのコンペ出席者は建築知識もない、責任もとらない素人ばかりだ。当然、見た目のカッコよさが注目され、長期的な維持管理や収益、周囲との調和などは2の次になる。
そんな建築業界の弊害を明らかにしてくれたという点で、今回の新国立競技場問題は評価されるべきか。これをきっかけに建築業界のどや建築ブームがなくなってしまうことを望む。 -
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新国立競技場問題を2年前からブログで取り上げ、ザハ・ハディドによる案に疑問を呈していた建築士。その説明は素人にもとてもわかりやすくエンターテインメント性に富んだもので大変楽しく読ませて貰った。結局予算が限りなく膨張したザハ案は白紙撤回され、その慧眼ぶりが立証されたのだが、そんな著者が日本の建築業界が抱える重大な問題点の数々を鋭く指摘する。
10年前に世田谷に購入した小洒落た狭小住宅は、雨漏りが止まらず断熱性能もひどいもので、まったく呆れたものだったけれど、その原因となる建築業界の仕組みがよく分かった。現場の声に耳を塞ぐ業界はどこもダメになっていく。その典型的な例が示されている。
一般市民や為政者など建築の素人がどうしたら建築を正しく評価できるようになるのか。印象に残った逸話がある。「韓非子」の故事に、伯楽という名馬の目利きがいるのだが「伯楽は愛する者には駄馬の鑑定法を教え、憎む者には名馬の鑑定法を教えた」という。名馬というのは滅多に出会えるものではなく、一方駄馬はいくらでもいるのだから、普通の人にとっては駄馬を避ける事のほうがずっと役に立つ、ということらしい。同様に建築に対しても、すごく前衛的なデザインの建築の善し悪しを見るのではなく、その建築の目的に沿って要素を整理し、判断していくという地味で実直な方法を提案している。
特に街並みの景観や公共施設においてそうした判断基準を共有し、建築と一般社会との健全な関係を築き上げることが大切なのだろう。 -
Posted by ブクログ
建築業界やそれを取り巻く建材、林業の業界の実態について、全体を通して批判的に述べているが、外観を理解できるという点では分かりやすかった。特に隈研吾氏に対して一貫して批判的だった。ただ、「ファスト化する日本建築」と題する以上、そうだろうなとは予想していた。彼が木材を積極的に使っていることは、まずその機能的な必要性や妥当性は置いておいたとして、話題になるという点では良いが、その使い方や考え方には疑問に感じていた。日本における建築のファスト化、ひいては都市や生活のファスト化はものすごいスピードで進んでいるし、生活者はそれに危機感を抱いていないのが事実だと思う。物質的には豊かになったし、量的だけではなく物を得る速さにおいても便利にはなったと思う。ただ、それは生活が豊かになったこととイコールではない。本来日本に存在していた生活の豊かさは、生活がファスト化していく過程で失われていった、あるいはもう求められなくなったのかもしれない。ファスト化した生活を求めた結果、都市部に人口が集中し、日本ではそれを改善するべく地方創生が叫ばれている。それはもちろん進めるべきだと思うが、昨今進む都市のファスト化の中で生み出されたような、タワマンに象徴される建築物たちは、数十年後どうなるんだろうか。今後数十年後に訪れる都市の修繕に耐えられるだけの産業は残っているのだろうか。将来、負債ともなってしまうような建築は残したくないと思う。
東京オリンピックの新旧国立競技場、大阪万博で話題に上がった建築関係の問題については、また調べてみようと思った。 -
Posted by ブクログ
★建築家への無邪気な信頼★建築は総合芸術であり、デザインや構造、電気、調理、冷暖房と気密、植物、法制度、経営など理解すべき内容が広範にもかかわらず、建築家と名乗る人はすべてが可能だと漠然と思われているし、建築家の側も思わせている。建築士という資格とは別に、建築家という言ったもの勝ちの名称が蔓延していることがまさにその証左だろう。日本でのそうした無邪気さと問題を丁寧に指摘する。自ら建築士としての経験があり、一歩引いた立場となったからこそ書ける内容でもある。
コンペで叩き台として設計案や模型を作るケースがあるのは知らなかった。条件から導くだけの案なので報われない仕事だが、一般の人に理解させるには確かに欠かせない。コンペでは審査員は自分の分野のことしか理解できないという指摘も納得。だから新国立競技場の問題で安藤忠雄が「コストのことは知らなかった」などと言い出すのだろう。新国立競技場の経緯を誰かきちんと総括していれば、ぜひ読みたい。
デザインは万人が意見を言えるが、逆に正解はない。だから建築家は哲学のようなよく分からない文脈を持ち出すのだろうし、磯崎新のように説明力で大家に駆け上がるような気が以前からしていた。著名建築家はみな高学歴なのもそのためではないか。オリジナリティーの呪縛も同じ理由だろう。もちろん実際に優れた建築も生じるので、一概に切り捨てられないのが難しいところだが。
著者の言っていることはすごく納得できるが、ただ世間には広がらないだろうな。業界の中にいる人とその周辺の人までしか届かないような気がする。一般の人はそこまで建築に関心がないだろうから。