西山秀人のレビュー一覧
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空を漕ぐ船
影見れば 波の底なる ひさかたの 空漕ぎわたる 我ぞわびしき (水に映る月影を見ると、波の底に大空が映っているが、その空を漕いで行く私は、何とちっぽけで頼りない存在なのか)
廬山寺 ろざんじ
京都にあるお寺。紫式部の邸宅跡と言われている。
昔の旅行は本当に大変だ。海賊の心配をしたり、天候のために何日も足止めされたり…
「わだの泊の別れの所」での段で、在原業平の名前が出てきて驚いた。
故在原業平だって。死んでる…
在原業平は平安前期の人で、紀貫之は平安前期から中期にかけての人。
それに紀貫之が前の世の優れた歌人たちを六歌仙と名付けたのだから、同じ時代の人ではないというのは、考え -
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平安時代の大歌人、紀貫之が女性になりすまして土佐から京の自宅を目指す旅を描いた日記文学の名作だ。
編者の「はじめに」を引用すると“笑いあり、涙あり、スリルあり、そして作品全編にただよう水の匂い。それが『土佐日記』の魅力”
時にはデーブ・スペクターにも負けないようなダジャレを繰り出し、紀貫之の堅いイメージがいい意味で崩れた。
また、この日記には様々な登場人物が詠む五十八首の和歌が出てきて和歌入門書としての側面もある。一番好きなのはこの和歌。
棹させど 底ひも知らぬ わたつみの 深き心を 君に見るかな
(棹をさして知ろうとしても測り知れない大海のように、深いご厚意をあなた方には感じますよ) -
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何となく読みたくなって気まぐれで購入。
面白い。
1話ずつ現代語訳→原文→解説・註釈の順に並んでおりとにかく読みやすかった。
多分最初に原文だと嫌になってたかも。好みの問題かもしれないが。
この作品は平安貴族・紀貫之による’女性になりすましたおじさんの旅行日記ブログ’。
高知から京都までの55日間のクルーズ旅行で起こったアレコレを女性のふりをして綴ったもの。
高知を出発する数日間ずっと飲んでる。やっと出立したと思いきやすぐに着岸してまた飲んでる。シケで停泊してイライラする中、海賊が近くに来たっていうので船頭に八つ当たりバチ切れしちゃう。船酔いでぐったり。家に着いたら着いたで、隣の人に4年 -
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やっぱ日本の古典はいいね〜
「分かる!」ってなるもんな
海外の古典、まぁ主にわいが読む海外の古典は中国が多いんだけど
たま〜にぜんぜん意味分からん!てなるときあるもん
もちろん個人差あるだろうし、あっていいんだが、少なくともわいは「分かる!分かるよ貫之!」てなるもん
やっぱ日本人なんやな〜って
繋がってるんやな〜って
わいってやっぱ大和撫子なんやな〜って
ん?
はい、『土佐日記』ね
あらためまして紀貫之です
紀貫之はもう全員知ってるものとして話進めます
土佐国の国守だった紀貫之が任期を終えて京の都に帰るまでの日記…のようなものです
土佐国の国守っていうのは今で言う高知県知事なんだ -
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教科書に載ってて存在は知ってるけど内容はよく分からないから読んでみたいシリーズその1。
せっかちさんには向かなそう。土佐から帰京する船旅の、日記の体の文学だそう。でも船が悪天候やらなんやらかんやらで、遅々として進まない。まだ同じ場所で停泊しなければいけない、そんな船上の人たちの不満や不安が伝染するようで、あーもう早く!と思ってしまう。
読者は作者が本当は男だと分かっている前提で女性のフリして女もしてみんとてするなりと書いていたらしい。一種のギャグのようだけど、当時からそういうのってあったんだなあと、平安時代がちょっと身近に思った。
紀貫之さんは和歌の名手のようで、至る所で上手かったり下手だった -
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土佐守の任期を終えた 紀貫之 が書いた土佐から京までの船旅日記。停泊多め
角川文庫 紀貫之 土佐日記
紀貫之が女性作者を装って日記を書いた理由は、編者曰く「ひらがな文学を創始するため」とのこと
たしかに他人に読ませるための日記であり、天候不順や船頭の言葉に対するイライラ、亡くなった娘への追慕の気持ちなど 心理描写が多く文学性を感じる。その瞬間を捉えた和歌の挿入も 日記にストーリーや映像を与えている
和歌だけだと苦痛であるし、戦争日記のような男性的日記では 文学性を感じない。紀貫之が始めた日記文学に 日本文学を見出し、松尾芭蕉への繋がりを論じた ドナルドキーン氏は さすがと