テッサ・モーリス・スズキのレビュー一覧

  • デモクラシーの冒険

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    ナショナリズムが「糞」であることを、姜尚中・森巣博『ナショナリズムの克服』(集英社新書、2002)よりもエレガントに教えてくれる一冊。

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    2010年11月16日
  • 天皇とアメリカ

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    [ 内容 ]
    日本の近現代史を振り返ったとき、天皇は、伝統、宗教、土着、愛国心などを表象し、アメリカは、近代、合理主義、外来文化などの代名詞であったことがわかる。
    しかし、両極端であるはずのこれら二つのキーワード―「日本的なものの象徴・天皇」と「帝国・アメリカ」は、複合的に絡み合いながら日本と東アジアの二〇世紀に関与し続けてきた。
    時に、天皇こそ近代であり、アメリカこそ宗教であるという矛盾の中から、果たしてどのような歴史像が浮かび上がってくるのか?
    二つの奇妙な力の場を拠点に、歴史的想像力の可能性を切り開く。

    [ 目次 ]
    序章 天皇とアメリカの二〇世紀(天皇とアメリカは均等ではない;転換期

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    2014年10月26日
  • 天皇とアメリカ

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    天皇は英語では昔はpopeだった。
    「天皇」という名称自体、幕末に至るまでほぼ900年にわたって使われてはいなかった。「院」と呼ばれた。1840年に没した光格天皇において、初めて「天皇」号が復活。1925年、政府は過去の「院」をすべて「天皇」とすると決定。廃仏毀釈の際、全国の小さな神社を統廃合することが進められ、20万から12万に激減。国家にとって不都合な伝統はつぶされていった。
    森有礼は、キリスト教の思想を浴びた影響で、神と個というキリスト教的関係を「天皇と臣民」という国家的な関係に置き換えていった。
    マッカーサーは天皇をキリスト教にしたかったが、GHQ諜報局長エリオット・ソープに反対された

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    2016年01月02日
  • デモクラシーの冒険

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    テッサ・モーリスースズキと姜尚中による対談をまとめたもの。新進気鋭の学者2人が、オーストラリアのビーチでデモクラシーについて語り合った内容。

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    2009年10月04日
  • デモクラシーの冒険

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    東大教授の姜氏と政治学者のスズキ氏の対談.両氏の著作を読んでいる人には既知の主張が多いけど,語り口のわかりやすさで惹きつける.民主主義とは,個人の実践でのみ獲得されるものでしょうか.

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    2009年10月04日
  • 天皇とアメリカ

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    難しかった…。面白くないのではなくて俺の読解力不足…。
    アメリカは天皇(制)を利用し、日本は国体維持のためそれを受認した。悪いことでは決してない。

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    2021年07月18日
  • デモクラシーの冒険

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    姜尚中とテッサ・モーリス=スズキが、現代の国際政治状況におけるデモクラシーの危機について語りあっている本です。姜はすでに森巣博と『ナショナリズムの克服』(集英社新書)という対談本を刊行していますが、本書ではおなじテーマを政治思想史を振り返りつつ、もうすこしオーソドックスなかたちで語りなおしたものということができるように思います。

    「すべての人間は、外国人である」というスズキのキャッチーなスローガンは示されており、読者の目を引きます。ただ、おおむね問題意識を共有している二人が、おたがいに問題と感じているところを確認するにとどまっており、これからの展望を切り開くような議論がやや乏しいように感じて

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    2019年09月19日
  • デモクラシーの冒険

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    [ 内容 ]
    一一〇〇万人を超える人類史上最大の反戦運動もむなしく、アメリカとその同盟国は、ついにイラク攻撃に乗りだします。
    デモクラシーを高らかに謳いあげる国々による圧倒的な暴力は、人々の意志が政策に反映されることのない絶望的な光景を、かえって浮き彫りにしました。
    果たして、政治はひと握りの人間によって決定され、他の者たちは粛々とそれに従うほかないのでしょうか?
    本書では、世界的に進行するデモクラシーの空洞化を多角的に分析しながら、私たちの政治参加の可能性を探ります。
    日豪屈指の知性による、深くて鋭い盛りだくさんの対話劇。
    「イラク戦争以後の民主主義入門書」を片手に、いっしょに考えてみません

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    2014年10月26日
  • デモクラシーの冒険

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    確かに、世の中自分が何かしたところで変わらないって思っている節はある。でも、今までの歴史を振り返ってみるとどうして今の世の中があるかって誰かが体制を変えてきたから。今も体制を変える原動力を一人一人が持っているはず。現在人々が無気力化しているのはグローバリゼーションによって力が分散してまとまって大きな力を築くことができないって書いてあったけど、私個人的には今の生活に満足しているからかなって思った。それは世の中を知らないからかもしれないけど、満足しているからこそ知ろうともしないのだと思う・・

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    2009年10月07日
  • デモクラシーの冒険

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    デモクラシーの担い手とは、「それを望むすべての人々」というタテマエになっているが、現実では人々は自らの無力さを感じ、それゆえ「政治的無感情」となっている。その原因はさまざまである。「市場の社会的深化」により、デモクラシーにおいて有権者である人々は消費者となったこと。世論は人々の声を代表しないことや、グローバルな権力によって、人々の選んだ代表にも決定できない事柄が増大した。このように、自分たちがいくら努力しても結果に結びつかなくなって人々は「政治的無感情」に追い込まれた。こうしてデモクラシーの空洞化が進み、ポピュリズムを促進させ、憎悪の政治学を作っている。しかしながら、今は市場の社会的深化や公私

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    2009年10月04日