兼好のレビュー一覧
-
Posted by ブクログ
卜部兼好(1283頃~1352頃)によって書かれた徒然草は十五世紀半ば以降、すなわち、没後約100年後に歌人、連歌師そして武士たちによって脚光を浴び始めた。実は生前から注目を集めていたわけではなかったのだ。
古典作品は初めから古典だったわけではなく、いったん忘れられた後誰かが価値を再発見し、作者の隠された意図を明らかにすることで評価される。だから古典はその時代の価値観によって評価が変動する。
徒然草は初め、洗練された美意識の書物として注目を集め、戦乱の時代では世の中や人生を無常として捉える側面から読まれるようになった。江戸時代になると教訓書として流行した。いずれも、現在の価値観と当時の価値観 -
Posted by ブクログ
「通読できる徒然草」…まさに、古典を普通の読み物として読むことを叶えてくれました。
嬉しいし、楽しい。
現代語訳の良さはもちろん、注と評が最小限で邪魔しない。
古典は注釈や評などでお勉強感が漂い、
『読書中に先生がしゃしゃり出てきていちいちうるさい』感じがして萎えてしまってましたが(笑)、
通読することを目的としたこの徒然草は、楽しむヒントを与え、背中を押してくれるものでした。
原文の単語の解説などもないので、気を削がれることなく古文のニュアンスを楽しめます。
なので勉強したい人には向かないかもしれないです。
それにしても徒然草、国語の先生が大好きと仰っていましたが納得です。
エッセイとは -
Posted by ブクログ
著者の吉田兼好は無欲恬淡の隠者として語られることも多いところですが、実態は30歳で朝廷を辞して田畑を購入、これを小作人に貸し出して年貢米を得るという理想的アーリーリタイアを成し遂げた人でもあります。
そんな高等遊民としての兼好の思想がにじむもの。
○自分が高貴な身分であれ、ましてものの数でもない場合はなおさらのこと、子どもというものはいない方がよい、と私は思う。…藤原良房の大臣に関しても、「子孫がおられぬのがよい。子孫が先祖より衰退なさるのは良くないことだ」と、『大鏡』には書かれている。聖徳太子が生前にお墓を造営なさったときも、「ここを切れ。あちらを断て。我が子孫は絶えさせようと思うのだ」