Tuesdays with Morrie(モリー先生との火曜日)を読んだ。
読んでいて、読み終わりたくないな、と素直に思えた本。
人生で大事なことが何なのか、考えさせられる。
どう生きるべきか、ヒントをくれる本当にいい本だ。
大事なものは、やっぱり愛や、思いやり。
精一杯無条件に愛して、無条件の愛を精一杯受け入れること。
そして、自分の価値観を作り上げること、文化を創りあげること。
どっちが勝つんですか?ーそりゃ愛さ。いつも愛が勝つ
希望をなくして消えていくか、それとも残された時間に最前を尽くすかー
他の人と同じように、世間から引っ込むつもりか、それとも生きるつもりかー
こうと思ったとおりに生きよう、品位をもって勇気とユーモアと落ち着きを忘れずに。
出来ることも、出来ないことも、素直に受け入れよ
過ぎたことにとらわれるな。ただし、否定も切り捨ても禁物
自分を許すこと、そして人を許すことを学べ
誰か心を打ち明けられる人、見つけたかな?
君のコミュニティーに何か貢献してるかい?
自分に満足してるかい?
精一杯人間らしくしているか?
これだけか?自分がやりたいことはこれだけなのか?
われわれのこの文化が人々に満ち足りた気持ちを与えないっていうことがある。
われわれはまちがったことを教えているんだよ。
文化がろくな役に立たないんなら、そんなものはいらないと言えるだけの強さを持たないといけない。
自分の文化を創ること。
多くの人はそれが出来ない。
もうじき死ぬとはいっても、私のまわりには愛してくれる人、心配してくれる人がたくさんいる。
世の中にそう言える人がどれだけいるか?
人生で一番大事なことは、愛をどうやって外に出すか、どうやって中に受け入れるか、その方法を学ぶことだよ
愛を受け入れる。自分は愛されるに値しないとか、愛を受け入れれば軟弱になると思われがちだけれども、レヴァインという賢人が言ってるよ、「愛は唯一、理性的な行為である」と。
目に見えるものが信じられなくて、心に感じる物を信じなければあらないときがあるんだ。
他人から信頼してもらうには、こちらも相手を信頼してかからねばならない。
たとえ自分が暗闇の中にいようと。倒れるときでも。
他人を搾取するような仕事には絶対につかない。そして他人の汗でかねをかせぐようなまねはしない。
教師は未来永劫にまで力を及ぼす。影響がどこで止まるか、自分でもわからない
いずれ死ぬことを認めて、いつ死んでもいいように準備すること。
そうしてこそ、生きている間、はるかに真剣に人生に取り組むことができる。
今日がその日か?用意はいいか?するべきことをすべてやっているか?なりたいと思う人間になっているか?
毎晩眠りにつくたびに、私は死ぬ。そして翌朝目をさますとき、生まれ変わる。
家族から得られる支えとか愛とか、思いやりとか気づかいとかがなければ、人にはほかに何もないようなものだ。
愛は最高に大事なもの。
互いに愛せよ。さなくば滅びあるのみ。
今、私がやっているのは、経験から自分を引き離すっていうこと
これが大事なんだよ。
物に執着するな、諸行無常だから。
切り離すっていうのは、経験を自分の中に十分にしみこませること。
そうしてこそ、そこから離れることができる。
何でもいい、ある感情を例にとろう。女性への愛でも、愛する者を失った悲しみでも、私が今味わっているような死に至る病による恐怖、苦痛でもいい。そういった感情に尻込みしていると、つまり、とことんそれとつきあって行こうという考えを持たないと、自分を切り離すことはできない。いつもこわがってばかりいることになる。痛みがこわい、悲しみがこわい、愛することにつきものの傷つくことがこわい。
ところが、そういった感情に自分を投げ込む、頭からどーんととびこんでしまう。そうすることによって、その感情を十分に、くまなく経験することができる。痛みとはどういうものかがわかる。愛とは何かがわかる。悲しみとは何かがわかる。そのときはじめてこう言えるようになるんだ。「よし、自分はこの感情を経験した。その感情の何たるかがわかった。今度はしばらくそこから離れることが必要だ」と。
よし、たかが恐怖じゃないか。そんなものに支配されてたまるか。その素顔を見てやろう。
よし、さびしさと同居の時間は終わった。もうさびしいのはこわくない。さびしさは脇へどけて、世の中には他にも感情がいろいろあることを知って、それも同じように体験することにしよう。
離れるんだ。
恥ずかしいっていうのは、われわれの文化では、恥ずかしいことと教えられるからだ。しかし、文化がなんといおうと知っちゃいない。自分は生きている間だいたいこんな文化なんて無視してきた。恥ずかしがるのはやめよう。かわりに楽しむことにしよう。嬉しいなと思おう。
この国では、ほしいものと必要なものがまるっきりごっちゃになっている。食料は必要なもの、チョコレートサンデーは欲しいもの。自分を欺いてはいけないよ。最新型のスポーツカーは必要ではない。豪邸は必要ではない。
はっきり言って、そういうものから満足は得られない。ほんとうに満足を与えてくれるものは何だと思う?
自分が人にあげられるものを提供すること。
別にかねのことを言ってるわけじゃない。時間だよ。あるいは心づかい。話しをすること。そんなにむずかしいことじゃないだろう。
心を広く持ってはじめてどんな人とも対等に付き合うことができる。
人に与えることで自分が元気になれるんだよ。車や家じゃない。鏡に映る自分の顔じゃない。自分の時間を与え、悲しい思いをしていた人たちをほほえませることができれば、私としてはこれ異常ないほど健康になった感じがするんだよ。
こうしてあげたいと、心の底から出てくることをやるんだな。そうすれば、不満をおぼえることはない。うらやむこともない、人のものをほしがることもない。逆に、こうしてもらいたいと、心の中へもどってくるものには押しつぶされてしまう。
誰かといっしょにいるときは、ほんとうに掛け値なしにその人といっしょなのだ。まっすぐ相手の目を見、その相手がこの世でただひとりの人間であるかのように耳を傾ける。
その場に完全に存在しているっていうことが大事だと思う。つまり、誰かといっしょにいるときには、その人とまさにいっしょでなければいけない。今、君と話しをしているこのときも、私はふたりの間で進行していることだけに気持ちを集中しようとつとめているよ。先週しゃべったことなんか頭にない。今度の金曜日に何があるかも頭にない。君に向かって話しをし、君のことを考えているんだ。
相手を尊重していなければ、トラブルが起こる。妥協を知らなければ、トラブルが起こる。ふたりの間のことを率直に話せなければトラブルが起こる。人生の価値観が共通でなければトラブルが起こる。価値観は同じであること。そしてその価値観の中でも最大のものはね、自分の結婚が大事なものだという信念さ。
人間はあぶないと思うと卑しくなる。それはわれわれの文化のせいだよ。われわれの経済のせい。危険を感じれば、自分のことしか考えなくなる。おかねを神様のようにあがめ始める。すべてこの文化の一環だよ。だから私はその中へ入ろうとは思わないわけさ。
自分なりの文化を築くっていうのは、こういうことなんだ。小さなことはルールに従ってもいい。けれども大きなこと、どう考えるか、何を価値ありとみなすか、これは自分で選ばなければならない。誰かほかの人、あるいは社会まかせじゃ、だめだ。もっとやせていなければと思ったり、金持ちでなければって思うのも同じことで、文化がそう信じさせているだけの話し。そんなもの信じちゃいけない。どんな社会にもそれなりの問題があるよ。逃げ出せばいいってものじゃない。自分なりの文化を創るのが肝心なんだ。
人類という家族に投資しよう。人に投資しよう。愛する人、愛してくれる人の小さな共同社会をつくろう。
自分を許せ、人を許せ。
やらなかったことすべてについて。やるべきなのにやらなかったことすべてについてね。そのことをいつまでもくよくよ悔やんでもはじまらないんだ。今の私みたいになったら、そんなことをしても何にもならない。
仲直りすること、自分と、それから周囲の人すべてと仲直りしなければいけない。
人間は、お互いに愛し合える限り、またその愛し合った気持ちを覚えている限り、死んでも本当にいってしまうことはない。つくり出した愛はすべてそのまま残っている。思い出はすべてそのまま残っている。死んでも生き続けるんだ。この世にいる間にふれた人、育てた人すべての心の中に。
死で人生は終わる、つながりは終わらない。
重要な問題って何ですか?
愛とか、責任とか、精神性とか、意識とかに関係のあることだろうな。こういうものが問題になると思う。
いつもそうあるべきだったんだ。
人間関係に決まった処方はないよ、愛のあるやり方で調整しなければいけない。当事者両方に機会を与えてね。お互い何を望んでいるか、何を必要としているか、何ができるか、どんな生活かを考え合わせて。
ビジネスの世界では、勝つために交渉する。ほしいものを獲得するために交渉する。君はそれに慣れすぎているかもしれないよ。愛はちがう。愛は、自分のことと同じようにほかの人の立場を気にかけるものなんだ。
人生に意味を与える道は、人を愛すること、周囲のために尽くすこと。
良い言葉がありすぎて、メモしておきたいものがこんなに沢山。
ちょっと悩んでいるときこそ、いい本に出会えている気がする。
こんな本みたいに、どこかで人にいい影響を与えられる人間になろう。
If you are dying today, are you ready for it?