野上豊一郎のレビュー一覧
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世阿弥作、能楽論の古典。実際のところは、父・観阿弥の思想を後代に伝承するために書かれたものらしいです。「花」という言葉が多用されているため、一見、詩的・幻想的なことが書かれているのかと思いきや、内容はかなり現実的。たとえば、身分の高い人が観能にくるときは待たせぬよう開演時間を早めるのがよい、とか。室町時代、義満や公家の保護を受けていた能は、一歩間違えれば、いつ路頭に迷うかという不安もあったのかもしれません。実際、ドナルド・キーン氏の「能・文楽・歌舞伎」(講談社学術文庫)によれば、江戸時代、祝いの席での能を少しでも間違うと、切腹を命じられたという記述もあります。この本は、父(観阿弥)の子(世阿弥
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タイトルからして美しいことです。
古典というには新しい時代になるのでしょうが、
久方振りに古語辞典が必要やった。
読むのに四苦八苦で、
ページ数は少ないのに難儀した。
「否定を2回重ねてんやな」
「否定の後に断定やな」
などなど声に出して自己確認。
積み重ねた技と己の姿形を花に例えるあたりから、
精神論とか観念的なこと言われるのかと思ってたんだ。
しかし、
世阿弥にしても将軍の庇護を受けてた訳で、
高貴な人のパトロンを得る為に演じるノウハウ有り。
いやはや現実的な実践論です。
秘すれば花なり、秘せずば花なるべからず、となり。
この分け目を知る事、肝要の花なり。
そもそも、一切の事、 -
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とても短いが、要点が簡潔にまとめられており、その言葉の言い回しも、歯切れがよく美しい文章が多い。この本には、「花」という言葉が多く登場する。能の要点というのは、この「花」という一点に尽きて、ただひたすらにそれを、あらゆる言葉を用いて説明しようとしている書なのだと思った。
「花」というのは、気やオーラのような、目に見えない、言葉では表現しにくいものであるけれども、世阿弥はそれを極めて客観的に、論理的な文章で説明している。
この(12、3歳の頃の)花は、誠の花にはあらず。ただ、時分の花なり。されば、この時分の稽古、すべてやすきなり。さるほどに、一期の能の定めにはなるまじきものなり。この頃の稽古、