私がこの本を読もうと思ったきっかけは、子どもの小4の教科書にまどさんの「よかったなあ」が載っていたからだ。
よかったなあ 木や草が/ぼくらの まわりに いてくれて …
「よかったな」じゃなくて「よかったなあ」というのが、まどさんらしい。自分の心の声をそのまま言葉にしたら「あ」も付いてきた、みたいな
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蛇足だなんて全然感じない。むしろ「あ」があるからこそ、まどさんの詩は詩たりえるのだとまで言い切れる。「あ」が付くことによって広がる言葉の響きが、ぼくらの周りに存在する草や木や、鳥やけものや虫や、あらゆる生命がぼくらを包みこんでいるというニュアンスを伝えている。
そして改めてこの本を読んだ。「よかったなあ」で私が感じた印象を1ミリも損なわないまどさんの遊び心あふれた語りでいっぱいだった。
この本の読者はあらかじめまどさんが相当のご高齢だと知っているが、仮に、まどさんの語りの部分をラジオ番組で朗読すれば(もちろん年齢がばれる箇所はカット)、まさか90歳を過ぎた方の語りとは思えないだろう。とにかく視点がミクロかつマクロ。縦横無尽に駆けているような印象。現在のミック・ジャガーのステージングが70歳を越えているとはとても思えないのと同じようなものだろうか。
本を読むうちに、まどさんの心にはトゲなんか1本も生えてないんだなあと思うようになった。そして、たとえ自分が見つめる相手にトゲが生えていたとしても、まどさんはきっといいところを見つけ出し、詩にしてしまうだろう。なんせ、おならやうんちも詩にしてしまうような人だ。
一方で、あまりにも私たちに身近な題材で詩作するまどさんの作品を読むと、自分もこれならできるのでは…と思う人は多いのだろうか?いや、私たちとは決定的に違うところがある。
最近は「~させていただいた」なんて持って回ったような謙譲表現が堂々と表通りを歩いているが、まどさんだったらそんなお尻の穴がむず痒くなるような言い方はしなかっただろう。それはこの本の載っている数々の詩の息吹きを感じられればわかる。まどさんの言葉に対する姿勢は遊び心であふれているが、言葉の選択に対する態度は真剣で研ぎ澄まされている。
そんなまどさんだからこそ、自分が息をしているそのまわりに、草や木やそれこそ目に見えないものも含めた生命が何億、何兆、いや、もっと数かぎりなくいて、一つひとつがみんな、めいめいに違っているということに気づき、そしてそれを小学生でもわかるようなやさしい言葉で結晶化している。それによって、数多くの易しい言葉=優しい言葉が生まれたのだ。
その証拠に、まどさんの遊び心あふれた詩の数々は、木喰の木彫りの仏像のように、親しみと崇高さの両方を兼ね備えている。