森川すいめいのレビュー一覧
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Posted by ブクログ
【概要】
日本では調査上のホームレス数が減っているが、「安心していられる場を失った人」はずっと多い。公園のベンチは撤去され、駅地下では警備員が二時間ごとに巡回している。マイノリティの居場所を奪い、箱に閉じ込めようとする社会で、彼らは漂流している。著者水川すいめいのフィルターをかけたホームレスの実態が述べられている。
【感想】
第一に、ホームレスやアルコール依存症、統合失調症などになるのは本人の能力のなさや努力の足りなさではないと私も思う。しかしこうした考えをもっているのもマイノリティだろう。多くは自己責任論で彼らを責めたて、個人ではなく病人や障害者という箱に押し込め、環境との相互作用を考慮することなく彼ら自身を変えるか排除するかで必死だ。問題は彼ら自身にあるのではないから、そんなことをしても社会復帰はしないのに。(社会復帰すら望んでいないのかもしれないがそれは経済的観点から見ても社会にとって大損失である)
この本を読んで、彼らが社会の一員として居心地良く生きるためには、温かいコミュニケーションが重要だと思った。相手に興味をもち、彼らの能力より想いに耳を傾け、それに受容的な言葉と態度で接してゆく。信頼関係を築き、その輪を立場や生い立ちによらず広げてゆく。ソーシャルワーカーを目指すものとして、そんなソーシャルワークを実践していきたいと強く思った。
また、『私たちが「結婚するときはダイアモンドを贈れたらいい」と思っていた程度のことで、戦争が起きるのである』という言葉は非常にショッキングだった。
自分は何も知らない。私の日常が世界の誰かを死なせているかもしれないことを何も知らない。
人と人を繋げるソーシャルワーカーになるのなら、人がいる現場にもっと赴いて学ばなければならないと感じた。
「平等」の解釈は難しいものだが、同質であることを強要せず、異質さを許しあい活かし合う社会になってほしい。
【メモ】
・「平等だということが差別になることもある」
・困窮化にある家族を救いたくないと思う家族もいる、世間からのスティグマが気になる「恥ずかしい」
・知的障害があるのに、環境に恵まれず診断を受けることがなく、本人の性格や努力不足の問題だと周囲に決めつけられたりして、どうにもならないと自信で感じている人たちは、人口の1%前後いる
→自分を責めないでほしい、ありのままの自分を好きになってほしい
・経済合理性の名のもとに、確証バイアスが生まれている。効率的なコマにならない人を社会の中にある箱に隔離し、自分らしく自分のペースで生きることを拒否した社会、日本
・医療は脳へ治療はできたとしてもこころを治すことはできない
→温かい人との繋がり、言葉、態度
・認知症対策
行きたい場所で最期を迎えることができる体制
・アルコール依存症対策
・ハウジングファースト=まずは、住まいを=本人がどこに住みたいかについて、周囲は本人の能力をジャッジしない
認知症やアルコール依存症になっても自分は自分であり、何も変わらない。それなのにいきなり知らない人と、知らない街で暮らすことを強要される
だから、失踪する人が絶えない
・最も弱い立場を体験した人々は、人がどうして苦しいのかをよく知っていて、どうしたら生きられるのかをよく考えてきた人たちである。これからの希望であ
る。
・こちらが言いたいことを伝えるのではなく、相手が何を考えているのかを聴く。相手に興味をもつ -
Posted by ブクログ
①その人のいないところでその人の話をしない
②1対1ではなく3人以上で対話する
これだけのことで精神病院に入院する患者の数が減り、処方する薬の量も減ったという。
しかも、②は3人以上の方が対話が成り立ちやすいというだけで、必須ではないという。
「無意識とは、他人が思う自分のこと」と聞いたことがあるが、①はそれと関係してるようにも思う。
「対話」だけでなぜ?とも思うが、本書を読むとそりゃそうかという気もしてくる。
異物として排除するのではなく、人と、困難と向き合う、ということのようだ。ただし、本当に向き合うためには医師/患者という上下関係の鎧をまとうことはできない。これは非常に恐いことのように思う。
『送別の餃子』と、人を信じるという点で共鳴した。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ精神科医である著者が、オープンダイアローグと出会い、患者への支援に取り入れるまでの流れを語ったエッセイです。
オープンダイアローグとは、フィンランドで発祥した精神病治療の手法のひとつで、「本人のいないところで、その人の話をしない」というポリシーを基本とし、その人に関わる複数の人がともに対話することによって問題の低減をめざすものです。
ここで言う「本人」とか、「その人」というのは「話題の中心である問題を抱えている当事者」を想定しています。
仮に引きこもりの子どもがいたとして、親や先生だけで精神科医に見解を聞き、当人なしでその人への対処を決める、というようなことはしない、というイメージです。
問題を抱えた本人が、話したいことを話し切ることこそ、回復につながる重要な要素と考えられています。
「当人の話を聴く」という点で似ているカウンセリングと大きく異なる点は、1:1ではなく、複数の人が同時に対話に参加する点です。
カウンセリングにおいてカウンセラーはクライエントよりも統合している(現実世界と自己の間に乖離がない状態)必要があります。クライエントの話を聴きながら、問題の把握とその原因の見立てをおこない、適宜質問を交えて、『気づきに導く』ことが期待されます。カウンセラーにとって、クライエントの話を聴くことは、相手に話してもらうための手段であり、治療のための情報を得るために必要なものだと言えます。
一方で、オープンダイアローグにおいて患者の語りとは、支援者側を『気づきに導く』ためのもの、と言えると思います。当事者が自由に話すことから、当事者が本当に求めていることを理解して、それに対して自分はどうしていきたいか伝え、またそれに答えてもらい…という対話になります。
精神疾患の患者自身は、症状により、話したいことを話せない状況にあることもあります。そのため、その支援者がせっかちに「こういう状態が正しいのに、今は正しくないのだから直さないと」と、勝手な解釈をして話を進めていくことで、治療が患者の意思からどんどん離れていくことが起こり得ます。
なぜそういう状況になるかといえば、本書の中でもたびたび著者も言及しているように、支援者側に時間がないから、の一言に尽きます。
精神疾患の症状が進み、脳の認知能力が低下している状態では、他者の言葉を理解したり、自分に関わるものごとを言語化したりすることが非常に困難になります。それが言葉になって出てくるまで、支援者側に待つ時間的余裕がないのです。そのため、本人がどうしたいのかではなく、支援者側が状況から判断した「たぶんこうだから、こうしよう」で患者をコントロールしていくことになるのです。そうやって支援者側の効率を優先した結果、患者は支援者への信頼を失い、さらに問題が悪化するという悪循環に陥りがちです。
一方、オープンダイアローグでは、支援者は強制的に患者の話を聴く時間を持ちます。患者が話すことを促し、すべて話し切るまで対話は終わりません。途中で中断しても、必ずまた対話を再開するのです。
ゴールは問題の解消ではなく、支援者の介入がなくとも、当事者同士の対話が続くことなのです。
現実社会では、1:1の場面はほとんどなく、複数の人が関わり合っている状況がほとんどです。
オープンダイアローグは、現実世界での理想的な対話を疑似体験するもの、と理解しました。
ここで、精神疾患の状態が重くなればなるほど、オープンダイアローグの場が成立する可能性が低くなるのではないか、とはいう疑問も湧きます。
フィンランドでこれがうまく行くのは、症状が軽度なうちから受診をするからではないでしょうか。日本では、生活に相当支障がある状態でなければ「問題」とは言わないので、この時点ですでに当事者が対話することが困難になっていることがほとんどではないでしょうか。
著者も何度か「日本の医療制度の中で実践することは難しい」と述べており、医師の診察というよりも、看護師やソーシャルワーカーがどう支援するかを考える場で取り入れている様子が見られます。
また、話の中心になる患者を「支援されるべき弱い人」とするのではなく、回復の当事者という役回りの登場人物として、お互いを対等に扱えることも、オープンダイアローグを成立させるために重要なことだと感じました。これについても、本書のなかで、『ケロプダス病院の7つのルール』として紹介があります。
オープンダイアローグが有効なのは、症状が比較的軽く、社会復帰を目指す段階のように思えます。例えば復職を考える際に、患者本人、看護師、心理士、家族、復職先の人事などの関係者が参加し、患者本人の話を聴きながら対応を相談していくのが、オープンダイアローグで実践できると、全員にとって納得感のある対応に向かえるように思いました。この場合も復職することがゴールではなく、復職後も患者本人と対話を続けるためのスタート地点としてオープンダイアローグを始めることになるように思います。
自分の場合では、どういう場面で活用できるだろうか?というのも、考えていきたいと思う。 -
Posted by ブクログ
audible15冊目。
オープンダイアローグの具体的な手法について詳しく書かれているのかな?と思っていましたが、手法としては、いたってシンプルなのだということを理解できました。
紹介に書かれているようなシンプルな方法で、ただ「実直に」対話する。
わたしも仕事柄、子どもたちや保護者の方々と「面談」「相談」をする機会がたくさんありますが、「15分程度」で、「必要なことを聞き、伝える」という目的があるから、かなり形式的なものになっています。
一方で時々、別枠で相談を希望されて対応しますが、その時は大体、2時間コースです。
話したいことを、話し切る…という意味では、やはり1時間から2時間は必要ということでしょうか。
「診察」に時間をかけていると経営が立ち行かなくなるという話、なるほどでした。
単純なことなのに、患者目線では全然思いつきませんでした。
オープンダイアローグの場に、医師だけではなく、看護師や作業療法士が立ち合えるようにするのは良い方法だと思います。