新井政美のレビュー一覧

  • オスマンvs.ヨーロッパ 〈トルコの脅威〉とは何だったのか

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    【オスマン帝国においてイスラムは、現場に応じて対応する現実的性格を示してきたが、それはさらなる自己変革を遂げる前に「西洋の衝撃」を受け、しだいに防衛のための(あるいは抵抗のための)拠り所と化してゆくのである】(文中より引用)

    オスマン帝国とヨーロッパの関わりを地域交流史として描き出す一冊。ヨーロッパにおいてトルコが今日においても特別な位置を占めている理由の一端が読み取れる作品でした。「トルコ行進曲」にまつわるトリビアについても興味深かったです。意味する著者は、トルコ歴史協会名誉会員を務める新井政美。

    「イスタンブール」の名前の由来って意外なところにあるんだなと☆5つ

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    2021年04月15日
  • イスラムと近代化 共和国トルコの苦闘

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    【間を通るか,橋をかけるか】題名が示すとおり,イスラムと近代化という重要な課題を,トルコ共和国の例を通して眺める作品。近代という位相を通り抜けるにおいて,トルコの人々がいかに格闘してきたかを簡潔にまとめています。著者は,東京外国語大学でトルコ近代史を専攻する新井政美ほか2名。


    オスマン帝国の崩壊から現在にかけてのトルコの歴史が,まさに「怒涛」とも言えるものですので,その歴史を概観するだけでも興味深いのですが,そこに更にイスラムとの関係性という縦軸を引くことにより深みを与えることに成功した作品。イスラムと近代化という課題が,(トルコだけでなく複数のイスラム諸国で)現在進行形であることもよくわ

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    2018年08月01日
  • イスラムと近代化 共和国トルコの苦闘

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    p.244,L.27~ムスリムが圧倒的多数を占める国でありながら、そこを統治するものがイスラムを排除しようとするという稀有の経験をしたのが、トルコ共和国なのである。

    著者がおっしゃっていた通り、西洋の科学って真にかぶれやすいという厄介なものなのですね。

    イスラムの考え方には共感する。
    神は「存在するもの」としてではなく、信じようとすること、生活様式としてしか表せない。

    科学、技術は素晴らしい。世の中を分類し何とか人間が制御しやすいようにしようと努めてきた積み重ねだもの。

    自然を敬い、おそれ何とかそれと付き合おうとするとき「神」というものが生まれる。
    そこまではいいんだけど、その「神」を

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    2013年05月02日
  • イスラムと近代化 共和国トルコの苦闘

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    トルコの近現代政治史です。ケマルの大胆な改革による世俗主義とイスラム主義との100年にわたるせめぎ合いが描かれています。日本も含めて、近代社会、近代国家の歴史と今後を考えるために、多いに考えさせられる本です。

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    2018年12月23日
  • イスラムと近代化 共和国トルコの苦闘

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    宗教と政治。そのどちらもがナショナリズム=自分たちとは何かというアイデンティティの主導権争いの舞台であり、道具であることをトルコを通して詳述。

    トルコのデモが今、メディアを通して報道されているが、その主導権争いはまだまだ続いている。

    それにしても、イスラムについても、トルコについても知らないことが多すぎる。

    最後に、多元主義の実現はなぜ難しいのだろうか。本書では明示されていないが、大衆が重要なファクターではないかと私は思う。

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    2013年06月21日
  • オスマンvs.ヨーロッパ 〈トルコの脅威〉とは何だったのか

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     トルコ系遊牧民の興亡を前史として、10世紀半ば以降のカラハン朝、ガズナ朝に代表されるトルコ族のイスラム化、そしてセルジュク朝によるアナトリアのイスラム化という歴史が語られる。
     14世紀からオスマン朝の発展が始まる。ビザンツ領への進出、さらにバルカンへの進出。このような軍事的発展を支えたものが、有名なイェニチェリであった。ティムールに一敗地にまみれるが、何とか復興し、これまた有名な1453年のコンスタンティノープル征服となる。

     壮麗王スレイマン大帝の治世、同時代ヨーロッパにはカール5世やフランソワ1世がいて、敵対、協調関係が繰り広げられ、ウィーン包囲に至る。帝国最盛期とも言われる時代であ

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    2021年04月30日
  • オスマンvs.ヨーロッパ 〈トルコの脅威〉とは何だったのか

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    オスマン帝国の成立以前、遊牧民であった頃からのトルコ族(とその他の民族の共同体)の強みであったのが「柔軟性」。人種や宗教の違いを柔軟に受け入れ、交易などで実をとった。柔軟性が帝国の拡大と停止とともに失われ、硬直した体制になっていったことが、オスマン帝国の衰退の要因。一方のヨーロッパは中世こそ硬直したカトリック体制だが、トルコの脅威を受け近代化、そして逆転。
    組織が停滞したときに、硬直的な勢力が出現して組織が停滞してしまうのは、いつの時代でもあることのようだ。

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    2021年04月25日