皿木喜久のレビュー一覧

  • 子供たちに伝えたい日本の戦争 あのときなぜ戦ったのか

    Posted by ブクログ

    日清戦争から詳細に歴史をたどっているのでわかりやすい。
    でもこれ・・・産経新聞で連載が続いているんですが・・
    1冊にできるまで出版は待てなかったんだろうか・・・。
    続編読まないといけなくなるやん。

    まぁ、新聞で読めばいいんですが^^;内容忘れそうだ^^;

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    2014年10月10日
  • 子供たちに伝えたい日本の戦争 あのときなぜ戦ったのか

    Posted by ブクログ

    今年(2014)の夏は日本が明治から昭和にかけて戦った戦争について解説した本に出会えました。私が学校の授業を通して感じてきたことは戦争を否定的に捕らえることが多く、あの選択が間違っていた・軍部が暴走した、というものでした。

    そのような一面があったのは事実と思いますが、当時も今と同様に議会で国の方針を決めていて、国民の世論もそれらを支持していたはずです。今後無駄な戦争をしないためにも、この本の主題である「日本が戦った本当の理由」を学んでおく必要があると思いました。

    この本は、親が子供に伝えるために知っておくべきことが書かれてあります。私の人生から見れば、このような本に出合えたことは良かったと思いました。

    以下は気になったポイントです。

    ・日清戦争にて海軍に優れていた清に日本が圧勝したのは、戦術が優れていた以上に、士気の高さ、が違っていた。明治天皇は、広島の大本営に行幸して半年間も泊り込んだ(p31)

    ・山地の多い台湾の東部は19世紀に入っても未開拓であった、最初の3年間は高山族の激しい武力抵抗にあって、日本国内では台湾売却論まで出る始末であった(p35)

    ・3代目の台湾総督である乃木氏は1年あまりで辞め、4代目の児玉の起用によってようやく統治が本格化した(p37)

    ・1900年に激化した義和団に対して英軍を中心とする列強軍は北京に入れず天津に引き返すほど。7月に日本が英国などの要請を受けて2.2万人の兵員を送り込むと攻勢に転じて、8月中旬に8カ国連合軍が北京制圧に成功(p46)

    ・1904(明治37)ロシアと戦端と開いた日本は旅順を標的として全滅させた(12月)、一帯を清国から租借するロシアがここに太平洋艦隊を集結させていたから。その前の8月にはウラジオストク港に拠点をおく「ウラジオ艦隊」を無力させていたので、日本海・黄海の制海権を握った(p58、65)

    ・第一次世界大戦当時、英国・ロシア・フランスからも欧州戦線への派兵要請があったが断り続けた。ようやく1917(大正6)に、巡洋艦「明石」を派遣して英国など連合国の輸送船をドイツ潜水艦から守ったが、陸軍の派兵は見送った(p87)

    ・平成24(2012)秋に東京駅がリニューアルされたが、大正3(1914)に開業した当時の姿に復元されたといった方がいい(p101)

    ・欧州を中心に行われた一次大戦は、850万人を超す戦死者を出し、国民を総動員する戦いを経験していた。日本は兵器の急速な近代化を必要とするほどの激しい戦いはしていなかった(p107)

    ・海軍の予算は大正10年には国家予算の3分の1にあたる5億円だったが、12年には2.8億円に削減された。これにより世論は陸軍にも軍縮を求めた(p108)
    ・日露戦争後、中国・遼東半島の租借権を得た日本は、この地を関東州として、関東総督府を置いた。関東州や経営権を得た南満州鉄道とその付属地の警備にあたり、大正8年に独立した関東軍となった(p128)
    ・リットン報告書は、満州国が現地民の自発的運動により樹立されたものでない、と日本の主張を退けたが、満州の自治・満州における日本の利益(関東軍の存在)も認めていた(p131)

    ・英東洋艦隊の2隻の戦艦(プリンスオブウェールズ、レパレス)は日本の航空隊に急襲されて沈没した(p194)

    ・開戦から4日後に発表したものによると、あの戦争の日本での正式名称は「大東亜戦争」であったが、GHQがこの名称を使うことを禁じた。アジアの新秩序建設や解放という日本側の大義名分を感じたから(p196)

    ・ジャワ島において日本の2倍(現地兵入れて8万人)いる連合軍に完勝できたのは、寄り合い所帯の弱さもあったが、それ以上に「親日」的な現地人の存在があった(p201)

    ・特攻隊の成果は日本側はつかめなかったが、米国の報告によれば、沖縄戦だけで空母から上陸用舟艇まで、250隻が損害を受け、駆逐艦以下34隻が沈没した。最も大きな戦果は、米軍に恐怖の念を与えたこと(p230)

    ・昭和20年1月に、マリアナの米軍B29爆撃兵団の指揮官が、カーチス・ルメイ少将に代わったことで、夜間低空から焼夷弾を使う無差別じゅうたん爆撃が採用、非戦闘員も対象となった。その最初が、3/10の東京、大阪を経て、17日には309機のB29が神戸に来襲(p234)

    2014年9月17日作成

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    2014年09月17日
  • 子供たちに伝えたい日本の戦争 あのときなぜ戦ったのか

    Posted by ブクログ

     日清・日露戦争から第二次世界大戦までの日本が戦った理由について、冷静な史観でまとめられています。

     副題には、「子供たちに伝えたい」とあり、自分自身しっかりと向かい合っていなかったことを感じていたので、手に取りました。

     産経新聞で週一回連載したものをまとめたもので、連載中から読んでいたのですが、こうして一冊の本としてまとめて読むと、世界的な視野や、歴史の流れがとても分かりやすかったです。

     まさに今、集団的自衛権も認められている中、世界的な視野で冷静に平和について考えなければならないと改めて感じました。

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    2014年08月05日
  • 子供たちに伝えたい日本の戦争 あのときなぜ戦ったのか

    Posted by ブクログ

    戦争の経緯や歴史など分かりやすく解説し読みやすかったが、あの戦争(太平洋戦争)は避けようがなかった、日本は戦うしかなかった、日本軍(陸軍)の作戦の拙さも指導者も個人の責任ではなくそうせざるを得なかった・・・との著者の思いが強く感じさせられ、違和感が残った。

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    2025年09月19日
  • 子供たちに知らせなかった日本の「戦後」

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    産経新聞において平成25年から、足掛け2年かけて「子供たちに伝えたい日本人の近現代史」という連載があり、それを本にしたものがこれです。近代や現代の日本史を学びなおしたい私にとっては、子供に対してよりも、まず私が勉強しなければと思って、この本を読みました。

    最近、この種類の本を読むことが増えてきましたが、最大公約数で考えると、昭和天皇が如何に偉大であったかが理解できました。

    戦後70年経過して、米国をはじめ、中国やロシア、EUとどのように付き合るかを考えるうえで、いままでどのような付き合い方をしてきたかを知ることも大事だなと思いました。

    以下は気になったポイントです。

    ・20年12月に農地調整法改正法案が議会で可決されたが、これでは従来の小作地の40%程度しか解放されず、GHQは国が地主から農地を買い取り、小作農に売り渡す方式の改革案を勧告した(p27)

    ・21年3月、来日した米国の教育使節団もローマ字の一般使用を勧告したが、23年8月に全国2万人余りを対象にした、日本語読み書き能力調査で過半数が90点満点の80点以上であり、漢字の習得に苦労していないことがわかり、民間情報局(CIE)内部の日本人職員の強い抵抗もあり、ローマ字化を断念した(p31)

    ・天皇の御巡幸は、22年12月を最後に長い中断となった。昭和天皇の人気をGHQの一部が恐れて嫉妬したので(p34)

    ・昭和22年10月、天皇の弟の直営である、秩父宮、高松宮、三笠宮を除く、11宮家51人が皇族を離れることとなった(p36)

    ・新憲法の公布を受けて昭和22年4月に行われた総選挙で、吉田茂の自由党は、第二党に転落、社会党が第一党となった(p41)

    ・連合国は日本人の戦犯を、A,B,Cの3クラスに分けた。A級は「平和に対する罪」で、東京裁判で裁かれた。B級は「通常の戦争法規違反」、C級は「人道に対する罪(捕虜虐待)」であり、各国がそれぞれ裁判を行って処刑した。記録を公表したのは米国のみ(死刑141名)で、6か国で少なくとも、971名が死刑判決を受けた(p52)

    ・降服した時点で、東南アジア、中国大陸など、海外には660万人の日本人が在留していた。350万人が軍人軍属で、残りが民間人だった(p74)

    ・米国は日本さえ骨抜きにすれば、東アジアは平和になると思ったが、現実は逆であった。ソ連は北朝鮮を支配下に置いて、中国ともに共産主義の南進をはかったのが朝鮮戦争、このため方針を百八十度変換して、日本共産党を中枢から追放、警察予備隊創設を求めた(p86)

    ・昭和24年には、古橋選手が全米選手権で大活躍した後の、2か月半後に、湯川秀樹博士がノーベル物理学賞を受賞した。その日は明治節が衣替えした、文化の日で、皇居で文化勲章の授与式が行われていた(p115)

    ・湯川の1歳年上の、三高・京大を通じて机を並べた、朝永振一郎は、昭和40年に2人目の受賞者となった(p118)

    ・奄美群島は、琉球諸島、小笠原、および、千島列島、歯舞諸島とともに日本の領土から切り離したときに含まれた。薩摩藩に支配される前は、琉球王国の一部と米国は認識していたので(p121)

    ・1945年、第二次世界大戦の連合国(戦勝国)を中心に51か国でスタートをきった国際連合は、10年間で加盟を認められたのは9か国(p129)

    ・昭和30年9月に始まった総会にて、21カ国の申請待機の国から、南北に分裂していた朝鮮とベトナムを除き、新たにスペインを加えた18か国を一括して加盟させた(p130)

    ・公明党の竹入委員長は、田中角栄と近く、さらに中国との太いパイプを持っていて、周恩来と会談した。そこで示された中国案、1)中華人民共和国が唯一の政府、2)台湾は中国領、3)日華平和条約は放棄すべき、さらに、賠償請求権の放棄、日米安保条約の容認、尖閣諸島を持ち出さない、であった(p210)

    ・教科書書き換え問題(侵略→進出)は、全くの誤報であったことがわかり、産経新聞は9月7日に謝罪記事を掲載した(p219)

    2015年10月11日作成

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    2015年10月11日