あらすじ
第1章 「自虐史観」はGHQの占領政策から始まった
米国の歴史観押しつけ/ニューディーラーの「日本改造」/日本人を恐れ「骨抜き」へ 他
第2章 東京裁判と「米国製」憲法の呪縛は続いている
戦勝国の報復だった裁判/突然出てきた「南京大虐殺」の怪/米国の「素人」が作った憲法 他
第3章 「日本弱体化」を止めたのは冷戦の深刻化だった
難業だった引き揚げ支援/朝鮮戦争から「強い日本]求める/改憲拒み続けた吉田首相 他
第4章 東西対立のはざまで国際舞台へ復帰果たした
国際的地位高めた水泳の活躍/奄美群島8年ぶりに復帰/苦悩の日ソ国交回復 他
第5章 針路定めた日米安保改定への無理解はいまも続く
真の独立目指して保守合同/「対等な同盟国」目指して安保改定へ/本質見失った「安保反対」 他
第6章 高度成長の光と影は日本を大きく変えた
経済成長支えた集団就職/国と人の曲がり角になった東京五輪/成長への試練、伊勢湾台風 他
終 章 「戦後」の清算なしに喫緊の課題は解消できない
李承晩の竹島略奪と日韓基本条約/沖縄復帰と「密約」問題/田中政権登場で日中国交回復へ/対ソ緊張で尖閣まで譲歩した周恩来/歴史問題、領土問題克服へ
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Posted by ブクログ
産経新聞において平成25年から、足掛け2年かけて「子供たちに伝えたい日本人の近現代史」という連載があり、それを本にしたものがこれです。近代や現代の日本史を学びなおしたい私にとっては、子供に対してよりも、まず私が勉強しなければと思って、この本を読みました。
最近、この種類の本を読むことが増えてきましたが、最大公約数で考えると、昭和天皇が如何に偉大であったかが理解できました。
戦後70年経過して、米国をはじめ、中国やロシア、EUとどのように付き合るかを考えるうえで、いままでどのような付き合い方をしてきたかを知ることも大事だなと思いました。
以下は気になったポイントです。
・20年12月に農地調整法改正法案が議会で可決されたが、これでは従来の小作地の40%程度しか解放されず、GHQは国が地主から農地を買い取り、小作農に売り渡す方式の改革案を勧告した(p27)
・21年3月、来日した米国の教育使節団もローマ字の一般使用を勧告したが、23年8月に全国2万人余りを対象にした、日本語読み書き能力調査で過半数が90点満点の80点以上であり、漢字の習得に苦労していないことがわかり、民間情報局(CIE)内部の日本人職員の強い抵抗もあり、ローマ字化を断念した(p31)
・天皇の御巡幸は、22年12月を最後に長い中断となった。昭和天皇の人気をGHQの一部が恐れて嫉妬したので(p34)
・昭和22年10月、天皇の弟の直営である、秩父宮、高松宮、三笠宮を除く、11宮家51人が皇族を離れることとなった(p36)
・新憲法の公布を受けて昭和22年4月に行われた総選挙で、吉田茂の自由党は、第二党に転落、社会党が第一党となった(p41)
・連合国は日本人の戦犯を、A,B,Cの3クラスに分けた。A級は「平和に対する罪」で、東京裁判で裁かれた。B級は「通常の戦争法規違反」、C級は「人道に対する罪(捕虜虐待)」であり、各国がそれぞれ裁判を行って処刑した。記録を公表したのは米国のみ(死刑141名)で、6か国で少なくとも、971名が死刑判決を受けた(p52)
・降服した時点で、東南アジア、中国大陸など、海外には660万人の日本人が在留していた。350万人が軍人軍属で、残りが民間人だった(p74)
・米国は日本さえ骨抜きにすれば、東アジアは平和になると思ったが、現実は逆であった。ソ連は北朝鮮を支配下に置いて、中国ともに共産主義の南進をはかったのが朝鮮戦争、このため方針を百八十度変換して、日本共産党を中枢から追放、警察予備隊創設を求めた(p86)
・昭和24年には、古橋選手が全米選手権で大活躍した後の、2か月半後に、湯川秀樹博士がノーベル物理学賞を受賞した。その日は明治節が衣替えした、文化の日で、皇居で文化勲章の授与式が行われていた(p115)
・湯川の1歳年上の、三高・京大を通じて机を並べた、朝永振一郎は、昭和40年に2人目の受賞者となった(p118)
・奄美群島は、琉球諸島、小笠原、および、千島列島、歯舞諸島とともに日本の領土から切り離したときに含まれた。薩摩藩に支配される前は、琉球王国の一部と米国は認識していたので(p121)
・1945年、第二次世界大戦の連合国(戦勝国)を中心に51か国でスタートをきった国際連合は、10年間で加盟を認められたのは9か国(p129)
・昭和30年9月に始まった総会にて、21カ国の申請待機の国から、南北に分裂していた朝鮮とベトナムを除き、新たにスペインを加えた18か国を一括して加盟させた(p130)
・公明党の竹入委員長は、田中角栄と近く、さらに中国との太いパイプを持っていて、周恩来と会談した。そこで示された中国案、1)中華人民共和国が唯一の政府、2)台湾は中国領、3)日華平和条約は放棄すべき、さらに、賠償請求権の放棄、日米安保条約の容認、尖閣諸島を持ち出さない、であった(p210)
・教科書書き換え問題(侵略→進出)は、全くの誤報であったことがわかり、産経新聞は9月7日に謝罪記事を掲載した(p219)
2015年10月11日作成