田中真知のレビュー一覧
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ネタバレ
"なぜ風景を見て美しいと感じられるのか。子どもの頃はなんとも思っていなかったはずだ。
それは、こうした風景を美しいとする文化の中で生活するうちに、その文化の見方にしたがって自分の感性がつくられていったからだろう。"
子どもの頃に、風景を美しいと思った記憶。
小学五年生の頃のプリンスエドワード島。
それまではどんな世界遺産も絶景も、心奪われることはなくこの著者と同様に眼前の楽しさに夢中になり、景色の記憶はないに等しい。
それがこの土地に降り立った時、言葉にできない衝撃が胸にきて、島を巡る日々の中でじわじわと心ゲージが満たされていったのをよく覚えている。
あれはそれまでの文化的学びとはまた別物で、景色を美しいと働いた直感だったと思う。
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Posted by ブクログ
この本はタイトルで選んだ。「美しいをさがす旅にでよう」
古今東西、「美しい」とされるものたち。
自然、黄金律、美人、アート、身体変工。
その成り立ちや文化的背景を解説していく。
或る文化では美しいとされるものが、私たちにはガラクタのように見えることもある。
なにを以て私たちは美しいとジャッジするのか。
そう思って観るから美しいのだ。必ずしも美が先にあるものではない。
価値観は知らないうちに培われる。自分を取り巻く環境や時代によってがらりと変わる。
敗戦という大きな節目で強制的に変わることもある。
でも、お仕着せの価値観でさえ慣れてしまえば、それが基準になりかわる。
私と小鳥と鈴と。みんな違ってみんないい。
頭ではわかっているつもりでも、改めていろんな具体例に触れると、いかに自分の物差しで
測れないものが世界にはたくさん存在しているのかに気づかされる。
そしてその基準は実は移ろいやすく、絶対のものでもないから、私たちはそれぞれの感じる美しさを
尊重しなければならない。特定の方向から見た世界だけが美しいなんて、ありえないことだからだ。
自分には知りえない素晴らしいもの、美しいものが、世の中には数えきれないほどある。
それを教えてくれた本だった。
自分にはない価値観を受け入れられる、のびのびとした感性を持ちたいと願う。 -
Posted by ブクログ
無駄の削ぎ落とされた文章。
印象に残っていること・新たに得た知見をを箇条書きにしていく。
・『七つの人形の恋物語』サブパーソナリティ
・エジプトのザール
悪霊の気に入ったリズムが見つかると激しく踊ったり泣いたり叫んだりして感情を解放する。そうやって悪霊の機嫌をとる。
・『天国の根』なにかにふさわしい存在であろうとする「態度価値」
・『ベルリン・天使の詩』
・互いに安全に傷つくためにこそ対話がある。
・星新一『ボッコちゃん』肩の上の秘書
・無駄とは無駄なのか。効率性とは、大抵の場合、自分以外の誰かの都合に合わせるためのもの。
・自分が善良でいられるのは、自分が善良な性格だからではなく、善良でいられる環境の中にたまたまいられたからである。
・亀には亀の世界があり、こちらの期待の枠にはめないで見ると、そのままでおもしろく見えてくる。
・武者小路実篤の馬鹿一
・物語を通さないと、私たちは世界を理解できない。
・善や正義の名の下に、暴力によって悪を懲らしめるという物語は枚挙にいとまがない。
・普通の家族ってすばらしい、親子ならきっと分かり合える、という言葉も、スタンダードな家族や親子の形が存在するという前提の上に成り立っている。そうでない家族や親子関係の中で育った人にとっては、それも呪いになりうる。
自分で自分を責めたり、否定したりしている時、そこには必ず自分がとらわれている物語がある。呪いの物語を火にくべて、灰にして、夜空に返す。
・問題が起きた時、ひとりで思いつかない考え方や可能性に辿り着く手がかりを与えてくれるのは、大抵、他者である。
・死者は、あの世へ行ったのではなく、死者という形でこの世に存在し続けている。
・犠牲になった者たちの無念を晴らす、などと言って、他人を操作するために死者を利用するのは冒涜。
・ふいに言葉が途切れた沈黙の瞬間を、天使が通った、という。 -
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「風をとおすレッスン」とあり、サブタイトルには「人と人のあいだ」と付けられているが、特に印象に残ったのは、「自分の中にあるあいだ」ともいえる話だった。
人間関係に関する話に見えて、実際、人と人との距離感の話もしながら、この本は、「「私」の中の小さな私たち」から話が始まる。つまり、いかに自分自身が一人の人間でなくて、様々な「自分」でできているか。まずは、自分の中にある矛盾した自分たちの間に風をとおすところからレッスンは始まる。
本の中で紹介されるのは、コミュニケーションをより上手にするためのノウハウといったものではない。よく意味がわからなくても、一つのコミュニケーションが成り立っている居心地のいい様々な空間である。
それは、どこかの村の寄り合いであったり、何を考えているのかよくわからないカメと過ごした毎日であったり、旅の途中、焚き火の周りで座って語り合った時間であったりする。また、とある国のシャーマンによる「占い」であり「治療」であり、エジプトの人々同士の著者から見ると少し過剰に見えた日常会話であり、ザールと呼ばれる悪霊祓いの儀式であった。
それらは一見して素敵に見える場所であったりもするが、傍から見ればよく意味のよくわからないもある。その場に暮らしている人たちにとって、そうした空間、時間があることの意味を、時に、フィクションの物語なんかも引き合いに出しながら、筆者なりの感性で語っていく。
しかし、傷つかないために対話をするのではない。むしろ逆である。互いが安全に傷つくためにこそ対話がある。(p70)
「期待しないコミュニケーション」という言葉が印象に残った。言葉をコミュニケーションの道具だとして見ているうちは、自分の発した言葉に誰かが何かを返してくれることを期待する。その期待が達せられなかったときに、人は人との関係の中で傷ついていく。
本の中で紹介される事例は、どれも特別なものに見える。ただ、こうした風とおしのいい空間の話を聞いたところから、自分の身の周りに、ああ居心地がいいなと思える瞬間を見つけていくこと、そういった瞬間を一つずつ増やしていくことで、友人や職場、家族との関係のあいだに風がとおるようになっていくのだなと思う一冊だった。 -
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人間関係や、自分の中の複数のアイデンティティについて、少し距離を置いて風通しをよくすることで、縛られることなく、客観的な視点で向き合えるようになるのではないかという提案の本。
アフリカで過ごした経験や、本を読む中で、著者が得た、生きる上で大事な気づきが、短い章立てでまとめられている。
また、取り上げられる本も、興味深いものが多く、読書案内としても優れている。
私が一番グサリときたところは、コミュニケーションにおける最大の障壁は「相手をわかったものとして扱う」ということだ、と書かれていた部分。
まさに、よく、相手の言いたいことを先回りして要約しようとしてしまう癖があるため、会話相手はかなり不快になっていたことだろう…。
自分の中で相手を決めつけないで、私と異なる視点を持った人として尊重できるようになりたい。 -
Posted by ブクログ
私たちは「わからない」世界を生きている。
『風をとおすレッスン 人と人のあいだ』は、
もう少しそういう「わからなさ」を醸し出して生きていいかもしれないなと思わせてくれる本でした。
著者の田中真知さんは、過剰なつながりで不自由になっている関係性に、
ひとすじの風をとおそうと提案しています。
つながるでも分断でもなく、“風をとおす”。
大切なのはやはり適切な距離感なんですよね。
そのレッスンとして、映画や小説のエピソードがたくさん紹介されており、
それを読んでいるだけで心地よい風が吹くような感じ。
これは「読んだ」というよりも、
「話を聴いてもらった」感覚に近いのかもしれません。
とりあえず、映画『ベルリン・天使の詩』は観てみたいと思いました。