正岡子規のレビュー一覧
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「素直に見たものを俳句にして表してある」という印象。
「写生」という表現とのこと。
時代が違うので分からない言葉もあるが、調べながら読んで、正岡子規の俳句の世界に浸ることができて楽しい一冊だった。
巻末の解説によると、正岡子規の句は判明しているものだけで2万以上の句が見つかっているらしい。
この本に載っているのは、そこから選び出された俳句たち。
特に好きなものは以下。
> 行く春のもたれ心や床柱(p41)
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> 絶えず人いこふ夏野の石一つ(p96)
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> いくさかな我もいでたつ花に剣(p129)
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> 六月を奇麗な風の吹くことよ(p132)
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> 柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺(p170)
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> 障子明けよ 上野の雪を 一目見ん(p219)
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「絶えず人〜」は、ヨルシカの楽曲の歌詞に引用されている。
こうして読んでみると驚くのは、季語の多さ。
日本語にはいろいろな表現で、その季節を表す、懐の深さがある。
どの言葉を使って、どこで区切って、限られた文字数の中で、その景色を表現するか。
現代では、Xが140字の制限があるが、俳句は、もっともっと少ない文字数。
また、正岡子規の俳句を見ていくうちに、日常の見え方の解像度が違うと感じる。
その季節ごとに、世界をどう切り取って表現するかに神経を注いでいるからこそ、世界の見え方が違うのだろう。
俳句ではないが、写真を趣味にしている人も同じようなことが言えると思う。
日々の見方がちょっと変わる。
それは些細なことかもしれないし、稼ぎにはならないかもしれないけど、とても人生を豊かにすることだと思う。 -
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子規の病床での随筆。というより今でいうならブログっぽいなと。
達観してるよなぁ。調べてみたら初めて喀血したの私より若い時だ。そりゃ達観もするか。死を思っていても湿っぽくならない子規。淡々と死を受け入れている。
そして何が面白いって同時代人の情報が。漱石が遊びにきたり明星が廃刊になったって書いたら与謝野さんから否定の手紙がきたり。交流がなくても噂程度で聞いてたりする人の話も。睦奥宗光や板垣退助。幕末好きだから幕末に活躍した彼らが明治の人にはどう見られてたかわかるのが楽しい。
病床から静かに世間を見ている子規さんは素敵。流石は漱石の友達だ。 -
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1901(明治34)年、子規が死の前年に新聞に連載した随筆。
このときすでに正岡子規は立って歩けず、ひたすら病床に伏せっていたようである。ウィキペディアによると脊椎カリエスだという。
書かれた断片はたった1行のものからせいぜい2ページ程度に及ぶもので、闘病生活のこと、雑誌などを読んでの詩歌批評、過去の思い出、たまに俳句・短歌の習作なども入る。徒然なるままに書き連ねられた雑種の文集で、そう言うとあたかも余裕のある老人がひなたぼっこしながら書いた雑記のように聞こえるが、じっさいには子規は非常な苦しみの最中にありながら、「もはや唯一の自由」として「書く」ことを続けたのである。しかもこのときまだ33歳。
この必死の「書く」行為によってそこから言葉のストリームが生まれ、文芸的な世界を切れ切れながら構築していく。
俳句・短歌の批評には「なるほどな」と思わされるし、日常的な、むしろどうでもいいような些事について書くその心の移ろいが、読んでいて何故か胸に迫ってくるようでもある。
文章は「なり」などという文語体が多いが、ときどき突然、現代語にもなる。
子規の俳句や短歌も読んでおきたくなった。 -
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「墨汁一滴」と聞いて、漫画マニアがまず思い浮かべるのは石森章太郎主宰の肉筆回覧誌。復刻版を石ノ森章太郎ふるさと記念館で入手したものだ。
「病床六尺」「仰臥漫録」と読み進めてきた以上、「墨汁一滴」を読むしかあるまい。
闘病記より俳論・歌論の配分が大きい。
明治34年3月28日から4月3日まで7回に渡り、落合直文の短歌を激烈に批判している。新聞「日本」を開く落合にしてみれば「おいおい、今日もかよ⁉︎」と、気の休まらない日々であろう。相手は命旦夕に迫る子規だけに、反論もままならない。うたた同情を禁じ得ず。
同年4月5日の記事。見舞い客が子規の無聊を慰めようと蓄音機を運んでくる。レコード盤ではなく蠟管録音というのは驚きだ。 -
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ちくま日本文学全集037 正岡子規。
正岡子規は脊椎カリエスのため、35歳で亡くなる最後の4、5年は、まったくの寝たきり状態でした。
それはなんとなく知ってましたが、どれほどひどい状態であったのか、そういうほとんど体を動かせない中で、いかにたゆまず諦めず文学者としての活動を行っていたかということについては、「墨汁一滴」や「病状六尺」を読んではじめて知りました。
ただ、文語文はやっぱりなじみが薄いし、俳句もあまり興味ないので、「歌よみに与うる書」や「古池の句の弁」に込められた熱は分かるものの、あまりピンときませんでした。
文章を読むのにせっかちなせいか、俳句や短歌をゆっくり味わうなんてことができないんで、作者が全力を傾注した文学の革新についての関心がさっぱりわきません。
苦痛に満ちた日々の途切れ途切れの呟きといえる彼の作品に求める方が無理なのかもしれませんが、諧謔の要素、笑いの気配がまったく伝わってこないのはつらい。
正直言って、読むのがしんどかったです。
かといって、暗く陰惨な苦労話が語られているというわけでは、ちっともないのですけどね。
どうも私とは縁遠い人のようです。
でも、ベースボールの歌はよかったな。
打ち揚ぐるボールは高く雲に入りて又落ち来る人の手の中に
今やかの三つのベースに人満ちてそゞろに胸のうち騒ぐかな
(p435)
それにしても解説は最悪です。
この天野祐吉という人が何者かしりませんが、1度目はそうでもなかったけれども、2度目読んだらなんだか気持ち悪くなった。
寺田寅彦の解説を書いていた藤森照信という人もひどかったけど、それに匹敵する不快な文章。
う~ん、なんでなのかなと考えたみたところ、藤森氏の場合は、寺田寅彦の解説を書いているにもかかわらず、当の作者への愛情が感じられなかったからだと思う。
今回のも、やっぱり作者よりも自分が目立とうとする姿勢とか、ワン・ヒントで最後まで押し通そうという厚かましさとか田舎臭さとかがが鼻につくからだろうな。
正岡子規の凝縮された文章と短い人生をたどったあとで、こんなスカスカ文を読まされてはかないません。
解説者がどうこうというより、こういう人を選んできた編集者が悪いんでしょうけが。
次は大佛次郎。
誰だろうこの人。名前だけは知ってますが…。
たしかオサラギと読むんでしたっけ。 -
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正岡子規が新聞に連載していた随筆集。
いわゆる子規の随筆三部作では一番最初の巻であるため、病状もそこまでひどくないだろうと思っていたら、「座ることはともあれ、せめて1時間でも苦痛なく安らかに臥すことができればどんなに嬉しいだろう」と言っていて涙。
とはいえ、子規の創作に対する信念や頑固っぷりも十二分に楽しめる随筆だった。
中には、新聞連載なのにそこまで言っていいのか? と心配してしまうくらい、痛烈に個人を批評しているものもある。時代が違ったのだなぁ。今だったら炎上必須である(笑)。
この作品を読んで、私は子規の事を本当に大将気質だったのだな、と思った。融通が利かず、しかしマメで、志に燃えやすい。
子規が結核なのに日清戦争で従軍記者となり、案の定喀血して危篤状態で帰国したというエピソードは、ものすごく彼らしいと思う。誰も敵わない、まさに大将。
しかし私は、子規の短歌が非常に好きだ。彼の歌には彼が表に出そうとしない繊細さと、しっとりした情感がある。
皮肉屋だと言われていたそうだが、歌を読む限り、彼の視線には皮肉や厭世はあまり感じられない。クリアな目を持っていたというより、やはり根が素直な人だったのだろう。
松の葉の葉毎に結ぶ白露の置きてはこぼれこぼれては置く
ガラス戸のくもり拭へばあきらかに寝ながら見ゆる山吹の花
ーー正岡子規