西岡常一のレビュー一覧
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いつか学校で、国語の教科書で一部を読んだような記憶がある。それで、一冊読んでみることにしたら、三分の一くらいで一旦疲れてしまった。
それでも、西岡常一さんはすごいと思う。大工さんが意見を述べる、本を書くことがほとんど他にないから。建築家の本や写真集ははたくさん出ているけれど。
インドのタージマハル、インドネシアのボロブドゥール、いろんな大きな宗教建築をみてきて思った。結局長く残るのは宗教建築だし、最も美しい芸術が集まるのも宗教建築だと。日本なら、今観光客に人気があるのは東京や京都のお寺だろう。だけど、奈良の建築は、白鳳時代の建築はどっしりしていて安定感がある。本書にも触れられていたけれど、そういえばと思い出した。
中国や高麗から取り入れた建築技術を、そのまま日本の多雨多湿なところで使ってはだめだ、気候に合わせた屋根を作らなければならない、ということを当時の大工たちはちゃんと工夫したのだと言う。時代が下がると、そういったものが逆に忘れられて、上っ面の美しさ豪華さが優先されているのだそうだ。
昭和の大修理で法隆寺と薬師寺の再建に携わり、学者さんと侃々諤々議論して、白鳳時代は学者などいなかったのだと突っぱねる。でも、今からは良い宮大工や棟梁はでないだろう、ともいう。
薬師寺と法隆寺、まずは今度訪れる時に、この本を片手に行って、著者の説明のとおりに巡ってみたいな。 -
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ネタバレ法隆寺の解体工事に学び、薬師寺の伽藍復興に尽力した法隆寺の宮大工、西岡常一氏の個人講義録。学者や研究者が机上の理論で考えていてはわからない、伝統の現場でしか見えない史実があると感じた。良い木、1000年の木をうまく使って建てれば建物は1000年持つ。ただその木は一本一本個性があって、その木が生えている環境によって、風の吹き方や日当たりによって、木の癖はみんな違う。その癖を知悉して、癖を活かすように堂塔を建てなければならないし、自分一人でそれをするのではなくて、これまた癖強な大工たちの心の癖も知悉して、うまく指揮して建てていかなければならない。もうそれは芸術だと思うし究極のコミュニケーション力だと思う。「塔組みは木の癖組み、人の心組み」という言葉が言い得て妙だと思う。
法隆寺や薬師寺を西岡棟梁の解説で見学できるような案内が楽しかった。 -
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口語(話し言葉)で書かれています。宮大工ではなかったが、木に携わる手仕事を代々やっているので、書かれてある事がしっくりきます。
「木は生き物」は本当にその通り。
今は機械化が進んで、機械で補う部分も多いが、それに対して真っ向否定の姿勢でないのが好感を持って読める。時代だから仕方ない、と。
ただ、職人としての誇りは物凄く持っているのが伝わる。
0.01ミリの違いを見抜ける人は、本当に少なくなっているそうな。
見て覚えろ、感じで考えて学べ(能動的、主体的)、教えたのも(他者)は覚えないから、と。
そして、間違っていても「間違ってる」と教えない。全部自分で気付け、と。凄い世界だ。
法隆寺に関して、ただ古いだけの価値なら、その辺の石ころの方が古い(かも)と。
なぜ、1350年保っているのか、日光東照宮は350年(出版当時)で解体修理。
その他の寺社も、時代が新しくなればなるほど、解体修理の期間が短い、と。
比較に出す建物たちも、真っ向からの否定はしていない。
使う道具も、勿論消費していって、その日その日で加減が変わってくる。
一番いい状態の道具を仕立てる、または直せる職人もいなくなってきて、それも時代だから、と。
核家庭が増え、こういう職人さんたちの会話を、日常的に浴びるように聞く機会も、どんどん減ってるんだろうな。 -
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物事を突き詰めた職人は、自分のエリアだけではなく、世界の見え方が他の人とは違う別の視点・視座を持っているというなんだろう。
宮大工として、木のこと、建築のことについて、一般の人が思いもよらない奥深い世界の目線を持っていることは、それはそうだろう。
西岡氏がすごいのは、仏教のこと(これは宮大工で寺社を設計・建築しているのだから、エリアの範疇化もしれないが)、経済のことなどにも宮大工の立場から批判的に語る。この本が出版されたのはバブル経済真っ盛り。西岡氏は「もうちょっと適正な利潤を追求するように改めないけませんな。飽くなき利潤追求ということは、みんな押し倒してしまうということやからね。」と、警鐘。宮大工として寺社建築と向き合い続け、建立の目的であったであろう人の幸せ・世の幸せを願うという人間の根本にたどり着いた、ということかもしれない。 -
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めちゃくちゃ感動しました。
最後の宮大工の棟梁と言われた、法隆寺、薬師寺宮大工棟梁の西岡常一さん。
飾らない語りの中で話される、自然へ敬いや礼儀、仏の心で建立する本当の意味とはなど、読んでいるこちらがピシッと襟を正されるという感じ。
昔堅気の偏屈爺さんという印象だけれども、人に対してはもちろん、地球上の万物全てに対して心を持って接していくことを説いてらっしゃる。
怖いけど、決して見限ることをせず木でも人でも最後まで育てることを信条とされていて。
仏教の教えとは、誰でも如来になれる、心がけ次第で誰でも仏になれる。それを学ぶ場として法隆寺が建立されたという話に本当に感銘を受けました。
建てられてから1350年を経過して未だなお、当時の姿を私たちに見せてくれている法隆寺。
どんな詳しいガイド本よりも!この本こそが法隆寺、薬師寺に行く時の最強、最良のガイドになってくれると思います。
早くこの本持って法隆寺見に行きたい!!!
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何回も再読していきたい。
今回のまとめは22ページまで
〈本から〉
鹿はヒノキが好物
日本の風土にヒノキは合ってた
ヒノキのええとこはね、第一番に樹齢が長い
こんなに長い耐用年数のものはヒノキ以外にはありませんわ。
わたしどもは木のクセのことを木の心やと言うとります。風をよけて、こっちへねじろうとしているのが、神経はないけど、心があるということですな。
お釈迦様は気がついておられた。「樹恩」ということを説いておられるんですよ、ずっと大昔に。
それは木がなければ人間は滅びてしまうと。人間賢いと思っているけど一番アホやで。
自然を忘れて、自然を犠牲にしたらおしまいでっせ。(p22)
以下、続く
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法隆寺金堂や薬師寺大修理の棟梁を務められた宮大工、西岡常一氏(以下、西岡棟梁)へのインタビューをまとめた本書。
西岡棟梁の仕事への取り組み方、そして厳しい中にも温かみがあるものの話し方が、奈良の祖父を思い起こさせた。
建築にそこまで関心があるわけではない、普段DIYをするわけでもない。しかし読書中は専門用語を理解しようと躍起になるよりも、懐かしさとずっと耳を傾けていたいという意識に浸っていた。
西岡棟梁大全といった風で、木や工具を敬う心・彼が手がけた法隆寺や薬師寺をガイドしながらの解説・宮大工としての心得が一冊に凝縮されている。
法隆寺や薬師寺のガイドは臨場感があって、訪れた頃の記憶と掲載されている伽藍図(寺院の地図)を頼りに”ツアー”に参加した。
飛鳥時代の工人の業を各所で称賛する一方で、以降の締まりのなさを嘆かれていた。
中でもバランスと機能美に優れた各寺と(個人的に今一番訪れたいと思っていた)日光東照宮を比較、日光さんを「構造よりも装飾を意識した芸者さん」とボロカス言ってらしたのが何気に衝撃的だったかも。そのせいで法隆寺が(当時)建立1350年目なのに対して(それはそれで次元が凄いのだが…)、日光さんは350年くらいで解体修理しなければならないという。
木(本書では日本の建築に適したヒノキを指す)は生えている山によって性質が変わってくることも、幾度となく語られている。
飛鳥の建築はそんな木の性質をどう有効に活かすかが考慮されており、和釘を半日かけて丁寧に打ち込むなど長く持続させる努力を怠っていないらしい。(結果千年もキープできるとは、当時の工人さん達も予想していなかったのでは…?)
「人間は偉いもんでっせ。カンでわかるんですな。コンピューターでわからんで”カン”ピューターならわかるんですからな」
「“カン”ピューター」はともかく…笑(真面目な話の中、ほんまに不意打ちやった笑↑)
彼の数ある凄い点を一つ挙げるとすれば、木の風化具合を見るだけでどの時代に修復されたのかを学者以上にピタッと当てるところ。素人目線ではあるけれど、職業柄でもよほど長いこと携わっていないと出来ないことだと思う。
学問的見地から判断しようとする学者達と度々衝突したようだが、自身が現場で感じたことを信用してあげるのが、「“カン”ピューター」の精度を上げる秘訣なのかもしれない。
「仏教は自分自身が仏様である。[中略]神も仏もみんな自分の心の中にあるちゅうことを言うてるんですわ」
信仰心の厚いお方だとインタビューを通して思っていたけど、やはりそうか。お寺を修復する宮大工だからだけではない。一緒に仕事をする職人達を束ねられたのも、自分の中の「慈悲心」を大切にしていたからこそ。
そう思うと祖父の中にもそれはあったし、(西岡棟梁がそうだったように)晩年は現役時代の分を出し切るかのように笑顔を多く見せていた。 -
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最後の棟梁とも言われた西岡常一氏の本。木や道具はたまた土、鉄に至るまでの造詣の深さ。法隆寺の宮大工に伝わる口伝。・住む人の心を離れ住居なし・木を買わず山を買え・木の癖組は人の心組・工人の心組は工人への思いやり・百工あれば百念あり。一つにする器量のない者は自分の不徳を知って、棟梁の座をされ・諸々の技法は一日にして成らず、祖神達の得恵なり 抜粋だが何も色んな場面や人に当てはまるなあと感じました。マニアックそうな内容ながら確か新聞のどなたかの書評で紹介されていたのも納得。伝統、モノ長期に伝承していくのは大変とあらためて認識。法隆寺や薬師寺に行く人はこの本読んで行くと、楽しみ?が何倍にもなるかも。
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ネタバレ-2005.06.27記
法隆寺金堂の大修理、薬師寺金堂・西塔などの復元を果たし、1995年に惜しくも85歳で死んだ、
最後の宮大工棟梁・西岡常一が発する言葉は、激しくも簡潔明快に、法隆寺や薬師寺の堂塔伽藍に隠された、古代人の知恵と技法を語りつくす。
宮大工という謂いそのものが、ぐっと時代を遡る古い謂れの呼称ではなく、
明治の廃仏毀釈からだということに、まずは少なからず驚かされた。
その昔は「寺社番匠」と云ったそうな。廃仏毀釈で社の上にあった寺が外され宮大工といわれるようになった、と。
「番匠」=ばんじょう、又は、ばんしょう、とは辞書によれば、
古代、大和や飛騨から京の都へ上り、宮廷などの修理や造営に従事した大工、とあるから平安期に遡りうるか。
まるで啖呵のように威勢よくポンポンと飛び出すコトバは事の本質を衝いてやまない。
樹齢千年のヒノキを使えば、建物も千年はもつ。
木のクセを見抜いて木を組む。
木のクセをうまく組むには人の心を組まなあかん。木を組むには人の心を組め。
木を知るには土を知れ。
石を置いてその上に柱を立てる。
法隆寺の夢殿は直径が11m.やのに軒先は3m.も出てる。
大陸に比べて日本は雨が多い。
飛鳥の工人は日本の風土というものを本当に理解して新しい工法に変えたということ。
一番悪いのは日光の東照宮、装飾のかたまりで、あんなものは工芸品にすぎぬ。
人間でいうたら古代建築は相撲の横綱で、日光は芸者さんです。
夢殿の八角形は、八相=釈迦が一生に経過した八種の相=降兜率・入胎・住胎・出胎・出家・成道・転法輪・入滅=を表す。
聖徳太子の斑鳩寺は、文化施設。人材を養成するため場所としての伽藍。
白鳳の薬師寺は、中宮の病気を治すための伽藍であり、その設計思想は、薬師寺東塔の上の水煙にあり。
天人が舞い降りてくる姿を描いているが、天の浄土をこの地上に移そう、という考え。
仏教は自分自身が仏さまであること。それに気づいていないだけだ、と。
神も仏もすべて自分の心のなかにあるということ。
自分が如来であり菩薩であるということに到達する、それが仏教。
飛鳥・白鳳の建造物は国を仏国土にしようと考えて創られた。
藤原以後は自分の権威のために伽藍を作っている。
聖武天皇の東大寺でも現世利益的な考えが六分まである。
等々と、達人の竹を割ったような舌鋒はどこまでも小気味良い。
なかでも、私を絶句させてくれたのは、法隆寺中門の柱の話。
法隆寺の中門は不思議な形をしている。門の真ん中に柱が立っている。左右に入口がふたつあるような格好。
この真ん中の柱を、梅原猛さんは、「聖徳太子の怨霊が伽藍から出ないようにするため、柱を真ん中に置いた。いわば怨霊封じだ。」というが、そんなことはない。
中門の左右の仁王(金剛力士像)は、正面左の仁王さんが黒くて、右の仁王さんが赤い。
人間は煩悩があるから黒い仁王さんの左から入って、中で仏さんに接して、ちゃんと悟りを開いて、赤い仁王さんの右のほうから出てくる。正面左側が入口、右側が出口ですな。
と、聖徳太子怨霊説で一世を風靡した梅原猛の「隠された十字架」の核ともいうべき推論をこともなげにばっさりと切り捨てる。
もう二度と現れえないだろう達人の、直観的に事の本質を赤裸にするコトバの世界は、一気呵成に読みついで爽快そのものだが、その知は決して伝承されえぬ永遠の不在に想いをいたすとき、詮方なきこととはいえ、人の世の習い、歴史というものの残酷さが際立ってくる。