宮林寛のレビュー一覧

  • 千のプラトー 下 資本主義と分裂症

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    「リゾーム」「多様体」「器官なき身体(CsO)」「強度」「顔貌性」「非正確(不正確ではなく)」「存立平面」「戦争機械」「抽象機械」といった数々のD-G用語について、おぼろげながら理解した。

    本の主題は、資本主義と分裂病なのだが、内容は資本主義の分析にとどまらず、「人間」「言語」「国家」「生命」を、歴史的・宇宙的な規模から考察するどえらい内容となっている。

    思考のフィールドが広大すぎて、さすがの翻訳者(宇野邦一先生)も、その全貌をとらえきれないという感じで、あとがきを書いておられる。発刊後43年が経過して、まだ、この本の本格的な解説書は現れていない。
    リゾーム概念は、おそらくブロックチェーン

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    2023年05月25日
  • 記号と事件 一九七二―一九九〇年の対話

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    哲学に対しての知識はほぼ皆無だったけど挑戦してみた。読み終えるのにかなり時間を要したが、読んで良かったと思う。読んでいて今までの自分の考えが刷新されるような感覚が何度もあったので、門外漢の自分でも理解ができるような、比較的わかりやすく書かれた傑作なのではないかと思った。
    わかりやすく書かれてはあるが、一般的なレベルの普通の言葉の使い方ではないので、理解できたとは簡単に言ってはいけないような気もする。またドゥルーズが言葉と格闘して練り上げられた、いくつかの概念を示す言葉は斬新な扱い方をされていて、詩にも近いような感触もある。
    ドゥルーズの他の著作、スピノザのエチカ、アンリミショーなどにも興味を覚

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    2022年08月01日
  • 千のプラトー 中 資本主義と分裂症

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    記号の発生から、記号を脱したアナーキーな領域の多様性までを語る『千のプラトー』シリーズの中巻。脱記号化と、カオスからの非記号的なものの発生を語るパート。
    単に記号的なものを否定的に語るだけじゃなく、記号そのものの成立と非記号的なものの成立自体を描き出すことによって記号に対して批判的な立場を取るというやり口は、ドゥルーズの面白いところ。おそらく、そういう仕方で対象を肯定することこそが、もっとも批判的でありうるのだと思う。寄り添い存在することはそれ自体差異の共存であり、批判的創造的なんだろう。(そうした存在性について述べられるのが下巻)

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    2017年06月29日
  • 千のプラトー 中 資本主義と分裂症

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    「生成変化」「リトルネロ」および、既出ではあるが幾度もリロードされアップデートされる「(脱/再)領土(化)」の3つの概念が中巻においては差し当たり極めて重要。その周囲に彼らの独創的ではっとするようなテリトリーがあり、おそらく彼らの予想を越えた含蓄がある(その予感が「文学をひきあいにだしすぎる」と非難されながらも[上p ]、文学性に近づけた動因ではないだろうか。その美しい表現は、まわりくどく曖昧ないいかただととらえることもできるだろう。しかし、「すべてを曖昧にしておくのは容易だなどと考えないでほしい。」[p64])。

    第7-9章は、それらの重要な概念をもちいた実践例。「顔貌性」や「切片性

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    2012年12月29日
  • 千のプラトー 上 資本主義と分裂症

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    序章の「リゾーム」は全体の概観を示す。まずこの小片が書かれて発表され、本書に繋がった。ここだけで「アンチ・オイディプス」とは比較にならないほどの射程と奥行きをもっているのがわかる。新しい語が唐突に用いられるので(リゾーム?脱領土化?器官なき身体?強度?存立平面?)、ごく一般的な生活をしている人には「浮いている」ので馴染みずらいか。まず書き方に慣れ、全体を通読、あるいは結論意外の章を[「結論だけはおわりに読むべきである」※冒頭の緒言より]好きな順に、開いた順にでもとにかく通読すること。細かい意味はあまり気にせずに、何度か通読して全体に慣れること。そうすると、この書物全体が地図であることがわかる[

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    2012年10月31日
  • 千のプラトー 上 資本主義と分裂症

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    当時、紙爆弾と呼ばれたインパクトのある、哲学。
    当人たちはポップ哲学とかいっていたけど、
    ポップというより、パンク、
    いやパンクなんかでは表現しきれない、
    爆弾 な 本

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    2011年06月23日
  • 千のプラトー 中 資本主義と分裂症

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    ついに中が発売!

    僕がこの本を読む理由は、難物にぶつかれという寺山さんの意志をついでいるからなのです。また、カオスから身を守るための哲学としてドゥルーズを利用したいのです。

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    2011年09月03日
  • 千のプラトー 上 資本主義と分裂症

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    2010/9/6購入

    文庫で出た・・・。ついに。
    戦争機械の武器である情動を動かさないかぎり、私たちの手にある労働の道具が武器へと生成変化することはない。加算的なものであればマジョリティもマイノリティもそこらじゅうに存在する。だが、存在すべきものだけが欠けている。ブラックパンサーが黒人でさえ黒人になる必要があるといったように、わたしたちはわたしたちが当のものであるわたしたちに生成変化しなくてはならない。

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    2011年02月06日
  • 記号と事件 一九七二―一九九〇年の対話

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    面白い。

    その副題に記された年号(1972-1990)から推察される通り、本書は『アンチ・オイディプス』から『哲学とは何か』にいたるドゥルーズの思考の軌跡を側面から辿るものである。

    ★本を書くことの価値やその方法、本の機能に関するドゥルーズの洞察も捨て難い。(p41-42)

    ドゥルーズは、私たちのうちに移行してくる外部の諸力に対し、私たちはたえず自分自身と徹底的に語り(折衝し)、自分自身にゲリラ戦を挑むことでおのれを見出さなければならない、哲学に出来るのはそれだけである、と述べている(p5-6)。

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    2011年10月07日
  • 記号と事件 一九七二―一九九〇年の対話

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    ドゥルーズの対談や、知人の本に寄せた序文などをまとめたもの。
    対談なので比較的読みやすいのではないかと思い、手に取った。
    とはいえ、例によって、理解したとは言い難いので、読書ノートという形で心に残った箇所を引用するに留めたい。/


    【プルーストの場合は、記憶の探索をおこなっているのではなく、ありとあらゆる種類の記号に目を向け、環境、記号の発信様態、記号の素材、記号の体制に照らして記号の性質を解明することが作家の責務となっている。『失われた時を求めて』はひとつの一般記号学であり、さまざまな階層に分かれた社交界を診断する症候学でもあるのです。カフカの仕事は私たちの行く先々にひそむであろう悪魔的な

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    2023年10月19日
  • 千のプラトー 下 資本主義と分裂症

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    かつて、高価で分厚くやたら重いハードカバーのドゥルーズを、こづかいはたいて買っていた身としては、河出文庫で次々と廉価・軽量に発売されていく状況を見て悔しい気持ちがつよい。
    『千のプラトー』だけは買ってなかったので、文庫で購入、早速読んだ。
    面白い。
    ドゥルーズと言えば「ポップ哲学」などと言われたりもするが、この著作にはまさにぴったりな言葉だ。
    ポップということは、ヴィヴィッドで人の目をひくカラフルな表現、そのシニフィアンの連鎖に内容=シニフィエの重さが伴わない、むしろ空疎な構造体を指すが、この本はまさにそんな感じである。
    『アンチ・オイディプス』よりもずっと「面白い」この本は、かなり独自で奇抜

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    2011年02月27日
  • 千のプラトー 上 資本主義と分裂症

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    田舎の純朴な少年がドゥルーズ=ガタリなんて知るはずもなく、いざ大学に入ってみればそれを当然に読んで議論できる秀才たちはごろごろいて、到底埋まりそうにない格の違いにキャッチアップも早々に諦めて平穏無事に終わった学生生活も今は昔、それを今になって読むというのも感慨深い。

    さて、そのドゥルーズ=ガタリの「千のプラトー」、副題の「資本主義と分裂症」は前作「アンチ・オイディプス」から引き継いでいるものの、その思想は分裂症分析から大きく離れてあらゆる方向へと広がっていく。広がり蛇行しながらぎりぎりの表現を試みつつより壮大な資本主義分析、資本主義批判が展開される。
    それは、変化の哲学であり、より具体的には

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    2012年04月08日