ナボコフのレビュー一覧
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Posted by ブクログ
ネタバレ解説を読むとめちゃめちゃ面白かった。
翻訳の文体が分かりにくいのかと思ったけど、完全犯罪が破れて追い詰められたゲルマンが、芸術作品として創造した手記という額縁小説のような形になっているから分かりにくい。一回通読してから読み返すと、あああの話ね、とつながる。
読み返してみれば、たしかにフェリックスと似ていると言っているのは語り手のゲルマンだけで、フェリックスだって2人が似ていると自分から言ってはいない。一人称小説だからゲルマンの主観で書かれており、アルダリオンもかなりヘボな人物に描かれているけど、ゲルマンに描かれたアルダリオン像と、引用されたアルダリオンの手紙=ゲルマンの主観ではなく、本人の言葉 -
Posted by ブクログ
初めて手にしたナボコフであり噂通り強烈な印象を残した「ロリータ」と、この「カメラオブスクーラ」で作者の著書は2作目です。
あとがきにもありましたが、読みはじめ辺りから感じるこの気持ちの悪さは読んだ覚えがあるなぁなんて思っていましたが、「ロリータ」と流れが似ている。
私はなぜ、大人の男性の狂おしいまでの想いに少なからず違和感を覚えたのか、読みながら考えていました。
おそらく、彼が求めていた少女と実際に接触するまでの男性の内面の描写が、女である自分には馴染みのないものだからかな、というのが読み終わってから気づいた私なりの気持ちです。
美術評論家であり、妻子とともに裕福な暮らしを送るクレッチマーは -
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一言でいうと、中年の妻子持ちの男が、16歳の少女にのめりこみ破滅していくさまを描いた話だが、裏テーマは、性的魅力のない妻を持った妄想男の行く末、と読んだ。
(とはいえ、ロリータよりだいぶ以前のこの段階では作者が未成熟の女性に興奮する性向を隠したいがために性的魅力のない妻を利用した、とも読めるが、自分の都合で前者と解釈することにする。)
妻/母を長いことやっている私は、いいお母さんだけれど日々の生活でもベッドの中でも大人しく、徹底的に退屈でセクシーじゃなく描かれている作中の妻を、反面教師とした。
妻/母を長いことやっている私はまた、主人公の男が、いけないとわかりながらも性的嗜好に翻弄されてあ -
Posted by ブクログ
「ロリータ」とストーリー的に重なるところは大きいが、「ロリータ」ほど複雑でないぶんだけ、よく言えば気軽に、別の言い方をすれば〈読む〉という行為に無自覚に読める作品であった。
後半、盲目になったクレッチマーをマグダとホーンがあれこれ騙すが、騙される側の無力は解説にもあるように、読者と同じといえる。
また他方、騙す側のいやらしさ、見えないことが常にふくむいやらしさは、小説であれ何であれ輪廓や構造を有するものに内包されるものといえそうだ。
読者は常にマゾヒスティックにならざるを得ず、だからこそせめて、どうせ騙されるなら華麗に騙されたい。
小説において騙す側は、マグダのように、いやらしければいやら -
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ネタバレロリータを読んでから、ナボコフという作家に興味がわいて買いました。
前作よりも読みやすく、比喩もロリータよりかは息をひそめている感じがしてすらすらと読めました。
後半の盲目になった時の絶望感はすごかったです。描写から今見えている視界がきえたかのように、その時に感じる肌の風の感触とか、遠くの衣擦れの音とかも聞こえてくるような気がして・・・
読後感がすごいです。何とも、自らまいた種というべきなのでしょうけれど、娘と妻を捨てて他の女の所へ行ったとしても、この最後はあまりにも酷過ぎる。
恐怖がぞわぞわと眼球を撫でているかのような感覚。
クレッチマーも悪いけど、後半のマグダとホーンを見ていると微々た -
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初ナボコフ。「アンナ・カレーニナ」を現代風にして「居酒屋」「ナナ」「椿姫」「マノン・レスコー」が混じり合ったイメージ。小説というよりは映画を観ている感じだけどそれは意図したものらしい。プロットは「マノン・レスコー」だけどアイロニーで味付けしてある。題名はラテン語で「暗室」という意味で解説によると「見ること」が隠されたテーマらしい。ナボコフ初期の作品で源ロリータらしいがかなり面白い。時間をおいて再読してみよう。キーワードに注意して。
ナボコフはイタズラ好きらしい。
p213
「トルストイですって」ドリアンナ・カレーニナは聞き返した。「いいえ、おぼえていませんわ。でもどうしてそんなことがお知りに -
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地位も名誉もあり、裕福で私生活にも恵まれた男の心に、ふと魔が差して、
どんどん悪い方へ、抜き差しならない状況へと転がってゆくストーリー。
途中、タイトルの「意味」がわかった瞬間、慄然としたが、
彼がいい年をして無茶を仕出かすにしては、
育ちのよさのせいか、悪いヤツになりきれず、
むしろ小悪魔と小悪党のペアに翻弄される様子が憐れにして滑稽で、
そこがこの小説の面白さだと思ってしまう自分の性格には
幾分問題があるのか、どうか。
それにしても、巻末のナボコフ年譜、
> 1916年‐17歳、10月、死んだ伯父の遺産を元手に『詩集』を自費出版。
という短い記述に嫉妬と羨望を覚えて歯軋り(笑)。 -
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1933年、ナボコフ初期の小説で、『ロリータ』の原型をなすような、オヤジの、少女への愛と裏切られる受難をえがいている。
後年のナボコフは文章自体がすさまじく濃密なディテールに溢れ、読みにくいのだけど、この初期作品はずっと読みやすい。ストーリーも明快で、普通に面白い。
ロリータは12歳だがこの作品の少女マグダは16歳。ふつうなら高校1年か2年生だ。援助交際とかで女子高校生を漁るエロオヤジもたくさんいるみたいだから、性的に異常とはもはや言えないだろう。ロリータの12歳はかなり若い(小学5年か6年)が、13歳で結婚させる社会もこの世にはあるのだから、ローティーンの少女を性的対象として見ることをタブー -
Posted by ブクログ
ネタバレ帯に書かれている通り「ロリータの原点」ともいえる作品。
妻子を持った中年の男が16歳の少女に惚れて家を出て堕落していくというか少女マグダの悪戯により強制的に堕落させられていく姿が描かれている。
ただの、少女との楽しげな不倫の恋だったら芸がないんだけど、マグダがなかなかのあばずれで、その未熟ならではの底知れない悪さが後半どんどんエスカレートして怖くなった。
特にクレッチマーが盲目になったのをいいことに愛人を一緒の家に住まわせ、せめて自分の部屋の色彩を教えて欲しいと頼むクレッチマーに愛人に吹き込まれたでたらめな色を教えるあたり、ぞくぞくした。ステレオタイプではない、悪意を悪意とも思わず振舞える本 -
Posted by ブクログ
ナボコフは、お話を作るのがうまい人なんだと気付かされる作品。
細部の言葉づかいに関心が向かいがちな後期のナボコフ作品に比べて、今作の構成は非常にシンプル。登場人物の役割がはっきりしており、無駄なく物語の進行に貢献する。細部の描写もあるにはあるが、冗長ではなく(ロリータのそれと比べてみるといい)、むしろ、一切の無駄がない(にもかかわらず何層にも折り重なっている)。
シンプルであるがゆえ、尚更ナボコフの才能を感じずにはいられないし、シンプルであるがゆえ、登場人物を徹底的に苛めぬくナボコフの意地悪さが余計に際立つ。
単純に小説として面白いので、力を抜いてナボコフを楽しみたい人にはうってつけでは -
Posted by ブクログ
一人の妻子持ちの中年男性が一人の少女(悪女)に惹かれ、どん底に落ちていく過程の物語。
少女がすっごく悪女すぎるのに、それでも少女が好きすぎて妻と別れたくない中年男性。中年男性がもうどうしようもない描写をひたすら読者に読ませる物語なんです。
しかも、壮絶に救いようのない話で、ここまで中年男性を地に落ちるなんで、逆にもう清々しくなってしまうと思えてしまうほど残念さが残る。
全体の文体としてそれをなんでこんなにユーモアに書いちゃうの?
っていうツッコミを入れたくて仕方ない。
中島哲也監督の「嫌われ松子の一生」ように「話や展開自体が暗い作品もユーモア描写がすごい」みたいな作品になってます。
少 -
Posted by ブクログ
ネタバレあの「ロリータ」のナボコフの初期作、ということで期待して読んだけど、
レトリックに関してはやっぱり「ロリータ」ほどではなかった。
初期作だからこそだと思うけど。ロシア語作品だし、訳の問題もあるかな。
良くも悪くも読みやすい作品。
「ロリータ」の前にこれを読んでおけば、もっと早い段階で「ロリータ」も楽しんで読めたかもしれない。
ストーリーは特にどうということもなく
クレッチマーが普通の思考回路を持った人だったり登場人物が割と多かったりしたせいで、
ラストまで現世離れせずにストーリーが進んでいった気がする。
(だからあまりレトリックにのめり込めなかったのかもしれない。
「ロリータ」は完全にハンバ