石井正のレビュー一覧
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石巻赤十字病院に勤務する外科医だった著者の石井正さんは、2011年2月に宮城県知事から「災害医療コーディネーター」に任命され、わずかそのひと月後に東日本大震災に直面した。事前の備えがあったとはいえ、地域で唯一の災害拠点病院として石巻医療圏22万人の命を背負うこととなった。
避難所のライフラインの状況や傷病者数もまるでわからず、石井さんはまず全ての避難所をローラー作戦で巡回して実態を把握することから着手した。停電であらゆる通信網が遮断され、外部の情報は入ってこない。発信することもできない。「HELPのサインがないことこそ、助けを必要としている証拠」という著者の言葉は、その後起こった様々な自然 -
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〇学んだこと
1.石巻赤十字病院では、トリアージエリアの設置は訓練通り進めることができた
2.震災発生から7時間後、陸上自衛隊が到着
3.EMISが稼働しない問題にどう対処するか
4.翌日の12日に、急患が779人(平常時は急患は60人程度)。翌日は1251人の急患。飛来するヘリは63機(事前訓練が功を奏した)
5.震災発生から48時間のうち、赤タグの患者は115人(低体温30人・クラッシュ症候群7人)
6.黒タグ(死亡)の人も多数運ばれてくる事態⇒院外のトリアージエリアを設置することで対処
7.病床数402床では対応できない⇒東北大学病院が受け皿となった(専門を度外視して診察を実施)
8.安 -
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東日本大震災での石巻。
行政も、民間も、交通機関も、医療機関も機能麻痺に陥った場所で、22万人の命を託された宮城県災害医療コーディネーターの記録。
石井医師が、県から災害医療コーディネーターを委嘱されたのは、震災1ヶ月前。
震災後は、医療活動のみならず、機能を失った行政の役割も果たさなくてはならなくなった。
読んでいて、この医師がいてくれたことが幸運だったと思わざるを得ない。
また、この医師を影から支えた何人ものブレーンの方々の存在がありがたい。
この本を1つの記録として読むか?教訓として読むかによって、未来は全く違うものになるのではないかと思う。
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東日本大震災後に、はからずも時の人になった石巻赤十字病院の石井先生の著作。先生がノートに書きとめた重要な記録が元になったようで、必ず今後の参考になると思われた。
この本を読んで初めて知ったことは、先生には災害医療コーディネーターなどのバックボーンがあったこと。単に一介の外科医が獅子奮迅、八面六臂の活躍をしたと思い込んでいたが、そのようなバックボーンのもと、先生が築きあげたネットワークをフルに活用し、また新たなネットワークを手繰り寄せ、協力を得たことによって先生の洞察力と行動力がいかんなく発揮されたことを知った。先生の英断は、医療だけにとどまらない支援をしたことだと思った。N95マスクのことなど -
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ネタバレ東日本大震災で最も被害が大きかった石巻市だが、医療施設は赤十字病院を除いて壊滅状態となった。石巻赤十字病院自体が災害拠点病院だったということもあり、災害医療の中心として対応を進めた。この著書はその災害医療組織全体を統括したリーダーである。
内容は災害医療なのだが、これは組織に関わる全てのリーダーが読むべき内容に満ちている。活動方針とコンセプトの共有、避難場所のアセスメントによる優先順位付け、エリア分けと地域毎のチーム編成による組織編成、課題と解決への迅速な対応(フィードバック)、行政や民間企業との要請と交渉・・・・。これらが恐るべきスピードで進んでいく。著者は立場上、災害医療コーディネータで -
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医師は元々社会的な使命の強い職業ですし、医師自身もミッション性が高いことが重要ですが、この本を執筆した石井さんは災害医療という究極の現場で、その本領を十二分に発揮した存在です。医療現場という特殊な環境は時には閉鎖性という弊害ももたらします。しかし、彼は外科医師であったため、日頃から兼ね備えたリーダーシップを生かし、石巻の再生のために全力を尽くすというぶれない姿勢の下に、全国から集まった3633の医療救護チーム約15000人というにわか大所帯を統括、石巻圏における22万人の医療救護活動を支え、医療崩壊の危機から救うというミッションを果たしました。
石巻赤十字病院を拠点とする彼の活動の様子は、昨年 -
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2011年3月26に日に発足し、9月30日の解散までの7ヶ月間にわたり活動した「石巻圏合同救護チーム」の記録を、石井正医師の視点から綴ったもの。
石井正医師は宮城県災害医療コーディネーターで石巻圏域22万人の命を託された形になる。
発災前によりリアリティのある災害対策・訓練を行っておられたのは大きな運命だと思う。そして、その場に携わっておられたのが石井医師であったというのも。
本書では被災後も災害現場の医療を統括されていた様子が非常にクリアな形でうかがえた。また、その活動は医療にとどまることなく、被災者が必要としていることに取り組もうとされていた様子もありありと伝わってきた。
僕が発災1ヶ -
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ネタバレ震災が発生してからその半年後にチームを解散するまで、
石巻圏合同救護チームを率いた石巻の日石の石井先生が
当時を思い出して書かれた本です。
著者は震災1カ月前、宮城県の災害医療コーディネーターに就任。
その直後に発災。石巻の日赤は拠点病院としては唯一石巻圏で
被災していない病院だったので、即時臨戦態勢へ。
全国から派遣されてくる3633チーム、1万5000人をとりまとめ、
避難所に派遣し、被災者5万人超の診察にこぎつけました。
時には機能停止している石巻市に代わって医療以外の分野まで
サポートしながら活動を行い、半年後の9月に活動終了。
震災が起きてからのことだけではなく、
いつか来ると言 -
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以前『石巻赤十字病院の100日間』を読んだ時、震災一ヶ月を過ぎたあたりからの記載が薄いのでそれが残念と書いたんですが、この本はさすがに震災から半年後ぐらいまでの情報が記録されていて、その辺の不満はあまり感じませんでした。
著者であり外科医であり災害対応の責任者であった石井氏がどのように対応したのか、そして来るべき災害に対応するために自治体などとどのような関係を構築していたのか、かなり詳細に書かれています。
外部から支援に駆けつけてきた医療チームのメンバーが「放射線量が分からない限りは何があっても動かない」と言ったことに対して、内心で「自分の身がそこまで大事なら帰れ」と感じたということ、とある -
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表紙の帯に石井先生の大きな写真があって、正直前から気になっていた本だったが、抵抗感があった。
読んでみたら、写真そのものの意思の強い石井先生の獅子奮迅の記録。
しかし、その中でも災害法制に役立つ記述あり。
(1)DMATは当初48時間の緊急医療を対象にしていたが、今回は、津波で死亡した人が多く、生き残った人には長期的な医療支援が必要だった。(p233)
(2)イオンが仙南交通と連携して、無料医療支援バスの運行を行った。(p216)
開業医への足とある貴重な貢献。民間企業の貢献に頭が下がる。
(3)石巻市は、佐川急便にお願いして、救援物資の仕分けを行った。(p157)
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