あらすじ
東日本大震災で最大の犠牲者を出した石巻市は行政や医療機関も機能がマヒし、「石巻医療圏」22万人の命は宮城県災害医療コーディネーターである著者に託された。状況不明の避難所300ヵ所、いつまでも減らない大量の急患数……かつてない巨大災害に、空前の大組織「石巻圏合同救護チーム」を指揮して立ち向かい、地域の医療崩壊を救った一外科医の思考と決断のすべて! (ブルーバックス・2012年2月刊)
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以前に購入していた本だったのだが、著者を知っている方からぜひ読んでみてと紹介され読んでみたのだが、本当に圧倒された。
・震災時の記録(クロノロジー)の重要性
・災害対応のキーワード(①事前の準備、②逃げない心、③客観的視点、④コネクション、⑤コンセンサス)
・被災者が必要とすることなら何でもやるという姿勢
など、今の仕事に活かすべき要素があるのではないかと思う。
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石巻赤十字病院に勤務する外科医だった著者の石井正さんは、2011年2月に宮城県知事から「災害医療コーディネーター」に任命され、わずかそのひと月後に東日本大震災に直面した。事前の備えがあったとはいえ、地域で唯一の災害拠点病院として石巻医療圏22万人の命を背負うこととなった。
避難所のライフラインの状況や傷病者数もまるでわからず、石井さんはまず全ての避難所をローラー作戦で巡回して実態を把握することから着手した。停電であらゆる通信網が遮断され、外部の情報は入ってこない。発信することもできない。「HELPのサインがないことこそ、助けを必要としている証拠」という著者の言葉は、その後起こった様々な自然災害の被災地にも当てはまるし、これから先も肝に銘じておくべきだろう。
著者は全国から応援にかけつけた3633の救護班を統括して約300ヶ所の避難所をエリア別に巡回する体制を確立。石巻市役所も被災していたため、各避難所の医療ニーズや必要な物資などをリストにして共有し随時更新、仮設トイレの設置の手配など専門外のことも引き受けた。
石井さんは7ヶ月にも及んだ活動を平易な文章で綴り、浮かび上がった多くの発見と問題点をわかりやすくまとめている。
「災害救護活動の現場にそもそも論を唱える評論家は必要ない。」
読み返すたびに今でも当時の状況が臨場感を持って伝わってくる良書である。
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〇学んだこと
1.石巻赤十字病院では、トリアージエリアの設置は訓練通り進めることができた
2.震災発生から7時間後、陸上自衛隊が到着
3.EMISが稼働しない問題にどう対処するか
4.翌日の12日に、急患が779人(平常時は急患は60人程度)。翌日は1251人の急患。飛来するヘリは63機(事前訓練が功を奏した)
5.震災発生から48時間のうち、赤タグの患者は115人(低体温30人・クラッシュ症候群7人)
6.黒タグ(死亡)の人も多数運ばれてくる事態⇒院外のトリアージエリアを設置することで対処
7.病床数402床では対応できない⇒東北大学病院が受け皿となった(専門を度外視して診察を実施)
8.安全確認がとれていない地域に医師を派遣することに細心の注意が必要
9.東日本大震災が発生する5年前、病院を内陸に移転
10.屋上ヘリポートは、災害発生時にエレベータが停止した際に、患者搬送が実施できない
11.災害発生時のマニュアルを実名で記載することで、平時から備えてもらう
12.dERU:一日軽症・中等症を150人程度
13.DMAT(CSCATTT)と日赤(巡回診療)
14.災害発生時は、関係機関の密な連携(顔が見える関係)が重要。
15.自らの業界に縛られず、協力関係を構築することが応急対応を強固にする(ドコモ中継局)
16.避難所のトリアージを実施(避難所のアセスメントシートを、◎・〇・△・✕で評価)
17.緊急時に、自らの活動を自己限定しない
18.情報をとにかくかき集めることが重要
19.「数が揃ってから配る」はお役所的発想。
20.災害救護の現場では、べき論ではなく、解決策を生み出すことが必要
21.地元医師会との緊密な連携が必要
22.震災直後のガソリン・灯油不足・宿泊場所にどう対処するべきか
23.表5-2の要望リストを参考
24.被災者のために何をすべきか常に考えて行動する
25.行政との対応は「謙虚」と「具体例」
26.報道機関も災害時には協働できる仲間である
27.災害救援活動で最も重要なのがロジスティクス
28.地域リーダーが率先して、二次避難を勧めることが重要?
29.公助機関として、「対応部署ではない」と答えることがあってはいけない
30.防災マニュアルは、初動対応以外は、応用問題となる心構えが必要
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東日本大震災での石巻。
行政も、民間も、交通機関も、医療機関も機能麻痺に陥った場所で、22万人の命を託された宮城県災害医療コーディネーターの記録。
石井医師が、県から災害医療コーディネーターを委嘱されたのは、震災1ヶ月前。
震災後は、医療活動のみならず、機能を失った行政の役割も果たさなくてはならなくなった。
読んでいて、この医師がいてくれたことが幸運だったと思わざるを得ない。
また、この医師を影から支えた何人ものブレーンの方々の存在がありがたい。
この本を1つの記録として読むか?教訓として読むかによって、未来は全く違うものになるのではないかと思う。
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2.5年前の大震災直後からの災害医療チームリーダーによる、迫力の記録集。とにかく色んなことを考えさせられる本となった。各記述の重みが凄すぎ、きついものもあった。しかしいずれも現場で重要なこと、視点ばかり。そして今を生きる自分の生活、仕事場にそのまま適用、活用可能というところに恐れ入る。この高い意識を本当に敬意を表して見習いたい。
最近すっかり震災関連報道が下火になっているが、まだまだ終わってはいない。本書のような視点でのドキュメンタリー番組を是非望みたい。
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石井先生は医師だが、傑出した一人ないし数名によって支えられている自治体は意外と多くあるようで、震災の局地的な対応を中心に書かれたこの本は多いに学ぶべきところのある本なのではと思う。
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先日、執筆者の石井先生にお目にかかる機会があり、本著を手にとった。避難所のアセスメントシート、災害医療コーディネーター、エリアとラインの設定など、とても重要なことだと感じる。また先生がおっしゃっていた被災地での通信の重要性も具体的な内容で記述されている。今後の災害に備える上でぜひご一読をお勧めしたい。良書。
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東日本大震災後に、はからずも時の人になった石巻赤十字病院の石井先生の著作。先生がノートに書きとめた重要な記録が元になったようで、必ず今後の参考になると思われた。
この本を読んで初めて知ったことは、先生には災害医療コーディネーターなどのバックボーンがあったこと。単に一介の外科医が獅子奮迅、八面六臂の活躍をしたと思い込んでいたが、そのようなバックボーンのもと、先生が築きあげたネットワークをフルに活用し、また新たなネットワークを手繰り寄せ、協力を得たことによって先生の洞察力と行動力がいかんなく発揮されたことを知った。先生の英断は、医療だけにとどまらない支援をしたことだと思った。N95マスクのことなどいくつか気になる点はあったが、今後の災害医療において参考になる記述が多々あると感じた。個人的に実家が被災地なので、そういう面からも非常にリアルな記録に感じ、少しウルウルきた部分もあった。
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東日本大震災で最も被害が大きかった石巻市だが、医療施設は赤十字病院を除いて壊滅状態となった。石巻赤十字病院自体が災害拠点病院だったということもあり、災害医療の中心として対応を進めた。この著書はその災害医療組織全体を統括したリーダーである。
内容は災害医療なのだが、これは組織に関わる全てのリーダーが読むべき内容に満ちている。活動方針とコンセプトの共有、避難場所のアセスメントによる優先順位付け、エリア分けと地域毎のチーム編成による組織編成、課題と解決への迅速な対応(フィードバック)、行政や民間企業との要請と交渉・・・・。これらが恐るべきスピードで進んでいく。著者は立場上、災害医療コーディネータではあるが、専門は外科医である。それがここまでマネジメントするのは驚異的ですらある。
このマネジメントの難しさはマネジメントをしたことがある人にしか想像できないかもしれない。人数は数百人。しかも別の地域や病院から派遣されたメンバーも多いので、文化も違う(事実、その問題は発生した)それを統制できたのは目的と活動方針、コンセプトを常に共有したことが最も大きいのだろう。まさにマネジメントの本質を突いている。
また、このスピード感を持てたのは、外科手術ではどんなに準備しても想定外な事は発生するので臨機応変に瞬時に対応が必要なので慣れっこだったとある・・・・。そうなのだろう。だがそれだけではなく土台がいるはずである。その土台を創るきっかけはDMAT(急性期に対応する医療派遣チーム)の組織力を岩手宮城の地震の時にみせつけられ、圧倒されたことではないかと思う。ここで著者は組織マネジメントの学習と訓練を重視したのではないかと思う。
文章自体も過度に熱いものではないが、感情的な言葉も点在しており当時の苛立ちを感じる部分もあるが、それを鉄の意志でおさえて判断、もしくは苛立ちを引きずり誤った判断をしたところもあるように思う。だが、その部分を著者はきっちりと書いている。(具体的にはボランティアについてだ。震災発生2週間の時期でボランティアが集まったが、彼らが酒盛りをしているところをみてしまったのだ。当時、石巻では5~7万人の食事が不足している、あったとしてもおにぎり1個という状況だ。ここで著者は「ボランティアが怪我をしても消極的対応をするように」というややクレイジーな指示を内部に行っていた。だが、その後、ボランティアが必死に対応する姿をみて、全てのボランティアがそうではないと認識し、その指示を撤回する経緯を記載している。この部分は著者にとっては隠したい部分でもあるかと思うが、ページを割いて記載しているのだ)
そして驚きなのは、この状況下でデータ収集を非常に重点を置いて行っているという点である。これは対応の優先順位を把握するだけを目的としていない。次の災害に繋げるためのデータを残すという意思があってのことだ。振り返れば「やっておけば良かった」と思えることを「やっている」のである。この状況下で先=将来(次の震災)をみていたのだ。
最後の解説で「誰もが石井正になれるわけではない」と何度も繰り返しているのが、この著者の凄さを如実に表しているのではないだろうか。。
これを読む前に「石巻赤十字病院の100日」を読んでいたので、ある程度の情報を知っていたのだが、この著書はそこでの決断に至る経緯や視点が加わっている。内容も一部重複だが視点が異なっているので、まだよんでいない人はこちらも読んだ方が良いと思う。どちらもまだ読んでいない人
は「石巻赤十字病院の100日」を読んでから、この著書を読むことを強く推奨する
Posted by ブクログ
強力なリーダーシップで、震災時の災害医療を引っ張った方のナマの記録。
被災地への医療提供というプロジェクトの立ち上げから終息までが、評論ではなく実践者の視点で綴られており、著者しか記し得ない貴重な書となっている。
医療人でなくとも本書を通して得られるものは多く、特に何らかの現場を担当する人は必読だと思う。
Posted by ブクログ
著者の本音で書かれた記録。多くの人たちが協力し、被災地で闘っていたかが臨場感をもって描かれている。
筆者の情熱と強い意志が伝わってくる。
石井さんの「雇用の促進を」という言葉が印象に残る。
支援は状況とともに変化していく。
今回のような大災害に備える為には地域レベルでの訓練・対策が必要であると強く思った。
とてもシンプルで、読みやすいし、多くの人に読んでほしい1冊です。
Posted by ブクログ
医師は元々社会的な使命の強い職業ですし、医師自身もミッション性が高いことが重要ですが、この本を執筆した石井さんは災害医療という究極の現場で、その本領を十二分に発揮した存在です。医療現場という特殊な環境は時には閉鎖性という弊害ももたらします。しかし、彼は外科医師であったため、日頃から兼ね備えたリーダーシップを生かし、石巻の再生のために全力を尽くすというぶれない姿勢の下に、全国から集まった3633の医療救護チーム約15000人というにわか大所帯を統括、石巻圏における22万人の医療救護活動を支え、医療崩壊の危機から救うというミッションを果たしました。
石巻赤十字病院を拠点とする彼の活動の様子は、昨年何回かNHKの特集番組で組まれていましたから記憶に新しいと思います。その場面で彼が全国から集まった多くの医師等を前にして、「千年に一度の国難です・・」と組織の大方針を打ち出し、ともすれば功名心や自意識の強い医師たちを統制していたのが強烈な印象でした。
彼は、自分自身を例えると、平凡な外科医であり、たまたま地震のひと月前に宮城県知事から「災害医療コーディネーター」の役割を委嘱されたからだとしていますが、そういう役回りが巡ってきた時にタイミングよく大任を果たせるのも、これまでの彼の生き様から成しえたことだといえます。
この本の中で、仕事をする上で大事なポイントが、太字で書かれています。その中でも、「緊急時や非常時に自らの活動を限定するほどナンセンスなことはない」として、本来なら行政がする避難所の管理など多くの仕事を手掛けた経緯はとても重要なことだと思いました。ややもすると「〇〇がすべきだ・・とか、そもそもその仕事は・・・」の意見が出るのですが、彼はその意見に「災害現場に評論家は要りません」と切って捨てたのも痛快でした。
そして、私自身も自らを振り返って、行動もしないで意見ばかりいってないか、こうしたらどうだとか知恵を絞る工夫を怠っていないかと、改めて胆に銘じました。
この本の解説でこの現場に共に闘った他病院の先輩医師が、”誰もが石井正になれるわけではない。だが、本書はこれからの災害医療にとって確固たる指標となるはずだ。”と結んでいます。
歴史は繰り返します。是非ともこの体験から多くのことを見習ってほしいものです。
Posted by ブクログ
2011年3月26に日に発足し、9月30日の解散までの7ヶ月間にわたり活動した「石巻圏合同救護チーム」の記録を、石井正医師の視点から綴ったもの。
石井正医師は宮城県災害医療コーディネーターで石巻圏域22万人の命を託された形になる。
発災前によりリアリティのある災害対策・訓練を行っておられたのは大きな運命だと思う。そして、その場に携わっておられたのが石井医師であったというのも。
本書では被災後も災害現場の医療を統括されていた様子が非常にクリアな形でうかがえた。また、その活動は医療にとどまることなく、被災者が必要としていることに取り組もうとされていた様子もありありと伝わってきた。
僕が発災1ヶ月後に向かった地の名前が頻繁に出てきたので、その後を知ることができてよかった。
・・・次にどこで災害が起こるか分からない。
そのとき、この石井医師のように振る舞うことが出来る人がいつもいるとは限らないし、むしろ、そのような方は希有な存在だといっていいと思う。
またその人脈や環境なども、様々な、半ば奇跡のような形があったのだと感じさせられた。
この経験が、他人事ではなく、いま我々の知として価値を持つようにしていくことが重要だと思う。
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【目次】
第1章 発災
第2章 備え
第3章 避難所ローラー
第4章 エリアとライン
第5章 協働
第6章 人と組織
第7章 取り残された地域
第8章 フェードアウト
終章 「次」への教訓
かいせつ:内藤万砂文(長岡赤十字病院救命救急センター長)
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Posted by ブクログ
内容も活動も素晴らしい。 背景、実際の動き、苦しんだ事、助かった事、教訓、今後、などなどが簡潔明瞭に述べられている。 誰が読んでも学ぶものや感じることがあると思う。
Posted by ブクログ
災害医療コーディネーターとして東日本大震災発生からの7ヶ月の記録。
地震発生直後の院内体制の構築から、各避難所の現状の把握・問題解決など筆者がどのように動いたか事細かに記されている。
行政も被災し機能不全に陥ってる中、医療者ということに捉われず行動した姿勢に脱帽。
Posted by ブクログ
震災が発生してからその半年後にチームを解散するまで、
石巻圏合同救護チームを率いた石巻の日石の石井先生が
当時を思い出して書かれた本です。
著者は震災1カ月前、宮城県の災害医療コーディネーターに就任。
その直後に発災。石巻の日赤は拠点病院としては唯一石巻圏で
被災していない病院だったので、即時臨戦態勢へ。
全国から派遣されてくる3633チーム、1万5000人をとりまとめ、
避難所に派遣し、被災者5万人超の診察にこぎつけました。
時には機能停止している石巻市に代わって医療以外の分野まで
サポートしながら活動を行い、半年後の9月に活動終了。
震災が起きてからのことだけではなく、
いつか来ると言われていた三陸沖の地震に備えて、
それまで日赤や自治体、警察、自衛隊とどう連携を結んだか、
人脈を繋げることによって民間企業とも自主協定を結んでいたことなど、
日ごろの取り組みについても細かく記されています。
実際に現場でどういう問題が起き、どう解決していったのか、
なども細かく書かれているので、全体を見渡す上で大変タメになります。
私のような小さなボランティア団体を率いていた人間でも
同じような経験をしたり、深く共感できたところがあります。
こういう大規模災害の救援に携わる立場の人、
とくにコーディネートの仕事をする人や、企業、役場、NPOの担当者、
医療従事者、ボランティアのリーダーなど、
各立場の取りまとめをする人には、この本は必読の書だと思います。
Posted by ブクログ
以前『石巻赤十字病院の100日間』を読んだ時、震災一ヶ月を過ぎたあたりからの記載が薄いのでそれが残念と書いたんですが、この本はさすがに震災から半年後ぐらいまでの情報が記録されていて、その辺の不満はあまり感じませんでした。
著者であり外科医であり災害対応の責任者であった石井氏がどのように対応したのか、そして来るべき災害に対応するために自治体などとどのような関係を構築していたのか、かなり詳細に書かれています。
外部から支援に駆けつけてきた医療チームのメンバーが「放射線量が分からない限りは何があっても動かない」と言ったことに対して、内心で「自分の身がそこまで大事なら帰れ」と感じたということ、とある学校に集まっていたボランティアが酒盛りをしていたのを目撃して「それ以来、しばらくはボランティアを不信の目で見ていた」ということなど、著者の率直な見解やその当時に感じていたことなどが包み隠さず書かれている点にも好感を持ちました。というか、1995年の阪神の時のようにボランティアが成熟していなかった時代ならまだしも、いまだに被災地で羽目をはずすボランティアがいたという事実には、なんかガッカリしましたがそれも事実として記録に残っておくべきなんでしょう。
最後に著者が書いていた一文を抜粋。
「考えを実現するには行動が必要。そもそも論、べき論は現場では邪魔になるだけ。」
Posted by ブクログ
この先生、本当にすごい。
人間としてすごいと思った。
心に残るエピソードがたくさんあった。
そして、被災された石巻の人たちも、冷静さを失わず、忍耐強くいて、人間として素晴らしいと思った。
被災者の方たちが今もなお復興の過程にいることを忘れてはならないと思った。
Posted by ブクログ
表紙の帯に石井先生の大きな写真があって、正直前から気になっていた本だったが、抵抗感があった。
読んでみたら、写真そのものの意思の強い石井先生の獅子奮迅の記録。
しかし、その中でも災害法制に役立つ記述あり。
(1)DMATは当初48時間の緊急医療を対象にしていたが、今回は、津波で死亡した人が多く、生き残った人には長期的な医療支援が必要だった。(p233)
(2)イオンが仙南交通と連携して、無料医療支援バスの運行を行った。(p216)
開業医への足とある貴重な貢献。民間企業の貢献に頭が下がる。
(3)石巻市は、佐川急便にお願いして、救援物資の仕分けを行った。(p157)
ドコモが基地局を病院近くにつくったり、グーグルが検索システムをつくったり、民間の貢献が大きかった。このネットワークを事前に国レベルでもつくりたい。
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石巻赤十字病院の外科部長・医療社会事業部長である著者が、宮城県より災害医療コーディネーターを委嘱された直後に東日本大震災を経験し、石巻医療圏の医療崩壊を救うべく奮闘した7ヶ月間の記録である。東日本大震災の史上類を見ない被害状況を客観的に描きながら、約1万5000人にも上る医療救護チームを率いた様子を著している。著者は、自身を「調整官」と評しているが、「人の命を救う」、「医療崩壊を防ぐ」という目標に向かっての強いリーダーシップと熱意には脱帽した。「これは官(あるいは民)の仕事だ」と線引きをしようとする人がいる中、著者は線引きなどせず、「誰であればその役割を全うできるか」を常に意識しながら行動していたように思う。著者のその熱意と、そして未曽有の大災害を前に、医師や行政、民間企業、ボランティアなどの多くの人たちが自分たちの役割を超えた活動をし、その結果、石巻医療圏の医療崩壊は防がれたわけである。災害対策と同時に、自分の仕事に対する姿勢を見つめ直す作品であった。
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支援等々があまりにも石巻赤十字に偏っていたと言う人もいるが、ここが拠点になったのは平時からそれだけの備えをしていたからこそだということが分かる。
真っ暗闇の市内、その中に浮かび上がる石巻赤十字の建物が思い起こされた。
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石巻赤十字病院の石井医師のブレない哲学、災害における支援のリーダーシップに感銘を受けました。
改めて東日本大震災の被害の大きさとともに、チームでボランティア活動や災害に強い街づくりを行う重要性を知りました。
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東日本大震災で甚大な被害を受けた石巻。そこで7ヶ月という長期に渡り災害医療コーディネーターとしてリーダーシップを執った、石巻赤十字病院の石井医師の記録。
本著は被災者支援について医療の側面から記したものだが、そこに書かれている事はすべて、どんな場面にでも必要かつ大切な要素だと思う。
以下、その要素を抜粋。
• 第一線に立つ実務担当者どうしが、お互いに顔がわかり、密接に連携できる関係でなければ、災害発生時に何の意味もなさない。
• 訓練とは、そのきわめてリアルなマニュアルをもとに、担当部署や職員が本当に機能するのかを実際に検証、確認するのが目的である。でなければ、いくら訓練を重ねても「訓練のための訓練」でしかない。
• 緊急時や非常時に自らの活動を自己限定するほど、ナンセンスなことはない。
• 「こうあるべき」とか、「誰がやるべき」などという「べき」論を唱えることではなく、「どうするか」「どうしたらできるのか」と一人ひとりが知恵を絞り、みなで協力して実現可能な解決策を生み出す
• どんなにすぐれたマニュアルでも、いずれは通用しなくなる。そこで不可欠なのが「考えること」
• 考えを実現するには「行動」しなくてはならない。行動とは、客観的情報を集めることと、必要と判断したことは規制概念にとらわれず、なんでもやる、交渉すること。
自分の日々の行動が、なあなあになっていないかもう一度見直そう。
マニュアルのためのマニュアル、報告をするための報告、、、今の仕事に山積する無駄を少しでも減らす努力を始めよう。
Posted by ブクログ
東日本大震災で医師らの活動を描いたノンフィクションは多いが、本書は活動の指揮を執った医師による記録である。そういう意味では非常に貴重な記録。今後の災害医療の参考になってほしいという著者の思いがつたわってくる。
Posted by ブクログ
活動コンセプトがしっかりしていないと寄せ集めの集団が同じ方向へ向かっていくことはできない、だから「軸」をぶれさせないことに注意したという言葉が印象的だった。息つく間もなく押し寄せる難題とそれに対する思考と決断にただ圧倒された。自分だったらこの極限状態でどこまでのことができるか改めて振り返った。それから自分の専門分野外のコネクションを平時から構築しておくことなど、まだ災害が起きていないときに出来ることの多彩さにもはっとした。実際にひとたび災害が起きてしまったらマニュアルをめくっている暇なんか無いことの方が多いはず。だからこそ、備えるときに備えられるだけ備えておきたい。