米原謙のレビュー一覧
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熊本で徳富蘇峰記念館を訪れて興味を持ち、読んでみた。同志社出身のジャーナリストという漠然としたイメージしかなかったが、蘇峰のナショナリズムに焦点を当てた本書で明確な像を結んだ。
新聞記者は、虎穴に入らずんば虎児を得ずということで、取材対象に深入りした結果、自身がプレーヤーになってしまうことがある。特に政治の世界ではよくあるが、蘇峰はまさにその先駆者であろう。新聞社を経営しながら、松方首相の際に、内務省の参事官を引き受けてしまったり、自身の新聞を「正統なる唯一機関」と覚え書きを交わし、政府の機関紙であることを臆面なく宣言してしまう。言論人ではなく、フィクサーの感が強い。
「欧米に対して正統な認知 -
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日本におけるジャーナリストの草分け的存在でもある徳富蘇峰の生涯を著したもの。徳富蘇峰はジャーナリストの他にも、思想家、歴史家、政治家として明治~昭和にかけて影響力の与えてきた人物。
また副題にもある通り、本著では日本のナショナリズムの変遷がうまく整理されており、その意味でも一読の価値あり。
以下引用
・蘇峰の弱点は、脱亜を断念した後も、脱亜論の目できかアジアを見ることができなかった点にある。それは欧米に対して正当な認知をもとめながら、アジアの「他者」が同じ欲求をもつことは認識できなかったということである。換言すれば、欧米が日本の国民的自尊心を傷つける事には敏感でも、アジア諸国の「傷つけられた -
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ネタバレ[ 内容 ]
明治十九年、徳富蘇峰は二十三歳で、評論『将来の日本』を著して華々しく論壇にデビューした。
その後、藩閥政府への参画を「変節」と誹謗され、戦後は第二次大戦中の言動によって無視されつづけた。
しかし蘇峰は、青年時代から一貫して、日本が国際社会から敬意ある待遇を受けることを主張してきたのである。
本書は「大言論人」蘇峰の生涯をたどり、日本ナショナリズムの転変に光を当てるものである。
[ 目次 ]
第1章 新世代の「青年」の誕生
第2章 平民主義のリーダーとして
第3章 「膨脹」への意欲―日清戦争
第4章 「世界の同情」をもとめて―日露戦争
第5章 「白閥打破」から「亜細亜モンロー主義 -
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平民主義を掲げてジャーナリズムの世界で活躍し、ナショナリズムへと傾斜していった徳富蘇峰の生涯と思想をわかりやすく解説している本です。
著者は、状況のなかでベターなものを選択するという蘇峰の便宜主義的な振る舞いを批判しながらも、西洋列強からのまなざしを意識しつつ日本の国家的アイデンティティを形成していかなければならない近代日本の歩みのなかに蘇峰を置き、彼の思想的変遷が現代のわれわれに突き付けているはずの問題を浮き彫りにしています。
蘇峰のコンパクトな評伝としてはたいへん優れた本ではないかと思います。欲をいえば、陸羯南や三宅雪嶺といった思想家たちとの比較や、北村透谷などの蘇峰よりすこし若い世代 -
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本書は、「明治・大正・昭和」の長い期間を第一線の新聞人として過ごした「徳富蘇峰」の生涯の「軌跡」を追いかけたものである。
「徳富蘇峰」の現在の評価はあまり高いとは思えないが、本書によると、日本の政界における当時の地位や影響力は、今一般に考えられているよりもはるかに高く重いものがあったようである。
「徳富蘇峰」の特徴としてその長い生涯と活躍期間の長さがある。徳富蘇峰が新聞人を目指したのは、明治13(1880)年の17歳時。日本で新聞が初めて発行されたのは明治5年だというから、新聞の黎明期から今で言うジャーナリストを目指し、23歳時の明治19年(1886)年には、「将来の日本」という政治評論