2011年に出た新書本。作者の人は、山梨県内で学芸員や大学教員をされている方のようです。
いわゆる戦国真田家について、ノンフィクション実相的な初歩を知ろうかなあ、と思って買った本です。
まあ、正直に言うと本として面白い本では全然なかったです。
それでもこういう本が出る、ということは、それだけ真田昌
...続きを読む幸・真田信幸・真田幸村(信繁)の、一般的な人気が高い、ということなんでしょうね。
ざっくり言うと、
真田幸綱さんという人がいまして。幸隆とも呼ばれます。昌幸の父。幸村の祖父。
この幸綱さんは、大まかに言うと武田信玄と同世代人。信長、秀吉より1世代、上です。
この人は、
「長野県内で、真田という名称の土地の、領主というか国衆というか、そういう立場だった」
らしいんですね。
で、信長とか秀吉とかという以前の、戦国前半期の時代。
長野県は割と有名人が居なくて、群衆割拠だったそうです(だから後々は、甲斐の武田信玄と越後の上杉謙信に刈られる訳です)。
この幸綱さんは、村上氏の攻撃で、自領を追われます。
亡命して上野、今でいうと群馬県とかの、知り合い?の、豪族あたりをフラフラ彷徨う訳です。
この幸綱さん「故郷真田を取り返したい」と。
そして、どうやらバイタリティと権謀術数と戦闘能力が高かったようで。
色々考えて、甲斐の若き武田信玄のところに就職します。
で、めきめき頭角を現して、中途採用(笑)にも関わらず、重臣の一角を占めます。
幸綱という人については、(あるいはそれ以前の真田氏については)
要するに、それ以上のことは史料的にはなんにもわかんないんだそうです。
清和源氏の流れとか、名門海野氏と関係が、とかいろいろ可能性はありますが、
判りやすく言うと証拠はゼロだそうです。
その三男が真田昌幸さんなんですね。
人質も兼ねて、武田信玄さんの小姓のようにおそばに仕えていたんですね。
昌幸さんは、信玄の子供の世代。信長・秀吉・家康より、ちょっと年下。まあ大まか同世代。
どうやら子供の頃から頭が良くて。
武田信玄に可愛がられていたそうですね。
信玄vs.謙信で、直接チャンバラがあった、と言われる第四次(だったかな)の川中島合戦が、昌幸さんの初陣だったそうです。ちなみに山本勘助さんが戦死した戦いです。
で、この昌幸さんは、三男坊だから、どこかに養子に行ってたんですが。
信玄の死後(幸綱も死後)、有名な「長篠の戦い」がありまして。
信玄の子の勝頼さんが、騎馬隊率いて信長の鉄砲隊の前に無残に大敗北をした戦いですね。
ここで、お兄ちゃんたちがみんな死んじゃうんです。
なので、急きょ昌幸さんが真田姓に戻って、跡を継ぐことになります。
ここから、武田家の滅亡までの間、真田昌幸さんは、「武田の、歴史は浅いながら有能な家来」として、
長野県や群馬県を中心に活躍します。
やがて、信長軍に攻められ、武田が滅亡すると、しょうがないから「独立中小企業」として活躍します。
流れで織田軍には服従するんですが、そこで本能寺の変。
中央政権の崩壊。
秀吉が天下統一するまでの期間は、群馬・長野・山梨あたりの、「旧武田信玄領」は、狼の狩場になるんですね。
具体的にどういうことかっていうと、
●北条氏…関東を本拠に群馬一帯へと領土を広げたがっている。群馬にかなり食い込んでいる。
●上杉氏…新潟を本拠に群馬と長野へ領土を広げたがっている。長野にはわりと食い込んでいる。
●徳川氏…静岡を本拠に、山梨から群馬へと領土を広げたがっている。山梨はほとんど占領している。
という三大勢力がありまして。
この三氏が、武田が滅んで、織田信長も死んで、京都辺りで羽柴秀吉と柴田勝家が喧嘩したりしている頃に、
「今のうちに群馬・長野・山梨は空き家だから、どんどん占領したろう」
と、えげつなく軍事進攻してくる訳です。
この間で、真田昌幸さんは、「長野県上田~群馬県沼田」あたりの自分の領土を守りたい訳です。
あわよくば増やしたい訳です。
で、この戦国の時期っていうのは、江戸時代に儒教で植えつけられる、「忠君」「社畜」「協調性」みたいな日本人気質は、あまり支配的じゃないんですね。
なので、みんな生存の必要のためには君主もころころ変えます。
サッカー選手が移籍するくらいの感覚です。
で、昌幸さんも、上杉、北条、徳川に、従ったり裏切ったり。
ほんとに1年毎くらいに、服従相手というか、同盟相手を変えながら、色々やりながら、上手く生き延びます。
戦っても、信玄譲りなのか、築城も野戦も優れ、負け知らず見たいなローカルヒーロー。
悪者結構ゴキブリ野郎な訳ですね。
で、結局最後はうまいこと、いいタイミングで豊臣秀吉に臣従を示します。
領地を安堵されて、秀吉時代を迎えます。
長男の信幸さんは、なんとなく徳川と仲良くして。徳川の重臣の娘と結婚。
次男の信繁(幸村)さんは、なんとなく秀吉に気に入られます。秀吉の子飼い大名・大谷吉継の娘と結婚。
で、関ヶ原の戦いのときに、「犬伏の別れ」という場面になります。
お父ちゃんの昌幸さんは、山っ気があるんですね。
「西軍について、戦う。まだまだ戦国が続くぞ」的な。たぶんですけど。
で、長男だけ徳川軍に。
お父ちゃんと次男は西軍石田軍に属します。
で、昌幸&信幸は。
関ヶ原に向かう、徳川本軍(家康の息子の秀忠が率いていた)を、信州上田城に迎え撃ちます。
このときに、4万くらいの相手に、2千人くらいで戦って、無茶苦茶、勝ってしまうんですね。
ここは、戦上手の真田昌幸&幸村親子のひのき舞台、見せ場な訳です。
…なんだけど、関ヶ原の戦いは。
徳川本軍を見事足止めしたのにもかかわらず。
諸大名を束ねただけの家康軍は、たった一日の戦いで勝っちゃうんですね。
こうなると、もう天下は徳川の物ですから。
昌幸&幸村は、信幸さんが家康に気に入られていたおかげで、助命嘆願。高野山に蟄居になります。
この後、昌幸は病死。幸村は十何年の蟄居の後、中年になって「大坂の陣」で活躍して戦死することになります。
なんだけど…このあたりはもう、若干の史料的な事実指摘以外は、結構この本は、ちょっとセンチメンタルだったりしまして。
…センチメンタルになっても面白ければいいのですが、
だったら司馬遼太郎さんの「関ヶ原」「城塞」を読むほうが、脇役ながら真田昌幸・幸村のことは心情的には良く判るし…何より面白いんですよね…・