柳家花緑のレビュー一覧
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著者である柳家花緑(やなぎやかろく)は落語家で人間国宝お五台目柳家小さんの弟子である。小さんの弟子でありながら孫である()。
「落語家はなぜ噺を忘れないのか」
全てをつつみ隠さず手の内を明かす・・・とあるが、これは、「落語家」ではなくて、「柳家花緑という落語家はなぜ噺を忘れないのか」としてもいいと思う。
柳家花緑の落語に対するアプローチは、「赤めだか」の立川談春や、「雨ン中のらくだ」の立川志らくとは違うように感じる。ノートに書き上げるという非常にまじめな地道な作業なども紹介されている(ちなみに、立川談春は聴いただけで覚えるらしい・・・)。
この本では、柳家花緑の感じた落語論が個別の体験の -
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ネタバレ「」の使い方がうまくて読みやすい。おそらく意識してか、短い文章が多く、「」がない部分でもなんとなく落語を聴いている感じでさらさらと読める。噺全体のわかりやすさにとにかくこだわって、かつやっぱりウケたい、と修業を続けた経緯が語られる。
「古典落語でも、江戸時代に聴いていた人にとっては現代噺」という解釈で、自分なりの脚色を入れていく。それがウケたウケないで入れ方を変えていく。迷ったときや間違ったとき、師匠や先輩の名前が出てきて、考え方の修正が入る。身近な祖父の五代目柳家小さん、叔父の六代目小さんから、立川志らく、柳家小三治などの名前がよく出てくる。独学の部分も多いのだろうけれど、やっぱり伝承芸 -
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落語家が噺を忘れないことなど全く不思議に思わない。と、そう考える人の方が多いんじゃないかと思う。そしてそういう人は本書のタイトルに全く魅力を感じないと思う。当方もそう感じて手に取るのを躊躇っていたけれど、読んでみると面白かった。
本書には「落語家が噺を忘れない不思議」など、ほんの数文字しか書いていない。おそらくは著者も不思議でもなんでもないと感じているんだろう。むしろ本書は著者自身の落語論であり、そうした観点からこそ面白く読める本だった。
おそらくは編集側によって付けられたタイトルなんだと思うが、タイトルでずいぶんと損をしている本だと思う。落語に興味のある人は、ぜひともタイトルに「騙されず -
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[ 内容 ]
落語家が高座に上がるまでにやっていること、高座の上で考えていることを、自らをモデルに明かす。
タイトルの「落語家はなぜ噺を忘れないのか」に始まり、「どうやって噺を面白くするのか」「どんな噺が難しいのか」等々、落語にまつわる創意工夫を公開。
あまり明かされることのない、落語家の頭の中、手の内を見せる。
祖父であり、人間国宝ともなった五代目柳家小さんからの教えも随所に登場。
柳家一門および一門を超えて受け継がれていく落語の伝承が感じられる一冊。
[ 目次 ]
第1章 落語家はなぜ噺を忘れないのか
第2章 いかにして噺に命を吹き込むか
第3章 落語家にとっての噺の種類
第4章 自分の -
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上手くいかなくて落ち込んだ時でも、発達障害の疑いで悩んでいる時でも、気持ちを軽くしてくれる本です。
ディスレクシアをもつ柳家花緑さんが自身の経験や取り巻く人たちの話を元に、苦しかった時の乗り越え方や、発達障害があるということについての付き合い方のティップスが詰まっている。
実際、落語の世界では、いつもドジをするキャラや威張り屋のキャラなど、多様な人で構成されている。でも、現代では、なんでもできて、感情コントロールもできて、うまくやれることが求められている。確かに、色々必要なスキルが増えて、
そんな理想の人を探しているのかもしれない。
でも、200年前と今で人の根本の気質ってそう変化しないは -
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噺が身についているから、落語家は噺を忘れない。
その「さおだけ屋はなぜ潰れないのか」的なタイトルから、《落語家が明かすマル秘暗記術》のような内容を期待するときっと肩すかしを食うだろう。落語家が噺を忘れないのは、ただ台詞を暗記しているだけではなく「立体的に」覚えているからだと著者は言う。それが「噺が身につく」ということであり、それはただただ稽古の賜物でしかない。ではいったい、落語家は噺を身につけるためにどんな具合に稽古を重ねているのか?この本の「肝」は、そこにある。
個人的には、花緑師が演じる『笠碁』がいままで聴いた誰の『笠碁』とも違うため、いったいその「型」がどこからやってきたのか知りたく