めちゃくちゃ面白い!!学部で憲法を学んでいたということも楽しめた要素としてあると思うけど、学んでない人も楽しめるんじゃないかな。
2000年以降の、最高裁の判例変更はどのように起こったのか。従来の判例を尊重すべきか。あるいは、判例を変更すべきか。判事たちは対立する。そして画策する。自分の考えを多数派にするために。最高裁には小法廷(5人)と大法廷(15人)があるが、その中では「被害者を救済すべきだ」とか「政治と司法の兼ね合いも考えるべきだ」といった人間臭い思いを持った裁判官たちが、人間臭い政治を繰り広げてきた。研ぎ澄まされた法論理を武器にして。その様子が、綿密な取材・調査によって確かに伝わってくる。それがたまらん。
三権分立。よ~く聞くこの言葉。立法、行政、司法の三権が相互に抑制する関係にあること。まぁそんな定義でいいんかな。立法。うん、これは間違いなく力を持ってるね。行政。うん、これも間違いなく力を持ってるね。では、司法は?皆の中のイメージで、検察は別にして、裁判所が権力を行使するイメージってある??これが今まさに問題になってる。今までの司法は、消極的すぎたんじゃないか。政治と行政を抑制する力を持つ機関としての役割を避けすぎてきたんじゃないかって。例えば、議員定数不均衡の問題。本来、一人一票という原則を出来る限り実現すべき民主主義なのに、日本では都市の有権者と地方の田舎の有権者では一票の重みが参議院では4倍くらい違う。田舎で100人で一人選ぶとこもあれば、都市で400人で一人選ぶとこもあるってこと。そうすると、何が問題になるか。地方の田舎の人の意見が過大に、都市の人の意見が過小に、政治に反映されてしまう。これは、平等じゃなく、民主主義の原則にそむいている。そういう状況が今の日本にはあるってこと。
そんな時、今までの司法はどうだったか。「うん、確かに平等じゃない状況が生まれているね。それは問題だ。がしかし!!!選挙の区割りというのは、高度に政治的なことであって、それに対しては国会(立法)に広い裁量が認められてるんです!!!だから、私たち司法は口出しをするべきじゃないんです!!!」てな風になってて、司法が立法、行政に口出しするのに及び腰、消極的だったわけです。けど当然それにも理由はあって、例えば権力行使の正当性てなことが挙げられると思う。国民による委任という権力の正当性根拠を持つ国会議員。その行動の総体である国会が決定したことを、専門家だけからなる裁判所が覆えしていいの。という風に、司法の側にも積極的に権力を行使することが躊躇われる事情は確かにあった。
けど、それでもさすがに消極的すぎるんじゃない??ってのが、近年問題になっていて、それが司法改革も相まって大きく変わろうとしているのが「今」。
そんな司法のドンである最高裁判所の「肉声」が伝わってくるこの本は、単におもしろいからというだけでなく、一国民、一有権者として読んでおいて損はない。一つの巨大な権力機関が、今、動き出そうとしている。